大好きな蝶野編について当時書いた雑感を再掲。

 死、認識、記憶。
 「死者に礼を尽くすのは悪いコトでは無いと思うが」(斗貴子)

 この何気ない斗貴子さんの台詞あたりから、蝶野篇の深みは始まっているように思う。この後、蝶野、鷲尾との第一次接触を経て、カズキの「これ以上一人の犠牲も出さない」という信念(理想)を聞いた斗貴子さんは、カズキが礼を尽くそうとする犠牲者に対して、「私も一緒に行こう」とカズキと共に手を合わせる。

 死者に手を合わせ礼を尽くすということは、当人が死んだ後もその人のコトを記憶し、覚えているということであると思う。最近、過去など知らん今が大事と、過去との関係性をカッコ悪いものとして切り捨てる刹那主義が中々に蔓延しているような気がしないのでもないのだけれど、そういった最近の風潮、視点からすると、こういった死者を尊び、故人と記憶で関係性を持とうという行為は、それほど尊いことではないということになるのかもしれない。だけど、『るろうに剣心』でとことん過去の咎を見つめながらそれを乗り越えていく主人公の物語を描いた辺りから推測すると、和月先生はきっとそんな感じの今ある風潮はあんまし好きじゃないのだと思う。かなりの程度、和月先生という人は過去との関係性を大切に描く人なのだ。その辺りが和月信念とでも呼べる部分じゃないかと思うんだけど、そういうのが上のシーンにはサラッとだが滲み出ていると思う。

 そして、その辺りがサラッと描かれた後に、物語は自分自身を「透明な存在」とする蝶野にスポットが当たる。この「透明な存在」というのは、とりあえず蝶野自身が自分が誰からも認識、記憶されていない状態を比喩的に表した言葉だろう(透明で見えない人っていう意味)。この誰からも認識されず、誰の記憶にも残らないというのが、蝶野の負の行動の一番のバックボーンになっているように思う。そこが上のシーンとも関わる部分で、カズキと斗貴子さんは人をしっかりと(例え死んでいても)認識し、記憶し、尊ぶ人なのに対して、蝶野の回りにはそのように蝶野を認識、記憶してくれる人が誰もいなかった。後の場面で明らかになることだが、親に弟、黒服の使用人まで、家族からすら蝶野は認識されていないのだ。この辺りから非常に微細な描写で微細な蝶野の心理が描かれるんだけど、蝶野というキャラの目的は他人を犠牲にしてでも自分は生きるというもので、蝶野自身もそれが自分の目的だと認識してホムンクルスを作り、実際に人命を奪っているのだけれど、実は蝶野自身も気づいていない無意識のレベルで、蝶野はそれ以上に「誰かに認識して欲しい、記憶して欲しい」ということを願っているキャラとして描かれている。
 その辺りが分るのがカズキの最後の説得の部分で、「今のままだったら死んでもずっとひとりぼっちだぞ」から始まる説得の中で、カズキは死んだ後に誰の記憶にも残らない寂しさを伝え(逆に言えばもし残るならば例え死んだとしても…という話)、「もしオマエが犠牲者に償うと誓うならオレがー」と呼びかけるのだけれど、それに対して蝶野は「それがどうした」「死んだ後のコトなど関係ない!」と必死に心の中で反論しながら、実際には大粒の汗を流しながら「それ…が」「ど…」と言葉を詰まらせる。コレが、蝶野の一番奥底にある、自分を認識、記憶してもらいたいという願いが、カズキのキレイ言を否定しきれずにいる場面ではなかろうか。
 そこでカズキのキレイ言を受け入れれば話はまとまったのだけど、結局次郎の乱入により蝶野はホムンクルスになってしまう。ホムンクルスになった後も「オレと次郎と見分けがついた者は助けてやろう」と、どこかで見分けがつく(認識してくれる)ことを願っている片鱗を滲ませる蝶野。そして訪れる怒濤のクライマックス。カズキはカズキをしっかり認識してくれている(恐らくはカズキが死んだ後もカズキのことを記憶していてくれるであろう)友の励ましで立ち上がり、同じく死者に手を合わせてくれる斗貴子さんの心も使ったW武装錬金を発動させ、一方蝶野は「誰も蝶野公爵を必要としなかった世界だ 全て燃やして焼き尽くしてやる!」と誰も自分を認識してくれなかった世界に対して憎悪を燃やす。この対比が圧倒的に上手い。ここで、あー、もう単行本買おうと強く思った次第です。

 そして、和月先生自身も2巻のコメントで「一番好きなシーン」という決着のシーンは言わずもがなの名場面です。切なカッコいいです。「一人の犠牲も出さない」と理想を掲げたカズキだけれど、蝶野を殺さなければ斗貴子さんは助からない。必ずしも理想を貫けない現実、なされる命の選択(このシーンがあったからこそ、後の早坂姉弟篇の理想を完遂できた結末がよりグっときたりもするのだけど)。そんなカズキが蝶野を突く時にかけた言葉が、死者に礼を尽くし、最後まで記憶に残らない寂しさを伝え説得するカズキだからこそかけた言葉が、「すまない蝶野公爵」。心のどこかで認識、記憶してもらいたいと願っていた蝶野を世界でただ一人名前を呼び認識してくれたのは、蝶野を撃つカズキだけ……撃たれる蝶野に一瞬よぎる「嗚呼ー俺の名前……」。お墓のシーンから積み上げてきた、死んだ後も記憶に残るということ、他者から認識されるということ、そもそも死ということ、etc、ここは物語の中で積み上げてきたものがギュっと凝縮された名場面です。
 そして、陽光に精神的な夜明けと武装錬金の名前の伏線までをかけた非常に美しいエンディングも相成って、読後に残るのは圧倒的な完結感。ホント、全2巻でも名作ですぜ、コレは。

●補
 でも、結局このあと蝶野はより変態さを増して復活するんで、死んだ後の記憶云々のあたりはちょいとばかり重みが無くなってます。スッゲー美しく死んだのに次の週には「蝶・サイコー!」で復活ですよ。そのはっちゃけぶりがまたステキなんですが。その当時のWJ感想にも書いたけど、蝶野の話引き延ばした分、現在間近っぽい再び蝶野が絡むであろう最終章の結末に期待ですな。


現在の人気blogランキングをCHECK!

前回の感想へ次回の感想へ