時間が無かったんで夕食は鍋。野菜をがっつがっつ斬って鍋に入れておしまいです。手軽なわりに結構美味で満腹中枢を満たしてくれるので重宝しています。



◇雑感

 太宰治が「相手の神を討て」って感じの名言?を吐いてますけど(『もの思う葦』)、僕的には相手の神を攻撃するのは相当慎重になった方がイイと思ってますね。

 どんな無神論者でも人間にはその人なりの思考の立脚点があるわけで、この場合その立脚点を「神」と言ってるんだと思うんですが、自分の立脚点に関わることとなりますと誰とて人間深刻になりますよ。

 ネット上でも程度の低いコミュニティーだと、ちょっと議論になるとすぐ相手を「信者」呼ばわりして罵倒するんですが、これは「お前の立脚点は○○なんだろ?、随分低俗な立脚点だな?」という煽りなワケですよ。所がこちとら全然そんな所に立脚点を置いてるつもりは無いわけで、自分の大事な部分、立脚点を誤謬されて煽られてるワケですから、これはムカつきますよ。実際に立脚点をそこに置いていた場合は場合で、そんな大事な部分をいかにもネガな新興宗教への盲信と同様……とでもいったように嘲られては、こっちはこっちでムカつきますし。

 信者呼ばわりされた方が受けるのは、立脚点、大事な部分を誤謬され、自分に対する理解が何もないまま勝手な立脚点のカテゴリーに括られて捉えられているという苦痛、あるいは自分の大事な立脚点が取るに足らない盲信の一種と同様にカテゴライズされてしまうという苦痛です。

 安易に「信者、信者」と罵倒を連呼して気持ちよくなってる人は、自分の言葉が相手に与えるその辺りの苦痛について多少なりとも考えてるんでしょうかね。

 直接攻撃するにしろ、誤謬させて煽るにしろ、その人の立脚点絡みを議論の際に持ち出す場合は慎重になった方がいいですよ。持ち出すんなら「覚悟」が必要。そんな「覚悟」もないまま自己発露にまかせてアウトプットして自分だけ気持ちよくなってるってのは、ちょっと、ねぇ。

 まあ何が言いたいかというと、言葉のアウトップットがもたらすネガ面ポジ面をテーマに描いたCLAMP『XXXHOLIC』4巻の「言葉」にまつわるエピソードは超秀逸なんで是非読んどけってことなんですが。



 経済的自立に関する勉強が面白すぎて他のことが手につかない。『AIR』進まず。勉強もAIRも面白いんですが、今週末は母が一時帰宅なんで徐々に主夫モードに移行しなきゃならないかもだ。