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 「でも、こんなのは、こんなのはもっと嫌だ!」(シン・アスカ)

 1/12日の『完結編 自由の代償』のブロードバンド配信に合わせて、当ブログのコメント欄に反映された放映当時の世評などを踏まえながら、スペシャル・エディション版で『ガンダムSEED DESTINY』という作品を忌憚無い語り口で振り返ります。第四回(最終回)は『自由の代償』を視聴しながら全力で。
 ◇

・オーブを撃ってはダメだ、お前が!
・その怒りの本当の訳も分からないまま、ただ戦ってはダメだ!
 前回のジャスティス発進から、真っ先にシンのもとへ駆け付けるアスラン。地味に『それぞれの剣』相当時点でシンの(当人は認めない)本当のオーブへの気持ちを看破していたアスランは、シンにオーブを撃たせないがための参戦。このインフィニットジャスティス搭乗後から、アスランはオーブや、最終回ではルナマリアといった、シンが本当の気持ちの部分で大切にしてる存在をシンが撃とうとしてしまうのを、ギリギリで守る守り人としての役割を担っていきます。く、アスラン、急にカッコよくなりやがって。まあ、説得は相変わらず下手ですが(;´Д`)
 されど、相変わらずレイの意見とアスランの意見の相克にオーバーヒートして思考停止の種割れをするシンに対して、アスラン、ついにシンにオーブを撃たせないためにDESTINY初の種割れ。そしてシンを圧倒。燃え。やはり自立意志でステップアップした者はSEEDの世界では強いです。

・その方の姿に惑わされないで下さい。私はラクス・クラインです。
・悪いのはあなたでは無いのだという言葉の罠に惑わされないで下さい。
 そして、真・ラクス、世界のメディアに登場。チェック・メイト一歩手前という表情だった議長が、「バカな……ッ!」と作中で初めて本心から焦りの表情を見せるという、アークエンジェルサイドの切り札登場。
 悪いのはロゴスだ……とシンを、一般人を他罰へと誘導していた議長に対して、「悪いのはあなたでは無いのだという言葉の罠に惑わされないで下さい」と自罰も考慮せよという正反対の主張を伝えるラクス。この辺りは、前作でキラとアスランを言葉責めにして自罰を促したラクスの本領発揮です。
 この「二人のラクス」相当回を持って、視聴者とシンクロする作中の一般民衆的にも、議長とラクス、どっちが正しいんだ!?という混迷に投げ出されることに。「転覆しえる価値観」を一つは描いてたDESTINY色が色濃く出ていた場面です。

・本物なら何でも正しくて、そうでない者は皆間違いだとでも言うのか?
 真・ラクス登場を受けてのレイの言。存在の真偽もテーマの一つにあったDESTINY。この台詞と同時に、ミーア、ネオ、クルーゼ(に対する自分)という「偽」の存在を連続で回想で挟むのが熱い。こうやって仕込まれていたからこそ、真でも偽でもない、あなたはあなたと着地するミーア、ネオ/ムウ、レイの着地回の感動が増します。逆に言えば、こう言うほど真とか偽とかを超えた所での「個」としての自分を潜在的に欲していたんだよな、レイは。だからこその、最終回のキラに「個」を同定されるがゆえの価値観の転覆劇。この辺り熱いわー。

・これは俺たちの弱さが招いた結果だということだぞ、シン。
 ジブリールのレクイエム使用に関して、取り逃した俺たちの責任とレイが語るの絵。そんなこと言われたら当然シンはそれはオーブが邪魔したからだ!と矛先をオーブに向けるわけで(事実そう言いかける)、引き続きレイの誘導が続いてる場面と思われます。でもこの辺りまであからさまな誘導が続いてるからこそ、最後の出撃前の会話がちょっといい感じになるんだよなぁ。

・でもそれじゃ、願って、望んで、頑張ることには、何の意味もないというのか?ああなりたい、こうなりたいと望むことは無駄だと……?
 議長の指し示す世界を聞いてのカガリの言葉。過度な願い(欲望)による競争の果ての戦争をある種ネガティブに描いた(最終回のクルーゼ演説参考)前作に対して、かといって願うことに価値が無くなった世界はどうなるのか?という疑問符をもとに戦うことを決意する今作。放映当初の雑誌インタビューで踊った「前作の否定」的な話は、ある意味本当だったのです。序盤の戦いを肯定するシンの方に目がいきがちですが、ここで、願う心を肯定するがゆえにアークエンジェルサイドが戦いを決意するというのも立派な前作の否定要素という点に注目したい所。
 そして、

 「宇宙(そら)へ上がろう、アスラン、僕たちも」

 「キラ……」

 「未来を作るのは、運命じゃないよ!」

 「ああ!」

 で、キラとアスランがハシッとやって、ついにすれ違い&迷走劇の果てに、前作最強コンビが再結託。TV放映時はここで流れた「君は僕に似ている」がハマり過ぎてカッコ良かった記憶が。まさに、歌詞にある「二人なら……」って感じです。

・あなたの役目はもう終わりですジブリール
・ありがとうジブリール、そしてさようならだ
 ジブリール撃墜時のレイの上の台詞はスペエディオリジナルですね。議長が提案する世界は役割準拠型の理想社会なれど、役割を終えたもの/役割から外れたものは容赦なく抹消されていくという負の側面がつきまとうことがより分かりやすくなってます。
 ミステリじゃないから種明かし回は無いんだけど、ロゴスを敵として誘導していって世界をまとめて、その戦争で犠牲者が出て(デストロイやレクイエムを議長は知っていた)、皆戦争が嫌になって思考がいっぱいいっぱいな所でデスティニープラン導入……みたいな流れが議長の中にはあって、その中で議長的にジブリールも一定の役割を果たしていたのだと個人的には解釈。

・焦らなくていい、夢は同じだ
 指輪を外すカガリ。というわけで、『砕かれた世界』の感想の所で書いたけど、指輪は「焦り」の記号でした。それを外して夢を同じくしたまま今はそれぞれの道へ……というのが、DESTINYにおけるアスカガ(カガアス?)の着地でした。とは言いつつ、メイリンに向かって「あいつ、頼むな」と言うカガリの瞳に少し涙が浮かんでるのが切ない(過度に鈍感なアスランと違って、カガリはメイリンの気持ちを知った上で言っていると思われる)。国家とか、戦争とか、そういう所と遠い所で出会えた二人だったら良かったのにね。残念ながらそうでは無いので、今はそれぞれの道へ。

・私達は誰も自分以外の何者にもなれないのです。
・あなたの歌と夢はあなたのものです。
 真偽のテーマの偽の一角を担ったミーア、自立か役割かのテーマで役割の部分を担ったミーア、本当のラクスの語りの前に「個」を肯定されて着地へ。
 されど、役割から外れたものは抹消される議長の世界の負の側面を描くのに一役買ってしまい、ここにて舞台から退場。ここで、負の側面を描写したのに被さっていよいよ議長のデスティニープラン発表という流れへ。さらに被さる、決意の顔のラクス。前作ラストの何もできなかったラストから、今作では積極的な行動を忌避していたラクスが、ついにやる気に。デスティニープラン(の特に役割から外れた者は抹消される部分)だけは掲げられないと、キラ、カガリ、アスランに続いて、ついに前作主要四人組最後の一人にして、前作では破格の超越者ポジションだったラクスが「戦う」ことを決意。いよいよ、最終決戦です。

・そのための力だろ、デスティニー
・あのエクステンデットの少女のように
 レイとシンの最終決戦前の最後のコアな会話。ここらで明確にシンの戦う目的が、シンの本当の想いから離れて「デスティニープランの遂行を邪魔するものを排除するために」というものにすり替えられてしまうんですが、ただ、レイはシンに素の友情も持っていたのだと解釈したい場面。基本シンを議長にとって都合の良いように誘導していくのがレイの役割でしたが、やはりステラを逃がした時や、ここでテロメアが短いことを告白する時なんかは、普通に友人として語っていたのだと解釈。
 ここでレイの口からステラのことが出てくるのが超重要ポイント。現存の世界の被害者であり、過去が無い点などが、レイとステラは同じで、かなり近い役割を作中で付与されたキャラなのです。レイは最終的にキラから「個(過去)」を与えられてしまい、ステラはシンから与えられたというのが違うくらい(そして二人とも最終回に「明日」という言葉を口にする)。そこを押さえておかないと、最終回でレイとステラが異様に存在感を示してる辺りの解釈が難しくなります。

・戦わねばなりません。
・全ての生は未来を得るために戦うものです。戦わなくてはならないのです。
 ラクスのデスティニープランを反駁しての戦いの肯定。こうやって戦いを否定していた者たちが戦いを肯定するように変わり得るから。戦うものには戦うだけの理由があるから、やはり戦争が終わるのは難しいと。SEEDシリーズ、どうしても主人公達が活躍して世界を平和に導きました的な帰結はつけたくなかった作品なのだというのがこの辺りから伺えます。

・キラ・ヤマトというたった一人の夢のために
・父も母もない
・はい、俺もレイと同じ想いです。
 「父も母もない」辺りは、ラストの疑似家族エンドへの布石。そして、そんなレイの境遇を知ったシン、様々なこれまでの出来事の回想を経た上で、議長サイドとして戦うことを決意。誘導されて本当の想いとは遠い所へ行き着いたゆえではあるんですが、純粋にレイへのエンパシーも大きな要因を締めていたと思われるのがポイント。この辺りでステラ=レイと重なるこれまでの仕込みが生きてくるんですね。戦争被害者へのエンパシーが強く、そういった人達を守りたいという想いだけは(利用されて誘導されちゃったけど)本物だったシン。レイも被害者であったと知って、ステラと重ねるかの如くエンパシーを感じたがゆえの最後の決断。この被害者/弱者へのエンパシーだけは最後まで持ち続けたシンは、純粋で、優しくて、まぎれもなく主人公の一人としてカッコいい主人公でした。

・それが君の運命なんだよ
 レイとクルーゼのシンクロ演出。クルーゼの文脈から繋がる、過去も個もないがゆえの運命への諦観と既存の世界の否定。されど、そんなレイに向かって、最終回、キラの言葉の一撃が飛び出します。

 「でも違う!生命(いのち)は何にだって一つだ!だからその生命は君だ!彼じゃない!」

 一番呪ったはずの宿敵から思わず肯定されてしまった、一番欲していた「個」としての自分。この一撃が、諦観の最右翼として描かれてきたレイの価値観をも転覆させます。「転覆し得る価値観」をテーマに紡がれてきたDESTINY。最終回にて、最も「議長が正しい」で作中で肯定される所の「変化」から遠かったレイの価値観をも転覆。キラVSレイ、決着。

・お前が欲しかったのは、本当にそんな力か!
 アスラン、ついにシンに一撃。当初から伝えるのが下手なだけで、シンの深層の所の本当の想いは看破していたアスラン。シンが欲した力は、デスティニープランに異を唱える者を排除するための力でもなければ、ましてや本当は欲してたはずのオーブを撃つための力でもない。
 されど誘導の末に遠い所まで来てしまったシンにはそのまま許容することもできず、結果、価値観の奔流に耐えきれず錯乱。止めに入ったルナマリアにまで手を……
 という所でアスランの一撃
 アスランがシンの未来をギリギリで守った場面。撃破されたデスティニーに涙を流すシンの残映が重なるのはたぶんスペエディオリジナル演出<追記:「FINAL PLUS」で既にあったそうです>。アスランVSシン、決着。

・ステラ昨日をもらったの、やっと。だから分かるの、どっちだか分かる。明日。嬉しいの。だからシンとはまた明日。
 ステラとシンの不思議な世界での邂逅劇。シンから過去(貝殻に表象されるシンと過ごした時間ね)を貰っていたステラは、復讐でもなく、議長の提示する変わらない世界でもなく、変わっていく明日を願っていた。ようやくシンがそのことに気付く場面。ステラ、レイ、あとネオ(記憶を取り戻します)と、皆過去を獲得していって、それを踏まえられるからこそ変わっていける明日へ……と、最終回のテーマが収束していきます。

・オーブは撃たれなかった
 ようやくステラの本当の想いに気付き、自分が本心では欲していたオーブが撃たれなかったことをルナマリアから聞いて、ただ子どもの様に涙してルナマリアの胸に顔を埋めるシン。カタストロフ。本当の想いとは遠い所まで来てしまったシンだけれど、撃たれなかったオーブとルナマリアが救いとして機能しております。良かった。打倒されるラストもあり得ただけに、救いがある結末で本当に良かった。

・分かっていけることも、変わっていけることも。だから明日が欲しいんだ!どんなに苦しくても、変わらない明日は嫌なんだ!
 議長VSキラ(と背後にいるラクス)の最終章。相互理解の可能性、そのために必要な「変化」と、100話あまりかけてキラが獲得した希望を「明日」という言葉に賭して叫びます。
 されど、そんなキラに対して、私が示す世界と君が示す世界、皆はどちらを選ぶだろう?と問いかける議長。この議長とキラが銃を向け合う場面まで、視聴者にどちらが正しいのだろう?と問いかけ続けてるのが凄いです。

・彼の明日……
 と……視聴者に問いかけるのはここまで。最終的には、あくまで作中において、レイの銃弾により、キラの未来が選ばれます。キラを否定したクルーゼと同じ遺伝子を持つレイが、キラの望んだ明日を願ったという作中の帰結。勿論その背後には、作中で描かれ続けた「個」の肯定がキラによってなされたレイ……というのがあるわけで。正義相対のこのDESTINYという物語で最後に選ばれたのは、変わっていける明日。

・これが運命だったということじゃないの?
・やめてくれ
・お母さん……
 議長、タリア艦長、レイの疑似家族エンド。現存の世界ではタリアさんと結ばれなかったという個人的な動機を世界規模の行動にまで拡大しちゃったガンダムの敵役らしい議長に、過去が無いゆえに父も母もなかったレイが、タリア艦長に包まれて疑似家族を形成して幾ばくかの救いを与えられて決着。
 ここで議長の口から「運命」を否定する言葉が出てるのもポイント。こうして見返してみれば、矛盾を抱えながら行動してたのはキラやカガリ(らアークエンジェルサイド)とシンだけじゃなく、議長もだったんだな。運命に諦観する世界を作ろうとしていながら、自分自身はまったく運命に諦観していなかったという矛盾。そんな矛盾を、「やめてくれ」と自ら運命を否定することで解消してのラスト。何が正しいのかは分からずとも、作中では運命に依拠した諦観は否定されて決着を迎えます。

・でも、こんなのは、こんなのはもっと嫌だ
・いくら吹き飛ばされても、僕らはきっと花を植えるよ
・それが俺たちの戦いだな
 どんどんと本当の想いと離れていったシンが、アスランに敗北して、ステラと邂逅して、撃たれなかったオーブを見て涙して、ようやっと自分の本当の想いに回帰できたという仕込みを受けてのラストシーン。ついに、どこかでオーブを、綺麗事的な風景を欲していたシンが、あの日キラと出会ったオーブの慰霊碑の前で本音を口にして矛盾が解消されて大団円へ。夕日の記号に彩られてすれ違いを続けてきた三主人公が、アスランが仲介する形でキラが手をさしのべ、シンがその手を握り替えして、朝日の記号に彩られた「相互理解」に着地しての決着。よく見てた視聴者にはずっと分かってた、一番大事なものは同じなのに、様々なパラメータが違ってしまってたがゆえに戦いあっていた三人が、最後は皆が共通する「大事なもの」によりそって想いを一つにして終幕。流れ出す「君は僕に似ている」の歌詞が全てを語っているという美しいラスト。何度見ても、良い場面だ。

・白服キラ
 今回スペシャルエディションで追加された、何かと話題のショートエピローグ。なんか、雑誌ニュータイプでは「熱い友情に燃えるキラとアスランが、こいつになら任せられるとお互いの立場を交換したのではないか!?」みたいなことが書いてありましたけど(笑)、そこまで想像を広げなくても作中の既情報からある程度は解釈可能で、普通に1点は、今作DESTINYのラストは無印SEEDの主要キャラが結局何もできずにただ泣くしかなかったラストとは違って、それぞれが選び取ってそれぞれの戦いを続けていくという結構前向きなラストなので、ラクスも隠居したりせず、プラントに戻って議長の世界を否定した分の責を負って為政に関わる決意を固めた感がある点。そうなれば、ラクスの伴侶であるキラもプラントに渡ってしかりというのがまずあります。あとは、個のキラVS組織のシンという構図が作中にあって、個のキラの方が勝って決着してしまったので、両方の正義を否定する気がない作風としては、別に組織を否定するわけじゃないよということで、個だったキラが今度は組織の面からアプローチしていくという「止揚」を表現してのキラの白服(組織に属した証)なのかもしれません。この辺りは、今度はシンが逆に個としてのアプローチで劇場版で活躍したりしたらそれこそ立場シャッフルによる止揚って感じで熱いと思うんですが、その辺りどうですかね?

●総括
・最終回のコメント欄
 最終回や作品全体のまとめや善し悪しを語り合う以前に、2ちゃんねるにでも張られたのか、基本的なモラルやマナーができてない人が多数乱入してきて自己顕示の毒吐き文を書き込んでいって、どうしようもない感じに。この辺りは本当やめて欲しかった。アニメの非難してる前に、我がふり直せと。なので、当時僕が著しく体調を損ねていたこともあり、1年間も熱心に感想書いてきた作品のわりに、最終回当時のコメント欄は僕のレス無しのまま放置という状態に。最終回を機会に久々に書き込みしてくれた人とかもいたのに、レスできなくてすいませんでした。今になって謝っておきます。
 ただまあ「最後の力」相当の最終回では、キラ(とそのバックにいるラクス)、議長、レイ、タリア艦長くらいにしか決着ついてないよ!というのがあります(何と、FINAL PLUSではない最終回には、最後のメサイア内にアスランがいないのです!)んで、やっぱり、アスランやシンにも分かりやすく決着がついた「FINAL PLUS」の方が最終回としては数段イイと僕は思ってますね。
・回想
 1年を通してコメント欄につきまとった批判の一つが、回想シーンの多さ。まあ、アスランは回想王なんだからいいじゃんなんて僕は思うんですが(笑)、ただ、もちろん尺を埋めるための回想もあったんでしょうが、意外と回想は意味がある場面で使われていたのも多いというのが僕の印象。レイとクルーゼの関係を印象づけるために前作のクルーゼとキラの回想を入れるとか、シンの本当の想いにフォーカスが当たる場面でマユやステラの回想が入るのとかが、そういった必要な回想の例。こういうのは、分かりづらい!という層のために敢えて作り手が入れてる部分なんだけど、分かりづらい!という人ほど回想の意図を解釈せずに、回想が多い=時間稼ぎが多い駄作と単純に結びつけてるのが皮肉な感じでした。むしろ、ここを補完して欲しくて入れてるんだなというのを視聴者が理解した上で、入れなくても分かるから!という観点から批判が来るくらいの世の中になればアニメ大国の日本としてカッコいいと思うんですけどね。残念ながらそんな批判ではなかった感じ。
・バンク
 もう一つコメント欄にてつきまとった批判がバンクの多さ。まあ、この点は妥当と言えば妥当。実際には、ロボットアニメで大変だからバンクがあるのではなく、バンクが使えるからロボットアニメが作られたんだ的な歴史を鑑みるに、一概に否定はできないんですが、ロボットの戦闘シーンのロボ画以外にも沢山ありましたからね。僕的に目についたのが、あのシンがコックピット内で何やら吼える時に使われるバンクと、タリア艦長が「撃てー」的なことを口にする時に使われるバンク。もう、一体何回使い回してるのかと(笑)。今回『砕かれた世界』見て、ああ、このバンクの初出はここだったかと感動したくらいです(笑)。
 ただ、それでも3Dにしないで2D画のロボットバトルで1年ものをやりたいという作り手のこだわりゆえなんで、3D化やバンクが使えないゆえに他の出色な部分が削られるというのには賛成できない所。少しかじった知識だと、アニメ作るのにはバンクを管理する係の人が専門でいるくらい、バンクはあってしかりとして作られてるものらしいですからね。
 バンクの話含め、絵に関してはとにかく視聴者の目(特にオタクの)が肥えてきてしまったのが必然的に批判の多さを招いていたという印象も。絵を1年全部『涼宮ハルヒ』クラスでやれとか、それくらいのことを平気で要求してくる人ほど批判していた感じ。まあ、視聴者なんでニーズの一つとして礼儀をわきまえた上で要求する分には何言ってもいいんですが、1年ものの2Dロボットアニメで高作画を高い水準で維持というのはやはり難しいですよ。その辺りを考慮すれば、80点クラスを常にキープという作品ではなかったですが、業界全体の相対値からすれば十分に及第点はクリアしていた作品だったという印象。それでいて時々インパルスVSフリーダムみたいなぐりぐり動くすごい絵を見せてくれてたんだから、僕的には満足。ストーリーや構成、演出などのその他の出色な部分と相殺されるほどのマイナスイメージは感じないで見てました。
・個人の好き/嫌いと、客観的な世評との誤謬
 「売れてるけど僕的には嫌い」はなんら問題無いんですが、「僕が嫌いだから売れてない」的な流れでの主張をコメント欄によせてくる人が多かったのも気になる点でした。自分が嫌いなものは、世間一般も嫌いに相違ない……というのは、そう思いたいのは分かる気もするんですが、真実とは異なると言わざるを得ない点。そこを誤謬して、なんだかたよりないソースに依拠して作品の評価をネガティブに客観化しようとする人がちょっと目立ちました。個人の好き嫌いじゃなく世間一般の評価を、「その作品がどれだけ沢山の人を楽しませたか/感動させたか」で定義すると、あんまりアテにならない指標としては、「ノイジーな非難屋が集まってるWEB上の感想集積場所での感想」や、「Amazonのレビュー欄(このケースの場合)」、比較的アテになる指標は、「DVDをはじめ、関連商品が売れてるか」、「アニメ誌など、ちゃんとした統計手法で統計をとってる場での統計」、「視聴率」、「二次創作の盛り上がり度(意外とバカにできない)」……などがあげられます(他にも色々あるけど、あくまで僕的にね)。「ノイジーな非難屋が集まってるWEB上の感想集積場所での感想」は、2ちゃんねるなんかは母集団として非難屋気質の人が集まってる点に注意しなければなりません。母集団から負の方向にフィルターがかかってるので、「普通に楽しんでる」層が得る楽しさを基準に客観化するには適切じゃありません。そういった非難屋気質の意見が連鎖して大きくなってあたかも客観的な世評を形成してるかのように錯覚してしまうのも問題です。ネットの特徴として、似たもの同士での連鎖を形成しやすい点がありますが、非難屋が非難屋の意見に左右されてネガティブ評価の連鎖を形成していくのはよくある現象です。自分では何ら気にならなかった点が、非難屋の意見の影響を受けてしまって自分もなんだかマイナス点のように感じられるようになってしまい、結局自分も非難の感想をWEB上にアップしたなんて経験がある人は要注意です。非難の連鎖に巻き込まれて、いつの間にかその中が世間一般の客観だと誤謬するようになってしまいます。もう少し、そういった負のフィルターがかかりにくい情報源を客観を語る時には参照されることをお勧めします。Amazonのレビュー欄も大体同じです。売れてる作品ほど、単純に母集団の増加からノイジーな非難屋が流入しやすくなり、非難連鎖を形成しやすい土壌になっています。『世界の中心で愛を叫ぶ』、『バカの壁』、いずれもメガヒットの書籍ですが、Amazonのレビュー欄は散々たるものです。DESTINYも大体同様の状況。この辺りは売れてる作品ほど、それを非難することで自分がエラくなった気になれるという幼稚なフィルターがかかることは、Amazonを使って商売をしてる人にとっては常識ですので、特にDESTINYの場合はAmazonのレビュー欄をあまり過度に客観的な基準として参考にしない方が良いでしょう(DESTINYの場合と限定するのは、一応参考になるケースもあるから。ただ、この辺りはマーケティング用語におけるセグメンテーションの話をしなきゃならなくなって長くなるので割愛させて頂きます。Amazonのレビュー欄から世評を読むには、結構技術が要るのだという点だけ覚えておいて頂きたいと思います)。で、逆に参考になるのは、やはり一番客観的な指標の権化とも言える、「数字」でちゃんと出る指標です。まずは「DVDをはじめ、関連商品が売れてるか」ですが、DESTINYは売れてます。むしろ、あのレビュー欄の酷評にもかかわらず、AmazonではタイムリーDVD刊行時に上位にランクインしていた辺りからその凄さをうかがい知って欲しい所。他、様々な独自のソースを提示することは可能ですが、何よりも、ディレクターズカット版(FINAL PLUS)の作成、スペシャルエディション4部作の作成、そして劇場版の制作決定と展開してきた事実が、DESTINYも商業的に成功していた証としては理解しやすいと思います(まさか、まったく売れてなかった作品をそこまで商業展開するほど作り手もマーケターも無能だとは誰も思ってないと思います)。次に「アニメ誌など、ちゃんとした統計手法で統計をとってる場での統計」ですが、こちらも雑誌ニュータイプなどでは『涼宮ハルヒ』や『コードギアス』といった後発キラー作品が出てくるまでは圧倒的に作品部門1位を連続更新、キャラクター部門にいたっては、今なおキラとラクスがワンツートップという状況。また、アニメイトの機関誌「きゃらびぃ」の最新号では、放映終了後から1年以上経っているというのに、DVD予約部門の第3位に「自由の代償」がランクインです。これらは、ニュータイプにしてもきゃらびぃにしても、母集団が普通にアニメを楽しんでる層ということで、非難屋気質の人達が母集団のもとでの評価よりは、よっぽど健全で客観性が高い指標であると考えられると思います。そして、視聴率、ですが、これはあんまりアテにならないんですが、とりあえず母集団の総数の多さを知る上では有効な指標なので一応入れておきます。が、単純にビデオリサーチ社が発表する数値よりも、レコーダーにレコードされている分の数値も加算するとより客観的な指標になるという点を踏まえておいて欲しいと思います。これは(確か)いつぞやのIT-メディアか何かの記事で、視聴率では苦戦してると解釈されるDESTINYが、レコーダーの分も集計に入れると一躍善戦してることが分かるという記事を読んだ記憶があります。『プリキュア』や『ONE PIECE』など、もろに子どもに受けてる作品ほど単純な視聴率は高いので、子ども層にはあんまり受けなかったのかなという判断は可能ですが、それでもなお、一映像コンテンツとしては申し分のない母集団を抱えていたアニメとしてある程度客観性のある判断が可能です(勿論、他のアニメ作品との相対値からの判断)。最後に「二次創作の盛り上がり度」ですが、これは作品を観た人における、ヘビーユーザーの割合みたいなものです(よっぽど好きじゃないと二次創作まではやらない)。これも、放映終了後1年以上経っても未だに同人誌が売ってるようなお店に行けば、DESTINYが根強いという事実を感じて頂けると思います(さすがに最近は減少傾向にある感じですが)。
・まとめ
 ……と、ある程度客観的なことを語るにはこのような指標を参考にした方がヨロシイのではないかという話をした所でまとめさせてもらうと、『ガンダムSEED DESTINY』、僕個人としては、オールタイムベストに入る傑作。世間一般としては、通時的にはともかく、共時的には今なお多くの人を楽しませている優良作品(勿論相対評価)といった感じです(通時的にはやはり『ファーストガンダム』とかの方が客観評価は高くなるでしょう)。とか言いつつ僕はDVDまでは買ってないんですが、それも僕が30歳になる頃にSEED〜DESTINY〜劇場版を完全収録したストライクフリーダムDVD-BOXみたいなのが出るんじゃないかと見越してのこと。そして30になった僕は振り返り視聴しながら、また振り返り感想を書いたりするのです。それくらい好き。劇場版も2回くらいはデフォで見に行くと思います。完成が待ち遠しいぜ!

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 ……と、そんな感じで、今回のスペシャルエディションで『ガンダムSEED-DESTINY』を振り返ろう企画は終了したいと思います。皆さん、また劇場版の感想で会いましょう!



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