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 DVDを購入して、アニメ版「CLANNAD」の感想記事をスタートするのに伴い、2004年に原作版「CLANNAD」をプレイ終了した時に書いたまとめ感想を再掲です。完全ネタバレですので、アニメ版の新規視聴者はご注意下さい。
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 必ず、AFTER STORYをクリアしてファイナルエンディングを見てから読んで下さい。まずは何の先入観も無しに、全てが繋がる感動を味わって欲しいかと(^−^)ノ。

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 前に、クラナドにはただ小説を読むのでは味わえない、物語の構造を自分で解き明かしていく楽しみがありますね、なんてことを書いたんだけど、それは本当でした。全てを解き明かした、断片的だったピースが全て繋がったファイナルエンディングの感動はちょっとスゴかったです。

 この辺り、ファイナルエンディングを見た後にまたやると、台詞が変わってる箇所とかもあるそうで、ちょっと幻想世界と現実世界がどういう関係なのか、時系列はどうだとか、込み入った所は僕もよく分からないんですけど、それでも象徴的な部分で何を伝えたかったは僕的にかなり消化できた気がします。

 まず、渚&汐≒幻想世界の少女=風子がEDで見つけた木の下で眠っている少女=全クリア後にタイトル画面で眠っている少女……というのはOKでしょうか。
 ということは、この街の願いが叶う場所=幼い渚の命を救った場所=特にAFTER STORYでオッサン(秋生)さんが守った木の場所=タイトル画面の木の場所……ということです。

 まずなんで渚&汐≒幻想世界の少女なのかってあたりでしょうか。そもそも「&」ってどういうことなのか?なんですけど、僕はやっぱり幻想世界の少女は渚と汐の両方に関係しているんだと思います。渚と幻想世界の少女は渚ストーリーで重なって語られる、AFTER STORYにおいての渚の死後は汐と重なって語られる…という直接的な話でもそうだと思うんですが、それ以上に渚→汐へと変わらない「何か」が受け継がれているというのがこの作品のキーだと思うのです。というのは、クラナドに込められてるテーマとして、「全ては変わりゆく、それはどうしようもないけれど、決して変わらない大事なモノもある」というのがあると思うからです。

 物語冒頭が渚と朋也の「変化」にまつわる会話になってるのもその暗示だと思うんですが、クラナドの物語のほとんどは、このネガティブな「変化」の中で、「決して変わらない大事なモノ」を描くという物語になっていると思うのです。風子は、日常の生活→事故により植物状態、幽体化…という変化の中でも、姉への家族愛は変わらなかった(逆に公子さんも風子への家族愛は変わらなかった)。智代は、朋也と恋人関係の学園生活→朋也と別れての生徒会での学園生活…という変化の中でも、朋也への愛は変わらなかった(あのED今思うと結構いいですね)。杏は、朋也と友人関係の生活→朋也と椋がつき合い始めての生活…という変化の中でも、朋也への想いは変わらなかった。ことみストーリーならば、庭に象徴されることみの両親との幸せな暮らし→両親の死…という変化の中でも、両親から娘への愛は変わらなかった(時間を超えてスーツケースと共に届けられた)。春原は、朋也との学園生活→卒業しての社会人としての厳しい暮らし…という変化の中でも朋也への友情は変わらなかった。芽衣は、サッカーをやって輝いていた兄→サッカーをやめて堕落してしまった兄…という変化の中でも春原を慕う気持ちは変わらなかった。勝平ストーリーならば、スプリンターとしての輝かしい時間→ガンのための闘病の時間…という変化の中でも、勝平は椋の勝平への変わらない愛という足以外の大事なモノを見つけた。芳野祐介は、輝かしいミュージシャン→街の電気工…という変化の中でも音楽(街を歌う)という大事なものは変わらなかった。そしてとどめに有紀寧の作中重要台詞、「それは…人の心がかわってしまったからではないでしょうか」は、人の心が変わってしまったことをネガティブに捉え、それに代わる変わらない大事なモノがあることを示唆しています。

 そんな感じで、メインストーリーである渚物語においても、この「変わらない大事なモノ」がキーになってると思われ、それが、渚→汐への変化の中でも変わらずに受け継がれていた…というのがこの物語の核だと思ったのです。その「変わらない大事なモノ」が幻想世界の少女に象徴される形になってると思うので、渚&汐≒幻想世界の少女ということになると思うのです。

 物語冒頭、「なにもかも……変わらずにはいられないです。楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ。…全部変わらずにはいられないです」という「変化」をネガティブに捉える渚の言葉に対して、朋也は「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ。あんたの楽しいことや。うれしいことはひとつだけなのか?違うだろ」と「変化」をポジティブに捉えた言葉を返します。それが全ての始まり。
 ところが、変化をポジティブに捉えてた朋也なんだけど、AFTER STORYの中頃から、自分自身が街を変えていく仕事をしながら、街が変化していくことに不安を感じるようになり、それと平行して渚との幸せな暮らしに変化が訪れることに不安を感じるようになります(この街の変化と渚との幸せな暮らしの変化とが平行に進んでいくのが実は重大な伏線なんだけど)。「変化」をポジティブに捉えてたハズなのに、いつの間にかネガティブに捉えるようになっていく。そして、抱いていた不安は的中し、最もネガティブな変化である渚の死が訪れてしまう……と、ここまでがAFTER STORYの一番辛いタメの部分だと思います。
 だけど、勿論最後にはそんなネガティブさを覆す昇華が描かれて、それが、朋也がどんなネガティブな変化の中でも変わらない大事なモノを、渚が残した汐の中に見つけるという部分だと思うのです。

 朋也が汐の中に見つけた大事なモノはなんだったのか、渚から汐へと受け継がれる幻想世界の少女が象徴していたモノは何だったのか。それは、朋也は渚と同じように汐を愛せることを知ったというのがポイントで、それは、それぞれの登場人物が持ち続けた変わらない大事なモノと同じで、すなわち家族愛だと思います。
 上の方で書いた、各登場人物があらゆるネガティブな変化の中でも持ち続けた、変わらない大事なモノはほぼ全てが家族愛という言葉に合致します。ここで、タイトル、CLANNADに繋がります。春原の友情とか、芳野の音楽(街を歌う)とかは家族愛と少しズレるんじゃないかと思うかもしれませんが、それはファイナルエンディングで「家族」という言葉の意味が拡大されるんで大丈夫です。「この街の皆が家族」みたいな言葉が語られ、「家族」=「街」となります。

 ファイナルシーン。変化しつづける街の中で秋生さんが守った木の場所で、作中でもっとも幻想世界に近い所にいた風子が一人の少女を見つけます。人の心が変わってしまったために崩壊が始まってしまった世界から、朋也は少女を連れ出すことが出来たんだというラスト。どんな変化の中でも変わらない最も大事なモノ、家族愛(渚と汐)を守ることができたんだというラスト。このラストの美しさは、ちょっとスゴい。

●追1
 クラナドの何がスゴいかって、「だんご大家族」が実は作品の一番大事なテーマの伏線だったってことだよな。ギャグモードの小ネタだと思ってたら、最後はそれに泣かされてしまうという。

●追2
 藤林杏がスゴい肯定的に描かれてるポジションにいると思う。AFTER STORYで保育士になって家族愛の象徴(子供)を守る仕事をしてるってのも。AFTER STORYに杏が出てきたところ何か泣きそうになったわ。朋也が立ち直りかける絶妙のタイミングで出てくるんだもん。

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CLANNAD -クラナド-

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