●エヴァとヱヴァ
(ネタバレ反転→同じストーリーでも、シンジ君をはじめ、主要キャラの「意志の持ち方」が違うことで、異なるエンディングに向かっている

●仮面ライダーディケイド
(ネタバレ反転→過去の原典のストーリーをなぞりながらも、士が介入することで、原典主人公の「あり方」が少し変わって新しいエンディングになる
●ツバサ&XXXHOLiC
(ネタバレ反転→写身小狼と写身サクラがループする「閉じた輪」の中にいる。そして、決断が世界を決めるというのは、作品全体の主題にまでなっている感じ。また、オリジナルCCさくらちゃんがピンチで力を貸してくれるなど、ディケイド的な方向を何年か先に構想していたフシがある作品

●涼宮ハルヒの憂鬱&消失
(ネタバレ反転→ハルヒがいる元の非日常的世界と、北高にハルヒがいない普通になってしまった日常的世界とで、どちらを選ぶかが主人公のキョンの選択に委ねられる

●CLANNAD
(ネタバレ反転→ループする世界の中で、主人公が光(家族愛の象徴)を集められるかどうかで、渚(&汐)死亡エンドと生存エンドが分岐する

●リトルバスターズ!
(ネタバレ反転→理樹と鈴だけが、虚構世界を繰り返している。現実の悲劇を回避するためには、理樹と鈴の決断を要する

●ひぐらしのなく頃に(&ひぐらしのなく頃に解)
(ネタバレ反転→梨花と羽生が繰り返すループ世界の中で、悲劇を抜け出すには、梨花と羽生の立ち向かう意志、圭一の存在、仲間に相談すること、などなど、全ての要素を集めないといけない。そうしないと鷹野の意志を乗り越えることができない

 物理学における多世界解釈自体は、ヒュー・エヴェレットが1957年に量子力学の観測の問題に関するテーゼとして創始したものです(山田正紀『ミステリ・オペラ』で知った人も多いかも)。それ以降、SFの世界に採用されて様々な作品に用いられてきたのはある程度本を読む人の間では有名なので、こういう作品がとりわけ「新しい」訳ではないです。

 けれど、今の時代に一線のフィクションクリエイターが同時多発的にこのネタを用いて作品を創り、かつユーザーにも受け入れられている(上の作品はどれも一定以上のヒット作)というのには何か時代的な意味がありそうです。

 東浩紀氏が、この↓仮面ライダーディケイドに関するエントリで「かつてエヴァンゲリオンを見たとき、またKEYのゲームに接したときと同じ質のものをここに感じている。これはなにか事件が起きているのではないか。」と書いているのも、そのような感触からではないでしょうか。

ディケイド2/東浩紀の渦状言論 はてな避難版

 僕も「なにか事件が起きている」感触を得ています。東氏のデータベース理論は、エヴァという原典のデータベースから、シミュラークル(例えば二次創作同人誌)が生まれて創作が回っていくみたいな話でしたが、ディケイドもヱヴァも、シミュラークルに留まらない「可能世界」を僕らに突きつけて、原典の意味を再構築している感じ。そこに、原典とシミュラークルとの優劣はなくなり、どっちがデータベースでどっちがどっちを参照しているという関係性も無い。何か、新しいフィクションの可能性が胎動しているのを感じます。

 下記のRubyGillisさんのディケイドに関する記事↓も興味深いです。キャッチコピーになっている「世界の破壊者」は、データベースとシミュラークルみたいな関係ではまだ存在していた、「原典の絶対性」みたいなものを破壊したのかも知れない。

仮面ライダーディケイド 第24話「見参侍戦隊」/穴にハマったアリスたち