新規映像無し(だよね?)の正真正銘の総集編。これは意図的なモノではなく、制作調整上の総集編のように感じます。スタッフ総出で「ザク!ザク!!キャンペーン」にかかりっきりで忙しかったのだと推察します。そんな中で作中ではあるキーワードが連発されてたので、今まであんまり書いてこなかった辺りのDESTINYのもう一つのテーマの話でも今回は書いてみます。
 漠然と大きく「戦争」は勿論、「力」だとか「役割」だとか「自立/自律」だとか「記憶」だとか「真と偽」だとか「自由VS運命」だとか、様々なテーマがDESTINYには入ってるんですが、今まであんまし感想で書いてこなかった辺りでもう一つ大きいテーマとしてあるのは「言葉」ですね。

 これ、せっかく僕が言語学のマスターをもうすぐ取ろうという人なんで、もう少し先にラクスを通して「言葉」絡みで1エピソード描かれた(描かれるものと信じてる)時に詳しく書こうと思ってたんですが、今週のアスランのモノローグで「いや、すがったんじゃない、その言葉に真実を見たからこそオレはもう一度剣を手にしたんだ」「議長の言葉はどこまでも心地よく、どこまでも正しく思えた」とやたらと「言葉」のキーワードが連発されたんで、今週軽めに書いちゃいます。

 「言葉」のキーワードが出てくるのは別に今週だけじゃないですね、前作36話の「言葉は信じませんか?」とアスランをなじる(笑)ラクス、今作10話の議長自身の「発せられた言葉がそれを聞く人にそのまま届くとは限らない 受け取る側もまた自分なりに勝手に受け取るものだからね」、今作24話のキラに向かって「(議長の)言葉だって聞いたろう!」と詰め寄るアスラン、そして37話の「だが彼らの言葉は、やがて世界の全てを殺す!」のアスランの台詞……、と「言葉」のキーワードは沢山出てきます。

 で、前作ラストはいくらラクスが「言葉」で呼びかけても戦争は止まらないという、ある意味「言葉は無力」な結論で主人公サイドは終わってしまったんですが、今作では議長の「言葉」による呼びかけでロゴス打倒に世界が動いて平和へ……と、「言葉の力スゲエ」というのが議長サイドで描かれています。が、その「言葉の力」が順風満帆にポジティブ描写として描かれているかというと、さてはて、アスランは「議長の言葉は世界の全てを殺す」なんて言ってるし、そろそろラクスも出てくるし……で、ポジティブさがクルっと反転するんじゃないか、と、そういう面白い所まで来てるのが現在の物語進行状況です。

 今作で「言葉」について描かれてるのは、言語学では初級教科書に載ってるような、昔から言われている言葉のわりと根元的な性質です。専門的にはシニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)というのですが、思いっきりぶっちゃけて言うと、それぞれの用語が言葉の「音」と「意味」に対応しているんですが、言語現象の中ではその両者の間の関係がかなり恣意的だというのが(勿論学問的にじゃなく、物語の文脈にのせて)描かれているのだと思うのですよ。

 例えば、同じ「バカ……(baka)」という「音」が対話相手の口から発せられたとしても、その「意味」をどう取るかは、受け手のフィルターを通して様々に変わってきます。発した相手と受け手との関係が険悪なものだったら、受け手は「バカ……(baka)」を罵倒の「意味」を含有してるものと受け取るかもしれませんし、発した相手と受け手との関係が恋人同士だったら、あるいは婉曲な愛情表現の「意味」を含有してるものと受け取るかもしれません。

 その辺りをかなり明示的に言ってるのが、議長の、

 「発せられた言葉がそれを聞く人にそのまま届くとは限らない 受け取る側もまた自分なりに勝手に受け取るものだからね」(デュランダル議長)

 の台詞なわけです。これがばっちり描かれてるのが24話のキラにアスランが詰め寄る、「(議長の)言葉だって聞いたろう!」のシーンで、表面上、音声上は同じ議長の言葉を聞いているのに、そこから受け取ったシニフィエ(意味)はキラとアスランで違っていたという。

 そして、今描かれているのは、そういった言葉の性質を利用して発せられた議長の言葉を、民衆(全てではないけど)が議長にとって都合の良いシニフィエ(意味)で受け取っているといった状況。「心地よく」聞こえる方のシニフィエ(意味)でだけ受け取っている民衆に対して、別の、いや、これは怪しいというシニフィエ(意味)で受け取っているのがキラ、ラクスらアークエンジェル&エターナル組、ようやく心地よいだけじゃく、別のシニフィエ(意味)もあると気づいたのがこの前のアスラン。

 そんな感じの今の状況を踏まえて、今後の展開として僕が希望してるのは、心地よくだけ聞こえるように練られてる議長の言葉のトリックを、ラクスが暴くような展開(VS議長は今までの対比表現の伏線からしてやっぱラクスでしょ)。今まで伏せさせてきた分、今作ラストではちょっとばかり派手なラクスの「言葉」篇があってもいいんじゃないかと僕なんかは思ってるんですが。そこまで暴かれた上で、作中の民衆は議長の言葉の心地よい方のシニフィエ(意味)に乗るか反るか、どっちが幸せなのか、視聴者はどう考えるか、というのは熱い展開だと思うんですけど。

◇総集編本編

 タイミング的に次回サブタイが「自由と正義と」でキラ、アスランの逆襲開始回なんで、キラ、アスラン視点からのモノローグ回想編。24話「すれ違う視線」のキラとアスランの夕日邂逅シーンを、キラ視点のモノローグとアスラン視点のモノローグとで別に切り取って見せてるという手法。小説なんかにはよくありますが、アニメではあんましこの手法使ってるのを見た記憶がないんで新鮮でした。同じ場面で、あいつはこう思ってて、こっちはこう思ってたのか……と2視点で鑑賞できるのがこの手法の魅力です。場面ごとに3主人公それぞれの視点で物語が進行、それぞれの主人公の邂逅時は特別に夕日演出……っていう作り方は面白いと思ってます。例えば最近だと、36話「アスラン脱走」は完全にアスラン視点の物語、38話「新しき旗」はほぼシン視点の物語、39話「天空のキラ」はキラ視点の物語……と様々にあって、ときたまそれらの主人公が夕日演出で邂逅するという。それぞれの主人公が視点の時は、視聴者もその主人公視点で楽しんでいいんですが、夕日邂逅時は、今までそれぞれの視点で楽しんでいた主人公達が意見を対立させるシーンなので、視聴者はどっちの主人公を視点にして支持して見ればいいか分からず、自分で考えなければならないという。ある意味、どっぷり主人公に感情移入して楽しむという王道な楽しみ方を拒む作りなんでエンターテイメントとしては問題な点もあるのかもしれませんが、毎回夕日邂逅対立時の感想のコメント欄なんかは、シンが正しい、いや、アスランが正しい、自分はキラ派だ……などと視聴者の視点が別れるようになってるのは、ある意味こういう作り方にしたのジャストミートしたなと制作陣が思ってる部分かもしれません。

 ◇

 前作SEED最終巻の「LINK〜この時代の中で〜」みたいにどっぷりとキャラがモノローグで心情を吐露してしまうのはあんまり好きじゃないんですが、今回はほどほどに抑えられていたんでまあ良かったかなと。肝心な部分はモノローグしてません。アスランがなんでキラに「ラクスを守れ」と言ったのかとか。議長の心地よい言葉による新世界に対して、前作で激しく心地よくない言葉をアスランにかけてくれたラクスの存在が大事なんだ……なんて辺りは語りません。

 前半アスラン視点は議長を本気で信じてから、懐疑を持ち始めてからの苦悩、追いつめられて脱走してから現在に至るまで。「真実を知りたい」というアスランゆえに、なおさら36話「アスラン脱走」は熱いと思いましたよ。真実、答えは分からないけれど、「確かにオレは彼が言う通りの戦う人形になんかなれない」と、自分的にダメなボーダーラインだけは確固として存在しています。そこだけは譲れないがゆえの行動。真実、答えは分からないけれど、二極化しての撃ち合いだけはダメというダメボーダーラインだけは確固としてアークエンジェルと発進したキラに通じるものがあります。

 後半キラ視点はモノローグは相変わらず漠然としたもので、重要回想シーンから知れ!って感じの僕好みの構成。時間軸を戻して、クルーゼの滅亡の諦観、第08話の慰霊碑でのシンとの邂逅を入れてきた部分が熱かったかな。第08話時点ではシンまで戦争しょうがないかも的なことを言ってるんですが、クルーゼの話も含めて、まだそういう戦争容認までは諦められないから矛盾を抱えながらも戦ってるんだと、それがキラ。

◇次回サブタイ「自由と正義と」

 迷い続けたアスランのついにきたインフィニットジャスティス搭乗回。搭乗、発進に1話、活躍に1話くらい使って欲しいものです。ドムとインフィニットジャスティスが来るってことはラクス&エターナルも降下してくるってことですよね。いよいよ迫るラクスVS議長の方にも期待です。

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