去年の秋に母親が倒れた時にバラバラになった色々なものが、ようやく統合され始めて一つの方向性を示しだしたような感触を最近得ています。

 本当もう、目の前真っ暗っていうかね、積み重ねてきたもの全部バラバラになってしまったかのようだったんですよ。言語学やら認知科学の知識なんてね、介護しながら在宅業で生きていくと自分で決めた瞬間にパリーンとバラバラになってどっか行っちゃったワケだしね。素で、自分を構成していたものが全部バラバラになってゼロになってしまったかのような自分がいたわけですよ。

 でもね、今にして思うとそんなあらゆるものが「チャラ」になる瞬間って、普通に大卒で就職した人も味わうものなんじゃないかなんてね、そう思うわけですよ。

 「一流大学を出てお茶くみする毎日だとは思わなかった」って言って会社やめちゃう新入社員の話とかね、ありふれてますよ。大学が良くてもね、社会に出てしまうとそんなものがあっさり「チャラ」になる瞬間がある。それに耐えられない人も沢山いる。

 だけどね、企業就職した経験が無い自分が言うのも何ですが、その「チャラ」になった瞬間から始まる経験が、次第に骨太な自分の筋肉になっていくものではないかと、社会に出るということはそういう筋肉を作っていくことが必然として要求されるものなのではないかと、今フと思うのですよ。

 筑波大と東北大で、まあ一流って言えば一流な方の大学に通って、その中でもエース級の成績を修めていましたよ、勉強好きでしたし。でもそんな経緯がまっさらに「チャラ」になって、ああもう色々諦めようかななんても心に過ぎったんですが、まあ諦めきれなくて、地道に活動を開始したわけですよ。マーケティングだとか、商売だとか、まあ自分が生きていくための勉強を始めたり、料理をはじめ家事に必死になってみたり、母親の病院と自宅との間は百往復以上して高齢者介護の現場に出入りしたり。そういうの始めて4ヶ月くらいですか、今、ようやく何かが見え始めてきたのは。

 町が、最近愛おしいんです。

 自宅のマンションは商店街に面していて、その商店街を通って母親が入院してる病院と自宅とを何往復もするという生活をずっとやってきたんですが、最近研究に没頭していた頃にはまったく見えていなかったモノが見えるようになってきたんです。

 あ、こんな所にラーメン屋あったのかとか小さい発見から始まって、こんな所にブティックがあるけれど看板だとか店の内装だとかアピールがちょっと弱いな、これでは客あんまし入らないだろうな、とか、この寿司屋は立地条件的に激しくイマイチだけどやっていけてるんだろうか、と思ったら昼時には近くの中小企業の社員で賑わってたりして、ああ、ターゲットを絞ってしっかり運営してるからマーケティング的には結構イケてるんだ、とか、こんな所にダンス教室を作ってどういう客層を想定してるんだ?とか、ね。町を歩いているだけですげー色んなものが見えてくる。そしてそれらを踏まえて、ああ、このコーヒーショップとか、イケてるんだけどWEBサイトは持ってないな、○○円で作りますよ?とか交渉できないかなとか、ああ、こういうお店に来るような層をターゲットにこんな小説書いたらニーズを限定しつつ結構好意的に読まれるんじゃないか……とか、自分の今後に繋がりそうなアイデアが無数に沸いてくる。そして、そうなってくるとそこに生きてる「人間」に興味が沸いてくる。すれ違う人との雑談なんて、今まで時間の無駄だなんて思ってましたよ。でも足繁く通ってれば病院でも顔を覚えられて色々と話しかけられてくるワケです。そういう時に、不思議なことに今までとは違って素直な気持ちで興味を持って会話できる自分がいます。このおばあさんのご家族は僕と同じように毎日病院に通って食事介助してる、一体どういうご家族なんだろう?なんて興味を胸に。

 そうした色々な瞬間に思うわけです、ああ、生きてんの楽しいな、と。

 本当はお茶汲みだって同じなんじゃないかと思うんですよ。お茶を出す相手は誰?上司?その上司は何をやってる人?会計?マーケティング部門?あるいは人事の人とか?遅くまで新人に押しつけられる面倒な後かたづけをしながら先輩とする雑談、そこにすっげー価値がある情報が含まれてたりして……お茶汲みは全ての入り口だったりするんじゃないかと。最初から何者かになんてなれない。最初に全部「チャラ」になって、そこから経験値上げて、人脈作って、準備して、大きい仕事をやれるのはそういった作業の後。そういう前段階をすっ飛ばして大きい仕事任されても、それはそれで自分の首を絞めちゃうんじゃないかなんて。そういう漸進的な積み重ねの大事さに気付くのが、社会人としての第一歩なんじゃないかと。

 そう思うとね、ようやく自分は今社会人の「始まり」に立てたような気がするんですよ。そしてそうやって始まった時、あの時バラバラになった色々なモノが再統合されてきてね。商売をするにも、介護をするにも、言語学的な考え方は「生かせてる」のを感じたり、勉強始めたマーケティングの考え方とこれまでの自分の思考様式が止揚されて自分オリジナルの自分に役立つアイデアが生まれたり……。

 そういう快感を感じ始めるとね、ああ、なんとかやっていけるかなとね。心労でぶっ倒れたりは当然のようにしてるんですが、そういうのを含めて、それもアリアリ、少しづつ、やっていけるさみたいな。

 その境地に辿り着くのに4ヶ月かかりました。

 自分の生き方は評価されもするしされなくもあるし、上手くいくかもしれないし上手くいかないかもしれないけれど、皆、最初は同じように「チャラ」になった所から、はい上がって何かを手に入れていくんだと、そういう場所に投げ出されるのは自分だけの不幸ではないんだと、そんな想いを胸に、漸進的にコレからも色々やっていきたいと、今そう思える自分がいます。

◇そんな感じで

 心労でぶっ倒れてた時にやってたことは、そういう時こそ読書百冊、だけど太宰の二冊は続けて読むなって感じで、地味にインプットに努めてました。

・積んであった「電撃G'smagazine」の「CLANNAD公式外伝 光見守る坂道で」を全部読んだ
 これのためだけに毎月780円の出費は痛いような気がするんですが、癒されるんだよなー。とりあえず公子さんの外伝が良かったです。やはり、麻枝さんの文章好きだ自分。

・今更途中で止めてしまっていた『AIR』をやってみた
 僕は観れないんですが、TBS系BSデジタル局BS-iで放映中のアニメ版が好評なようなので、自分でレンタルで観る前に原作やっておくかって感じでプレイ。現在DREAM編の観鈴シナリオクリアと、佳乃シナリオの途中まで。やっぱイイねー。コレも「家族」がテーマの一つなんだねぇ。佳乃シナリオはお姉さんの方が好みだ。攻略シナリオは無いみたいだけど(そう思うと全キャラにシナリオ用意したCLANNADはやっぱ凄い)。

・コバルト文庫を読んでた
 そのうち紹介します。疲弊してたんで、刺激少なめのコバルト文庫で。

 全体的にKey率が高いですが、心が疲弊してる時はやはり柔らかな物語に限ります。大分癒されました。

◇気になってるPC壁紙宣伝

 在宅でPCに向かってる時間が多いので、最早、人の視線など微塵も気にせぬ壁紙を使っている。

 最新商品では、

 機動戦士ガンダムSEED PC アクセサリー集とか、

 マリア様がみてるデスクトップアクセサリーとかもアリだろう。

 僕が今壁紙にしてる画像?

 SORaさんとこのWEB拍手ステラたんバレンタイン絵に決まってるだろ!

 実生活では?

 貰ってねぇよ(怒)。病院と家往復した以外具合悪くて寝てたよ!


機動戦士ガンダムSEED PC アクセサリー集


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