「フフフ、血は争えないなぁ……」(C・C(シーツー))

 前回第06話「奪われた仮面」の感想記事でも90を超えるトラックバックを頂きました。皆さんご協力ありがとうございましたm(_ _)m。当ブログの感想記事は管理人在住地域の放映日(金曜深夜)以降になりますが、今回も早い放映の地域にお住まいの方のために、早めにTBできるよう記事は立てておきます。今回もふるってトラックバック頂けたら幸いです。引き続きトラックバックセンターとしてご利用下さい。
 <追記:感想書きましたー>
 ◇

<以下、本編感想>

 今回はポイントを絞って3点だけ。

◇ナナリー主義とブリタニア破壊は同義なのか

 競争原理を勝ち残った勝者にのみ価値がある、弱者は価値が無い……というブリタニア皇帝の思想(世界を包んでる思想)によって犠牲になった側であるがゆえに、

 「だとしたらナナリーはどうなる!弱いから諦めなくてはならないのか!俺だけは絶対認めない!そんな世界俺が消し去ってやる!」(ルルーシュ)

 という行動原理を胸に秘めるルルーシュはカッコいいんですが(第05話の「強ければいいのか?」/「弱いことはいけないことなのか?」のルルーシュ・スザクのシンクロ演出で描かれた、両主人公の共有する信念の部分ですね)、意図的に危うく描かれてると思うのは、ブリタニア皇帝の思想を否定するために戦ってるはずなのに、ルルーシュ自身は第05話でも「誰かが勝てば争いは終わる」と、勝者こそが至上というブリタニア皇帝の論理に組み込まれてしまってる形で戦ってる点。弱肉強食の摂理を否定するためには弱肉強食の勝者にならなければならないという矛盾。幾多の作品で描かれてきたことですが、この作品の主人公のルルーシュも現在はその矛盾を抱えている状態で描かれていると思います。今話は冒頭のシーンが「勝者こそが全て」の理屈を否定するルルーシュのシーンから始まってるのに、ラストシーンではそのシーンと矛盾するかのように、勝者になるべく更なる力(軍、人、国)を欲するルルーシュという絵で締められてるのが印象的でした。果たして、「ナナリーのためにブリタニアをぶっ壊す」という命題。ナナリー(弱者)を否定するブリタニア皇帝(強者)の論理を否定するためには、否定すべきはずのブリタニア皇帝の論理に乗っ取って勝ち上がらなければならないという矛盾をルルーシュが解消できる日はくるのでしょうか。作劇としていくつかの解消法はあるんですが、特に予想することなく、どういう形でその辺りがカタルシス付でまとめられるのかに楽しみながら思いを馳せたいと思います。

●二面性/C・C(シーツー)編

 「フフフ、血は争えないなぁ」(C・C(シーツー)1)

 「しかしあのタイプは危険だぞ、果たしてどちらの道に」(C・C(シーツー)2)

 「分かっている私を誰だと思ってるんだ」(C・C(シーツー)1or?)

 ……かのような謎の場面。本命としては2つの人格が共存しているという設定なのでしょうか。ますます、前回この作品の一つのテーマなんじゃないの?と触れた「二面性」の重要度が跳ね上がります。

 「血は争えないなぁ」の台詞から、何かしらルルーシュの血族を強く知っている人格が混ざってるのは確か。これ、本命の予想として、ルルーシュのお母さんなんじゃないの?第01話冒頭の「見つけた……私の…」の台詞がそれだと自分の子供を見つけたという解釈でハマりますし、なんか、オープニングの冒頭でさも重要なポジション的に作中では既に故人のはずのルルーシュのお母さんが映るのが気になってるんだよな。なので、「血は争えない」はブリタニア皇帝とルルーシュの似てる側面を指していたのではと予想。上で書いたブリタニア皇帝の論理にルルーシュもハマってる話とも重なりますし、「生きてる価値がない」という台詞をブリタニア皇帝とルルーシュと両方が口にしていた点も気になります。

 なので、本当に「二面性」がキーだとすると、ブリタニア皇帝が「二面性」を持っているかどうか、それが作品の一番のキーになるんじゃないだろうか。ブリタニア皇帝も持ってる、すなわち弱者を見過ごせないような優しい側面も持ってるとなれば作中の希望として提示できますし、逆にまったく持ってないとしたら、「二面性」を完全に排除してしまって一貫し過ぎることの危険性を体現した人物として、作中悪に持っていけます。ちょっと、その辺りに気をつけながら視聴してみることにしたいと思います。

●政略恋愛と自由恋愛の対比

 これは、アッシュフォード家再興のために政略的に利用されそうな伏線が張られてきたミレイ先輩と、ルルーシュへの真っ直ぐな想いを語る自由恋愛を地でいくシャーリーとの対比で分かりやすく描かれてましたね。ミレイ先輩の他にも、ナナリー、ユーフェミア辺りにも道具としての恋愛を強要されそうな負の要素が見え隠れします(ナナリーは恋愛はともかく既に政略の道具として使われて現状に至ってる/第05話で見せたユーフェミアの悲しそうな顔は、一人の女性としてスザクとのデートを楽しめた自分から、もう一面の自分、皇女として自由恋愛はできない自分へと踏み込んでいくことの悲しさを現していた場面と取れる)。そう考えると、シャーリーの自由恋愛は本当作中の希望ですよね。予想される後半の物語の過酷化にシャーリーも巻き込まれてしまうのかもしれないけれど、是非とも、希望の体現者の役割を希望したいです。

 ◇

 今回はこれにて。微妙に空気読めない人属性がついてきたスザクが好きになってきた第07話でした。



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 それでは!

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