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 アニメ『STAR DRIVER 輝きのタクト(公式サイト)』第25話(最終回)「僕たちのアプリボワゼ」感想です。
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 お話のポイントとなる、色んな所で繰り返されてきた「3人」構成と、「3人の中の一人に破滅がつきまとう」構成。過去編の3人では空を飛ぼうとした少年は死んでしまったし、劇中劇「神話前夜」でもコルムナは破滅してしまった(もちろんコルムナはヘッドにかかっている)。空とか銀河とか目指すと破滅してしまうんだよ、という中、劇中劇ではなく本作『STAR DRIVER』では、コルムナを演じたスガタが、コルムナそっくりに王を「演じ」つつ、その実自分が犠牲になってザメクを封印して終劇に向かおうとする。犠牲は出るが、空や宇宙に惹かれて破滅するのとは違う、サイバディの力を開放するという銀河は目指さないという結末、にいったん終劇しかける。

 なんだけど、ラスト5分でタクトがそれを覆すのがカッコよかった。タクトが目指した結末、「神話前夜」の脚本家の部長でさえ「予測不能」とした結末は、「銀河に出て、かつ犠牲も出さない」というもの。イカ刺しサムにもコルムナにも空を目指した少年にもヘッドにもできなかった結末。タクトにだけは、それができる、というのが熱かった。タクトの第1フェーズとかで、理由付けされているのも熱い。これはたぶんワコは「笑顔にすること」が第1フェーズと言っていたけど、本当は「何か見える」方が真の第1フェーズなのかもしれない。リョウスケやキャメルスターの第1フェーズとタクトが対照される描写が劇中にあったので、タクトも何か見る力を持っている。最後の「俺には見えている」連呼が、実際何が見えているのかよく分からなくても、勢いでタクトが見ているものが何となく視聴者にも伝わってくるのが熱い。

 逆転劇の始まりのワコの封印解除。「巫女の封印を解く」はイニシエーション(儀式)としての処女喪失みたいなのも暗喩になっているんでしょう。ようは、劇中で繰り返し用いられてきた、密室や秘匿空間から外へ、空へ、というのは、「大人になる」ことの比喩でもあった、と(そして最終回のシモーヌの語りのように、未成熟な人類(子ども、青春時代)と、サイバディの力をしっかりと使える進化した人類(大人)もここにかかっている)。

 辛気くさいヘッドは大人になれなくて、ザメクの力で永遠に青春を何回も繰り返すとか、しょうもない(笑)目的のラスボスだった訳ですが、タクトは銀河に出て、サイバディの力も開放して、大人になった上で、それでかつ青春を謳歌し続けてみせる、と。

 ラストの、この先もこれより素敵な星空を見つけ続けるんだ、という確信が、後ろ向きな過去にとらわれたヘッドの「ずっと青春」とは違う、未来に向いた大人になりながらの「ずっと青春」みたいで、物語冒頭のタクトの「青春しにきた」という当初の目的がスケールアップしてピタリと最後の1ピースにハマリ、大変綺麗だと思ったのでした。(特にオリジナルのロボットアニメとして久々に)堪能した素敵な作品でした。



STAR DRIVER 輝きのタクト Blu-ray BOX
宮野真守
アニプレックス
2013-01-23


→前回:第22話「神話前夜」の感想へ
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