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 ニコニコチャンネルの公式配信(こちら)で少し遅れて視聴した『魔法少女まどか☆マギカ』第12話(最終回)「わたしの、最高のともだち」の感想です。
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 結局、第1話でほむらが提示していたような「ありふれた幸せな日常」をまどかは捨ててしまって、何やら神様的なものになってしまう、というラスト。

 全体的に大人の無力感を感じました。作中で成熟した魔法少女と言及されている通り、魔女は絶望した大人の比喩だと思うんですが、一方で日常で一生懸命頑張ってる大人の代表であるだろうまどかのお母さんも、最終的にはまどかをそっちの「日常で頑張るエンド」には導けなかった。

 少女と大人の対照で観てみるなら、大人の部分をすっとばして、少女から神様的なものに一気になってしまったエンド、という感想を持ちました。お母さんがほむらの元に向かうまどかを止められなかった辺りが個人的なヤマでした。まどかが決めた願いが魔女(絶望した大人)を滅ぼしたいというのも、解釈によっては凶悪。

 歴代の魔法少女に卑弥呼やジャンヌっぽいのも描写されてる辺りから、確かに少女性とこういう神性が結びつきやすいというのは歴史的事実だったりも(研究もあります)。これが虚淵さん的な一つの少女性(聖)の解答です! ってことなのかなー。

 個人的に一番全12話観てきて良かったなと思ったのは、さやかのラスト。やはり、少年のことに関してやり直しはできない。まどかの願いの神的な力で全部なかったことにもできるのだろうけど、破滅に辿り着いたとしても正義の味方を唱えて頑張ったさやかの過程、がんばりはホンモノだから、それをなかったことにはしない、というエンディング。世界の選択と恋愛要素としての異性の選択がリンクして描かれることが多いのがゼロ年代で「ループ」をギミックに使った作品には多かったですが、そういう意味では、少年は異性の選択としては仁美を選択した。それでも、破滅に辿り着いた選ばれなかった側のさやかルートのがんばりは尊重したい。作中に何度も印象的に(比喩映像としても)出て来た「選択肢」のギミックが回収されていたと思いました。選ばれた人がいるということは、選ばれなかった人がいるということ。第1話でまどかのお母さんは選ばれなかった側のトマトが落ちるのを受け止めたけど、まどかがさやかに対してそういう役割をしてみせた、とも解釈できそう。キャラクターではさやかが一番好きだったかなー。

 また、このラストで、杏さやエンドもあれは微妙なすれ違いエンドで、それゆえにいっそう綺麗だと再確認しました。杏子がさやかの救済役として当てはまるなら、ラストエンディングでも杏子がさやかを救ってくれそうなものなんだけど、そうはならない。さやかは破滅したからこそ、その過程の部分の尊重のみで救われている。

 だから、「いっしょにいてやる」というあのシーンの杏子の気持ち、言葉は、やっぱりさやかには届いていなかったんだなと。杏子はさやかに投影した父親と、父親を尊重し続ける自分を救うためにああいう行動に出ただけ。その行動に対しての、さやかからのアンサーはついぞ描かれませんでした。だけど、それが美しい。私だけはさやかの気持ち分かる! ありがとう杏子! 相互理解、救われました、めでたしめでたし、では、急に浅くなってしまう所でした。あのシーンは、微妙に通じ合えてない感が美しい。ええ、pixivで杏さやイラストとかあると思わずブックマークしちゃいますね(えー)。

 堪能した全12話でした。1クールでこんだけしっかりしたアニメ作れるんだなー。視聴者を翻弄する感じで進んで、10話からいわゆるミステリ的には「解答編」に入る構成なんかも上手いなと思って観ていた作品でした。

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→前回:第9話「そんなの、あたしが許さない」の感想へ
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