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 というワケで『涼宮ハルヒ』シリーズ3冊目を読了。アニメ版第01話の自主制作映画撮影エピソードをまるまる収録です。思わずアニメ版第01話を見返しちゃうこと請け合いの面白さ。ネタバレ感想につき、アニメ版でタイムリーに楽しんでる方はご注意を。
 「ハルヒが時間を歪めてたり情報を爆発させていたり世界を壊したり創ったりしているのかどうかなんて関係ない。俺は俺で、こいつはこいつだ。いつまでも子供のママゴト遊びに付き合ってはいられない。たとえそうしていたくても帰宅時間は確実に来るんだ。それが何年、何十年先のことだろうと、確実にな」(キョン)

 今回も良かった。SF、ファンタジーベクトルではハルヒという存在の謎に対する解釈が朝比奈さんの勢力の解釈と古泉の勢力の解釈とは違っているといった事実が明かされたりと、わりと大きい話も展開されてるんですが、むしろそういう大きい話の方が味付けで、青春学園(コメディ)もの方が前面な感じなんじゃないかなぁ。

 今回も本当バカでくだらない自主制作映画作りがエピソードの主体で、上の語りのようにキョンもいつまでもこんなことはやってられない、帰宅時間は必ずやってくると現実的、普通的なことも考えるんだけど、そう思いつつもそれでもやっぱり谷口に自主制作映画のことをバカにされた時ムッとくるんだよね。いつか帰宅時間が来ると分かっているからこそ、バカみたいでも一瞬一瞬が楽しい青春の一ページ。やはりキョンもどこかでハルヒとこんなバカなことやってるのが楽しかったわけで、そこからガタガタと心の中で言い訳しながら、それでもハルヒに向かって、

 「この映画は絶対成功させよう」(キョン)

 って言う所が良かった。その一言で沈んでた(この辺りがタイトルの「溜息」なんだと思うんだけど)ハルヒが復活するくだりが、普通にカタルシス。

 全体的に、日常でも十分面白くできるぜ!っていうことを発してる作品だと思うんですよね。1巻の『憂鬱』のラストがまさにそんな感じだったのとイイ、今回も最後はハルヒが「この物語はフィクションです」というナレーションを映画に入れながら、「そんなこと(フィクションなのは)あたりまえじゃない」とハルヒが言って、映画的フィクション的非日常から日常へ帰還して終わっていて、ラストシーンは演劇をやる古泉に占い屋をやる長門に、ヤキソバ屋さんをやる朝比奈さんという、日常的文化祭の風景で終わってるんだよね。そして、その風景はとても楽しそうだと。いつか帰宅時間は来るのかもしれないけれど、日常でも面白くできるんだったら、帰宅時間はなかなかやってこないかもしれない。そんな青春小説的な側面で「イイ話」なのも涼宮ハルヒシリーズだなと感じた今回の『溜息』でした。個人的に学生時代に友人の自主制作映画の撮影に付き合った経験があるので、今の僕はその頃の楽しさを持ち続けて日常を過ごしてるかな?と、ちょっとしんみりしちゃったりもしました。撮りたいですね、この年になっても自主制作映画(笑)。

 続いて『涼宮ハルヒの消失』に行きます。楽しみ楽しみ。

→刊行順に列挙


涼宮ハルヒの憂鬱
涼宮ハルヒの溜息
涼宮ハルヒの退屈
涼宮ハルヒの消失
涼宮ハルヒの暴走
涼宮ハルヒの動揺
涼宮ハルヒの陰謀
涼宮ハルヒの憤慨

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→次巻:『涼宮ハルヒの消失』の感想へ
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