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 マクロスフロンティア最終回「アナタノオト」の簡単なネタバレ感想メモです。
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・一枚一枚カードをめくる度に物語が進行して絵が完成していく、だけど最後の一枚(最終回)をめくった時、それまで見えていた絵の風景が一変し、新しい絵が目の前に現れる、そしてそれが美しい、という近年の作品にはよくあるパターンだったんだけど。
・最近では色々な作品に触れてきた慣れか、物語の途中で最後の一枚の意味、最終回でどういう風景を見せる気かに気付いてしまうことが多かったんだけど、マクロスフロンティアはとても良いこと?に、気付かないまま視聴できた。気付いてた人も沢山いたんだろうけれど、僕は上手い具合に作り手に騙されることができていたので、最終回で素直におおー、と出てきた絵にサプライズしつつ、なるほど、綺麗だ、と思えた。
・ようするに、僕はちょくちょくつけていた感想メモで、「飛ぶ」「歌う」という二つの行動がマクロスフロンティアの作中是で、それを「飛翔衝動」という言葉で呼んでいたんだけど、最終回で明らかになった最後のカードとは、そもそも何で「飛翔」するのかというもの。
・それまでは「フロンティア」という作品タイトルも相成って、あくなき開拓精神というか、高みへ至る意志、みたいなのが「飛翔衝動」なのかなという絵を上手い具合に騙されて見ていたんだけど……
・最終回のカードをめくってみたら、出てきた絵はそうではなかった。つまり、出てきた真の絵、「飛翔衝動」の真の理由とは、「誰かに出会い、愛したい、愛されたいため」だった!という種明かし。「飛ぶ」のは飛んだ先に誰かと出会い、愛することができるかもしれないという願いのためだったし、「歌う」のは、その歌を伝えたい誰かがいるからだった、と。それを伝えるための、「アイモ」は求愛の歌だった、バジュラでさえ、誰かを愛するために「飛び」、「歌って」いたというギミック。これはやられたわー。
・このパターンの物語構築法に上手くハマった時の特徴として、最後のカードが明かされた瞬間、それまで見えていた絵の意味が、それまでの物語分、別の絵(最終回で明かされた真の絵)にだだーっと意味をもって変わっていく、繋がっていく圧倒的な快感というのがあるのだけど、この作品ではこれが上手く体験できた。
・全部は書ききれないけど、アルトの「家」問題も、「飛ぶ」って言っていたのが「家」からの「逃げ」のように映っていたのが、というよりは、母親の死というトラウマ(アルトが家を忌避するようになったのは母親絡みなのが大きいのは要所要所の描写から確か)から次の場所へ飛んでいって誰かに出会うためだった、愛する、愛される可能性がある人に出会うためだった、それが「飛ぶ」の根底だった、そしてシェリルとランカに出会ったのだという。
・シェリルの「歌う」も同じで、上昇志向とか、そういうのが根底にあった訳じゃなくて、根底にあったのは、「歌う」ことで伝えたい誰かに出会いたいという願い。そうしてアルトに出会ったのだと。
・ランカもシェリルへの憧れだけじゃなくて、伝えたい誰か、伝えたい他者に出会いたいから「歌う」ことをしたんだと。そして、ランカの場合はアルトに出会っただけじゃなく、ダイレクトにマクロなお話にもかかってきて、バジュラも、人間も誰かに出会いたいから、出会えるかもしれないから、宇宙に出て「飛び」続け、「歌い」続けているんだと。そうして人間はバジュラに、バジュラは人間に出会ったのだと(この辺りは現実のフロンティア、っていうかアメリカ開拓史も想起されるようにしてるんじゃないかと思いますね。フロンティアスピリットを暴走させればグレイス的な進歩主義が行きすぎた全支配志向になるし、出会った者と理解し合おうという意志があれば、最終回の視点側の相互理解エンドにもなれる、みたいな)。
・という訳で、作中で何度も絵的に印象的に使われてきた、閉塞空間を壊して飛翔する絵、閉塞物を突破する絵も、あくなき飛翔衝動を表現していたというよりは、閉塞、束縛することで一つの場所に押しとどめておこうとする圧力をネガティブに描いていたのだと。何故なら、そういう圧力で縛り付けられていたら、それは誰かと出会い、誰かを愛する可能性を著しく狭めることになるから。それを打ち破って、誰かに会いに行く、誰かに伝えるのこそが、作中是たる「出会いたい」衝動、「伝えたい」衝動だったと。
・なので、一部意味合いを読み切れてなかった部分もあるけれど、序盤でランカの歌に反応したバジュラを三島が水槽のようなものにシャッターを下ろして閉じこめるという描写があったのは、バジュラの(ランカに)出会いたいという願いを、三島が束縛したという比喩的なネガティブ描写だったということ。まああの時点で出ようとするバジュラが是で、閉じこめようとする三島が否という所までは読めていたので良かった。そして、そこに最後のカードで新しい意味を発見できて、個人的には願ったり叶ったりな視聴経験だった。
・そう思うと物語の途中の要所要所にあった、絵的に閉塞した場所を突破して登場人物が飛翔していくという比喩表現が十全に詰まった絵も、単純に閉塞空間を突破したいという意味だけじゃなく、突破して、その先にいる誰かに会いたいという場面がほとんどだったと気付かされて驚く。
・この比喩描写関係では、最終回でもランカの束縛がシェリルの歌で解かれるシーンと、最後のアルトの本当のテーマ解説シャウト(笑)シーンでヘルメットの前面部(今までも何回もあった閉塞物の比喩)が割れる演出が入ったのが個人的にかなり鳥肌演出だった。
・という訳で、ただ飛翔すればいいという訳じゃなく、自分がいて、誰か他者に出会いたい、愛したい、愛されたいと願うことの大事さというものがテーマだったと明らかになったので、当然、自分も他者も無い宇宙を作って支配者となって君臨しようとしているグレイスがラスボス。
・で、今まで仲悪かった(笑)、二人の歌姫のメドレーデュエットをバックに、人類とバジュラ、アルトとブレラの共闘が描かれて、そんなグレイスを撃破というのが、もうこれしかなかったんじゃないかという展開だったんじゃないかと。そういった飛翔衝動改め「出会いたい」衝動に添って進み続ければやがて誰かと出会い、最初は敵対するかもしれないけれど、やがて理解もし合えるだろう、というのが十全に出ていたラストバトルの絵で、大変良かった。
・ギュウギュウでしたが、物語作品というより視覚エンターテイメントだった気がするので(絵や音に色々比喩させて表現していく所とか)、そういう観点からまぎれもなく一級品のエンターテイメントだったと思います。やー、わりと軽い気持ちで視聴しはじめたんだけど、楽しかったなー。
・監督さんをはじめスタッフの方々、お疲れ様でした。そしてありがとうございましたー。

マクロスFO.S.T.2 「娘トラ。」

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