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 今夏の最終話公開(予定)に合わせてブログにて再連載中のオリジナル小説『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』の続きです(最初から読む場合はこちらの目次記事から)。
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 以下が今回掲載分の小説本編となります。


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 第一話「少女のケニング」18/「過剰エンパシー障害」


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「ぁあぁ」

 怒気をはらんだ奇声を発すると、モトムラくんは彼の中で全てを統べることができた利己的な倒錯世界に綻びを入れたこの来訪者に対して、ナイフを振りかざして突進していく。
 しかし島谷は動じない。
 小指のみを曲げた右手をやや上段に、適度に脱力した左手を下段に構え、悠然とモトムラくんの突進を待ちかまえる。
 モトムラくんのナイフが島谷の顔をかすめようとした刹那、島谷は優美なまでの半円を描き、モトムラくんと体を入れ替える。
 そしてそのまま左手でナイフを、右手でモトムラくんの上顎を押さえると、勢いをつけてモトムラくんをこの閉鎖された空間から外へ向かって押し出していく。

「理子! 菖蒲さんと連絡を取るんだ! きっと警察をつれてこっちに向かってるから! コイツは……、コイツはオレが片づけるから!」

 そう言い残してモトムラくんと共に外へと消えていく島谷。わたしはその残留をしばし呆然としてかみ締める。
 あまりの状況変化にしばらく私の思考が追いつかない。
 助かった?
 突として訪れた静寂の中、モトムラくんに破られた衣服とあらわになった肌を隠すためにジャンパーの前ボタンを丁寧にとめていると、静けさを破るように、リリリとPHSの電子音が空間を爆ぜるように鳴った。

  ◇

「菖蒲さん!?」

 電話の主は当然のように菖蒲さんだった。

「やあ、理子。今、私のコネが通じる範囲の警察関係者を連れてそっちに向かってる所だけど、その様子だと、優希は間に合ったのかな?」
「来たわよ! でも何なのアレ? 素人の動きじゃないでしょ、アイツ。それに、自分のこと『オレ』なんて言ってた」
「ああ、それね。何だ、あなた達はとても親しくなったように見えて、案外話をしていないんだね。察しの通り優希は素人じゃないよ。空手をやっていたんだ。十五の夏までね。硬柔流っていう大きい空手の組織があるんだけどね。それの東北大会準優勝者。もの凄く強いよ」

 初めて聞く話だ。なんだ、アイツ、私にだけあんなに大胆に秘密を告白させておきながら、自分はまだまだ秘密にしていることがあったんじゃないか。

「付け加えて言えば、当時の優希はヤンチャだった。有り体に言えば不良だった。優しい不良さ。だからバイクにも乗れる。あなたのもとに間に合ったのも、私が貸してやったバイクを乗りこなせたが所以だよ。『オレ』という一人称は、その時の名残かな」

 私は、いつぞや島谷と話した島谷の「名残」に関する話を思い出した。あの時はまたテキトーな話をしているんだろうなんて思ったけれど、なんだ、アレは本当の話だったということか。

「ねえ、菖蒲さん。島谷って、島谷って一体なんなの? 島谷が感じているもう一人の自分って何なの?」

 私はそんな意外な一面を持った島谷優希が知りたくて、島谷にとって最も大切で、それでいて本人からはその重さゆえに聞けないであろう疑問を菖蒲さんに尋ねた。

「分かった。優希はあなたの夢を守ると言ったから、あなたには教えてあげる。『自己像幻視』、それが優希が抱えている問題を表す言葉。理子、あなたはドッペルゲンガーというのを知っている?」
「何処かの物語に出てくる、もう一人の自分のことでしょ。何、それって、島谷が感じているもう一人の自分がドッペルゲンガーだってことなの?」
「この世界で語られている分身譚がそのドッペルゲンガーだけなのならば、あるいはその説明だけで納得がいくのだけれどね。残念ながら世界中に存在する分身譚はそれだけじゃないんだ。ドッペルゲンガーが登場するリヒターの『ジーベンケース』をはじめ、ナボコフの『絶望』、ドストエフスキーの『分身』、埴谷雄高の『死霊』、エトセトラエトセトラ、この世界のあらゆる所で、時代を問わず、自己の分身を扱ったもの、あるいはそれに言及した物語はとても多いの。あなたの女子高生フェチズムに関する考察じゃないけれど、これだけ古今東西に同じ題材を扱った物語が存在するとなるとね、そこには何かしら人間存在にとって普遍的な現象が隠れていると考えた方が妥当なんだ。
 そして事実、その普遍現象は存在する。その普遍性とは、ブレイン教会の話じゃないけれど、人間の『自分』認識には二つの側面があるという普遍性なの。すなわち、主体としての『I』と客体としての『ME』、この二つを『自分』認識として人間存在は普遍的に持たされているの。
 理子はこの世で客観的な視点を持っているのは人間だけだという話を聞いたことがあるかな。人間ってヤツはね、幸か不幸かこの客観的な視点っていうのを持ってしまっているんだ。その客観的な対象としての『自分』が『ME』。今こうして考えている主体としての『自分』が『I』。『I』だけが『私』なのだとしたらとても楽だったのだけれどね、人間はこの『ME』としての『自分』をも持ち得てしまっているの。鏡に自分の姿を映してごらん。その鏡に映った『自分』を対象の『ME』として把握できるだろう? そしてそのときそう判断している『自分』こそが主体の自分『I』だ。普段はこの『I』と『ME』は自分でも気づかないくらい統合されているから何ら問題は生じないんだけどね、稀に、いや、これだけの物語に登場し、身近にも例がいるとなると稀にとも言えないのかな……、ある負荷のもとにこの二つが分離してしまう現象が起こり得るんだ。『鏡像誤認』というのだけれどね、鏡の中にいる『自分』を『自分』と判断できず、他者として話しかけてしまうという事例が最近の研究では報告されていたりする。優希の場合は、それの変形さ……、主体であれ客体であれ、分離した『自分』を『自分』だとは判断できるけれど、そこに『本当の自分』である自信が持てない、それが優希の症状。ここまでは分かる?」
「菖蒲さんの説明は少し難しすぎるわ。だけど要は島谷は何かしらの負荷のせいで『自分』を分けなきゃならないハメになってるってことでしょ? 何? 何なの、島谷が感じてる負荷って?」
「さすがに理子とだと話が早い。理子、理子はエンパシーって言葉を知っているかな?」
「エンパシー?」
「うん、シンパシー、同情よりももう少し強力な他者への共感感情。言うなれば他者の痛みを自分の痛みとして感じてしまうかのような共有感覚、それがエンパシー。優希が感じてる負荷、優希が自己像幻視に陥っている原因だけれどね、優希は、このエンパシーが強すぎる、『過剰エンパシー障害者』なんだ。」
「『過剰エンパシー傷害者』?」
「うん、もっともコレは正式な学名ではなく、私が勝手に優希を診断してつけた俗名だけどね。
 話は先ほどの空手の話に戻るんだ。優希にとって十五の夏の硬柔流空手道東北大会準決勝のことだけどね。優希の放った左中段突きが防具の上からにもかかわらず対戦相手の内臓を破壊してしまうというハプニングがあったんだ。幸い相手は命に別状はなかったんだけれどね、逆に打ち込んだ方の優希が過剰に反応してしまった。もとから過剰エンパシーの気はあったんだろうね。だから優希は不良って言っても暴力をふるわない優しい不良だった。相手に暴力をふるえば、ふるった相手の痛みを、自分自身の痛みとして感じてしまうからね。だからこそ空手という防具に守られた世界でのみ暴力をふるっていた。ところが、そんな所に起こった相手の内臓破壊だ。優希は、相手の痛みを自分の痛みとして強く、持ち前の過剰なエンパシーを発揮して強く感じてしまった。優希の自己像幻視が本格的に始まったのこそついここ二、三ヶ月のことだけど、優希から聞いた話から判断するに、優希が初めてもう一人の自分を感じたのは実はその時だ。あまりの痛みに、自分を分離させてしまったんだろうね。先ほどの自己像幻視や鏡像誤認に、多重人格もそう。人間の精神ってヤツは、あまりの痛み、負荷を前にすると、自分を分離させざるを得ない時がある。心は内的な精神機構に隠された「何か」からもう一人の自分という心象を具現化し、それに「存在」を与える。そういうことがあることは、理子も聞いたことがあるだろう? 優希が発作を起こした時をことごとく思い出してみるといいよ。いつだって、誰かが傷つく話題をあげた時じゃなかったかい? この前、私の部屋で発作を起こした時はそうさ。他ならぬ理子、あなたを襲うであろう痛みに優希はエンパシーで反応し、発作をおこしたんだ。自分をもう一人の自分として外に逃がさねばならないほどにね……」

 私は涙をこらえる。あろうことか、私はその後すぐに自分の病気のことを島谷に告げてしまった。その告白は、過剰なエンパシーを持つ島谷の心をどれだけ痛めつけたのだろうか。

「どうして、それなのに、どうして島谷は来てくれたの? そんなんじゃ、傷つけられる私を見るのも、モトムラくんを傷つけるのも、島谷にとっては重い痛みを伴うことじゃないの……」
「そうだね。だけど、それが優希なんだ。本当に自分が守りたい人のためだったら、痛みも耐えて、外に逃がしていた自分をも無理矢理統合してでも駆けつける。そういう男の子だってことじゃないか。私は、そんな優希をとても買っている。どうだい? いつぞやの助言通り、あなたの伴侶としてふさわしい男でしょう?」
「最後に、最後に一つだけ教えて。島谷が未だに自分を分離しなくてはならないほどに苦しんでいるのは何故なの? 人の内臓をつぶしてしまうほどの痛み、もう島谷は感じる必要がないはずでしょう。それに島谷の症状は、言い換えれば『人の痛みが分かる』ってことじゃない。それはとてもイイことなんじゃないの? そんな島谷が、そんな島谷が未だに苦しまなければならないのはどうしてなの?」

 そう聞いた私の最後の問いに、菖蒲さんは声の音調を落とし、少しだけ間を置いて、何かに絶望したかのような口調でこう答えた。

「それはね、人の痛みが分かる者にとっては、少々生きづらいようにできてるってことなんじゃないのかな、今の世の中ってヤツが」

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 本日の掲載はここまでとなります(^_^;

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