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 アニメ『Angel Beats!(エンジェルビーツ)』の感想です。DVDでようやく全話視聴が完了したのでした。
 ◇◇◇

 ラスト2が凄い好き。

 作中に二つのベクトルがあって、それは「幸せ? ふざけるな、私達は理不尽な目にあったんだよ」という怒りのような感情と、でももう一つは「だけどやっぱりありふれた幸せはきっと尊い」という真逆の感情。

 この二つがシーソーゲームしてる希有な作品でした。後者のありふれた幸せに報われてしまったら成仏してしまうし、かといってずっと怒りを胸に戦い続けることが正しいのか、というようなお話。なんとなくですが、クリエイターに必要な要素の一つはやはり前者の怒りのようなもので、麻枝さんも何かこういうもの持ってるからあれだけ痛切な作品が作れるんだろうな、と思いました。

 ラスト2のゆりの感情線が何転もするんだけど、そのどれも正しいと思わせてくれたのは流石。

 まず影に飲み込まれてNPCになりかけて、ありふれた幸せな学園風景の中にゆりは溶け込みかけてしまう。だけど、そんな幸せ、受け入れられますかね? と、ゆりはそこから出て来てしまう。ざけんな、普通の幸せとか、それが許せるんなら、なんで私は理不尽な目にあったんだ。という。この気持ちは非常に理解できる。

 ラストの、胡散臭いハートマークが映し出されるコンピュータ群を、ゆりが機関銃で撃ちまくるという絵は何か凄いものを描いていました。みんなが小綺麗に口にする「愛」の胡散臭さと、それで幸せだと言えてしまう普通の人達への、理不尽な目にあった側からの反撃。

 なのだけど、最後の最後にもう一転してしまう。だけど、こんなにもゆりが怒りを胸に戦ってきたのは、仲間を、「死んだ世界戦線」を(精神的に)守るためだったと、機関銃で全部打ち壊した時点で、ゆり自身が気付いてしまう。守れた、と報われてしまう。こんな気持ち、仲間が大切で一緒にいて楽しいとか、それはもしかしたらついさきほど自分が否定した、ありふれた幸せと同じものだったんじゃないか……と。結局自分もそれを欲していたのか……と。泣きじゃくるゆりの絵からエンディング突入の所は凄い。「犠牲者側の反逆」だけではない、もう一歩先を描いている物語でありました。

 ◇◇◇

 と、ここまででも凄い作品なんですが、実は最終回、特にCパートで、もう一つもの凄いものを描いていた作品でした。というか、そっちがこの作品の核心。

 個人的に、僕はずっと色んな所で、「埴谷雄高の『死霊(←一般的に超難解だと言われる形而上学小説)』も何となく分かるんだけど、『AIR』のラストシーンの意味だけはいくら考えてもよく分からない」と色んな人に言ってきたんですが、今回同じ麻枝さんの『Angel Beats!』を見て、ようやっとフと全てが繋がったように理解できました。そして震えました。『AIR』も、もの凄い作品だったんだ、と。

 けど、その解釈の解説は具体的には書かないこととします。僕が『AIR』初プレイから6年くらいかかった理解を簡単に教えてしまうのも何か勿体ないというのもあるし、どこか、何か大切なものを描いていると感じた人は、一生かかって読解してみた方がきっと良い作品だとも思うので。

 という訳で、この記事の終わりは、以下に『Angel Beats!』最終回の断片的なヒントだけ(『Angel Beats!』最終回が、『AIR』のラストに関しても凄い読解資料になってます)。


・Cパートのシーンは何なのか(ちょっと救いを描いてみたを越える意味がある)。
・DVD最終巻収録の「ANOTHE EPILOGUE」は、読解の補助映像(たぶんファンサービスと言うより、送り手側が少し分かりやすいようにとヒントをくれたんだと思う)。
・何故最初に音無と出会ったのはゆりなのか。
・「ゆりじゃなくて奏がヒロインじゃん」みたいな感想を見かけるけど、それはもちろんそうなんだけど、実は音無とゆりにも、表面的に描かれている以上のものがある。やはり、ゆりもヒロイン。
・最終回の消える順番が重要。特に「奏よりゆりが先に消える」順番じゃないと、この作品の世界構造は成り立たない。


 去年出会った一生ものの作品です。
 ではでは!

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Angel Beats! オフィシャルガイドブック
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