2008年05月10日

『漫画をめくる冒険』を読んだ

 いずみのさん『漫画をめくる冒険――上巻・視点』をさっそく読んでみました。
 送り手(漫画家)とか受け手(読者)とか関係なく、「漫画」に関わる人、「漫画」を愛する人には是非手にとって読んで欲しい一冊。
 ◇

 と言いつつ、漫画を愛する人に送る「漫画論」の読み物としてよりも(「漫画論」としての価値はもう前提になっている感じ)、「主観と客観」という古典的には哲学の分野、最近では認知科学の分野に至るまで長きにわたって重要視されているテーマに関して新しい知見を提出している読み物としての側面の方に個人的には目が行きました。

 これは、本の中で『School Rumble』の考察(というよりはもはや解体と再構築)あたりを通して確認されている人間の主観性のお話から絡めれば、僕が纏っている主観のフィルターからこの本の世界を覗いてみると、「視点」に関して掘り下げたそういった認知科学的な方向でのアカデミックな風景に目がいくからなんですが。

 「あとがき」で学際的な広がりはむしろ歓迎みたいなことを書かれているので、本当漫画論とは少し離れた学際的な視点からの感想を書いちゃいますが、僕が言語学の分野でやっていた(やろうとしていた)こととの類似性に一人で驚いていました。なんというか、言語学と漫画論と表面上のジャンルは違えど、僕の修士論文と内容が近くて驚きました。

 人間の知覚は主観性にギアが入る(と僕は呼んでいますが)時と客観性にギアが入る時とがまずあるというのを前提にしながら、だけど主観と客観の中間にギアが入っているような中間の知覚を持っていることもあって、主観から客観、時には客観から主観へ行ったり来たりできるということを、いずみのさんは漫画における「視点」という切り口から切り取り、僕は日本語の文法という切り口から切り取った、みたいな。

 漫画に描かれるイメージにおける「主観ショット」「客観ショット」「身体離脱ショット」という三つのタームが、それぞれ僕が日本語文法研究で使っていた「主観的表現」「客観的表現」「主観と客観の総合表現」という三つのタームにほぼピッタリと当てはまった時は何事か!と思いました。

 いや、まあ日本語文法研究の分野で最初にこの三つの概念を区別したのは時枝誠記(1950)で、僕はそれを近代的な理論に当てはめてリファインしただけなんですが。この本でいずみのさんが参照元にしたジャン・ミトリが1965年ということで、主観と客観の問題を意識的に持ち込んだのは、映画研究の分野よりも日本語研究の分野の方がちょっぴり早いみたいですね(←別に勝ち負けでは無いし、「主観と客観」の問題自体はもっとすごい昔から西洋哲学でも論じられている)。

 既に哲学や認知科学の基本的な素養が無い人には意味不明の文章になってると思いますが(汗)、「主観ショット」「客観ショット」はまあいいとして、「身体離脱ショット」というのが、描かれている視点キャラに読者が感情移入して、僕が言う所の主観性にギアが入った状態にもなれれば、やっぱり一歩引いて描かれているキャラ(主観性にギアが入ってる時は視点キャラ)とキャラが掛け合っている所をある種外から眺める感じで、客観性にギアが入った状態でも読むことが可能なショットな訳だと思うんですよ(「「半・主観」でありつつ「半・客観」でもあるのが、身体離脱視点です」って42Pにかなりモロに書いてありますが)。そういう柔軟性が人間の知覚にはあるから、終盤で論じられているような、漫画を読みながら一人のキャラの視点に入ってミクロに感じたり、別のキャラの主観から見た風景を知覚できたり、それらを統合したマクロな視点で読んだりということが我々読者はできるのだと思う訳です。

 僕はそういう主観と客観が行ったり来たりな所に非常に注目して、それが人間の知覚において重要な言語知覚の部分、特に文法の部分に何らかの影響を与えている(あるいは逆に言語にそういう特性があるから人間はそういう知覚を持ってるのかもしれないですが)のではないかと仮説を立てて、データを集めてある程度証明したんですね。

 日本語における主観的な表現としては「恋しい」、客観的な表現としては「大きい」、主観と客観の総合表現としては「面白い」を例に取り上げたりして。

 この三つ、いずれも従来型の分類では同じ「形容詞」なんですが、「恋しい」は主観性にギアが入ってる時に使いやすいし、「大きい」は客観性にギアが入ってる時に使いやすい、「面白い」はその中間、みたいな感じにまずは概念を定義して、で、実際にその違いが文法の差異に現れているデータを挙げた訳です。

 一例をあげると、

・太郎が犬が恋しい。

 は、(A)太郎が、(→犬)な感じで犬という対象に「恋しい」という感情を抱いている解釈になるけれど、

・太郎が犬が大きい。

 は、(B)太郎が飼っている(所有している)犬が大きいといういわゆる二重主語構文の解釈になるとかね。

 で、その中間・両方と定義付けした「面白い」に関しては、

・太郎が犬が面白い。

 は、太郎が(→犬)な感じで犬という対象を「面白い」と思っているという(A)の解釈と、太郎が所有している(飼っている)犬が面白いという(B)の解釈と、両方の解釈が出るじゃん。ほら、やっぱり主観と客観は文法に影響を及ぼすし、その中間状態の知覚は、文法解釈においても両義性が出るじゃん。主観と客観、およびその総合は、それぞれ文法事象にも写像されて影響を与えているじゃん……ということを他にも複数の事例をあげながら立証していったりしていた訳です。

 で、いずみのさんがやっているのも、実際の主観ショットの絵をみせて、やっぱり主観視点で読者は見るじゃん。実際に客観ショットの絵を見せて、やっぱり読者は客観視点で見るじゃん。そして、身体離脱ショットを見せて、やっぱり読者は主観視点で見れもすれば客観視点で見れもするじゃん……という検証・立証作業なんですね。リーダビリティが高くてすいすい読めるんでスルーしてしまうかもしれませんが、ヒジョーにアカデミックな、というか科学的なプロセスを踏んでおります。

 この辺りの豊富な絵の事例(主に漫画のカット)は、実際にこの本を手にとって見てみるのを本当お勧めしますよ。あ、確かに今描かれている視点キャラに合わせて僕主観的になってる……みたいなエンターテイメントな体験ができますんで。

 ちょっとアカデミックな、しかも自分のフィールドの話に話が飛びすぎましたが(汗)、グッと漫画や創作物全般のお話に戻すと、それくらい、有名な小説の人称問題に関するトピックからいずみのさんが検証している漫画の映像に至るまで、「視点」というのは、人間に備わっている上述した主観と客観と及びその両方の知覚に基づいて、物語を観賞する時には重要な役割を果たしているのです。この辺りの知のダイナミズムをグっと感じ取って欲しいですよ。僕は上でつらつらと書いてきた自分の土台があったのでそれとの対応っぷりに驚いた感じですが、この本でそういった主観と客観のダイナミズムを初体験する人は、それだけで新鮮な感動が感じられるんじゃないでしょうか。

 言語のみならず、人間の認知全般にわたる「主観と客観」に関する博士論文クラスの研究論文をいつかまとめたいと思っているのですが、この本は間違いなく参考文献に載せますよ、僕は。こうやって僕が日本語の分野でアプローチしていた主観−客観にまつわる認知と、この本に出てくるような漫画の視覚映像的な主観−客観の認知が、同じ認知基盤から発生していたら……とか。僕が抽出した主観的な文法表現の例を被験者が読解している時と、漫画の主観ショットを被験者が見てる時の脳の活性化の部位をMRIとかで検証してみたら、同じ所が活性化してるかも?とか、そういうのが分かっていけば言語療法とか認知療法とかの分野にすごい貢献できるよな、とか。いい意味で夢が広がる本でした。や、まだまだこれから!なお話ではありますが。漫画をめくる冒険はまだまだはじまったばかりだ!(←ジャンプの打ち切り漫画風)な感じで、(打ち切りじゃなく)次に期待したいです。いずみのさんの仕事のみならず、それを読んだ色々な人の前進も込みで。

P.S.『School Rumble』に代表される誰の主観のコマなのかを絵柄・画風・作画を変えることで表現するという技法は、アニメでは作画の統一感が求められるので難しいようだと書いてあった部分は、僕の知ってる限りの経験に照らし合わせると、同時代の作品として、『ガンダムSEED〜SEED DESTINY』でそれと似たような表現に一部チャレンジしてるのが見受けられる箇所がありました。SEEDシリーズもシン・アスラン・キラの三人の主人公の三視点が入れ替わりながら進み、かつ彼ら三人のディスコミュニケーションが主題になっている作品ですが、キラ視点の場面で味方ぜんとしてカッコよく出撃する様が描かれているフリーダムガンダムが、時としてアスラン視点からフリーダムガンダム自体が非道く悪人顔で描かれるなんて演出がありました(その時はキラにアスランの機体が撃墜された時のシーンなので、アスラン視点から見るとキラのフリーダムが敵に見える)。そう考えるとSEED-DESTINYも三主人公のディスコミュニケーションを描きながら、最終回の最後の最後にはじめて三人の主観が通じ合う、コミュニケイトするまでを描いた作品だったなぁ。

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