サービスシーンもばっちり  畏友、都古さんがpixivで公開している(現在)1000P越えの大作漫画『架聖-CROSS-』。
 夏コミで本も出されたのでこのタイミングで記事にしておきます。

 いつもと違って「である」調で書いてるのは、何となく雰囲気の問題ですので、あんまり気にせず〜。
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 世界観こそ広大だが、『架聖-CROSS-』の構造自体はシンプルである。過去−現在、そしてあるかもしれない未来だ。

 多くのキャラクター達にとっての「現在」、ラズライト院は、しかし同時にほぼ全てのキャラクター達にとって、何かしらあった悲劇的な「過去」を踏まえた上で辿り着いた場所である。

 ラズライト院を舞台にした少年少女の群像劇とも読める本作だが、院の内部で少年少女達は、それぞれに在(あ)った過去を微妙に隠しながら、新しい「花の名前」を与えられて友情に恋愛にと青春を営んでいる。それはそれ自体で価値があることだが、過去と分断されたキャラクター達で形成される異質な空間は、一種の停滞を演出し続ける。院での時間の最後の選択肢として、「花になる」という本当の停滞(と考える者と永遠と考える者が作中には同居している)が設定されているだけに、この意味は重い。精神的に閉じこめられているのは決して院長だけとは言えない。誰もがどこかで停滞しながら、負ってしまった過去を消せないまま、院を舞台にした物語は進んでいく。

 停滞の突破は、何かしらの破壊をもたらす。

 劇中にはそのラズライト院すら過去になっている登場人物が二人いて、主人公のフェイとヒロインのミオである。

 二人とももとラズライト院で暮らしていたのが示唆されているが、何かしらの破綻があった後、記憶を失って平和に外部の村で暮らしていた。物語はフェイとミオの共同生活から始まっている。悲劇的な過去から開放された、平穏な暮らしがそこにある。

 しかし、繰り返すが『架聖-CROSS-』の構造は過去と現在であるので、過去は容易には例えばフェイを開放しない。あるきっかけで、フェイの記憶は戻ってしまう。

 『架聖-CROSS-』は、悲劇的な過去と、それを踏まえた現在と、そしてもしかしたらあるかもしれない、過去と和解した未来への「願い」の物語である。

 記憶が戻った時点で、フェイにはもう一度ラズライト院に行ってラヴェンダーに会うなどということをしない、という選択肢もあった。優しい義理の両親や村の人達と、そのまま静かに共同生活を営むこともできたはず。

 しかし、フェイは戻った記憶にボロボロになりながら、それでももう一度ラヴェンダーに会いに行くことを選ぶ。どう考えても分が悪い。やっかいな過去ともう一度向き合おうなんて、正気の沙汰じゃない。過去が昇華された優しい未来など、どれほどの確率で望めるというのか。

 しかし、それでも『架聖-CROSS-』は過去にもう一度会いに行くために、重い最初の一歩を踏み出す物語である。どうしようもない気がするけれど、それでももしかしたら、という「願い」の物語である。

 ラヴェンダー(過去の男だ(笑))にもう一度会いに行くというフェイの決断が、ラズライト院で過去と切り離されて過ごしている全てのキャラクター達の希望となり、全てがシンクロする。

 過去に後悔が無いと言い切れる人間など稀なのが現代である。そういう意味で、『架聖-CROSS-』は現代人の共感を呼ぶ物語であり、同時に覚悟を求める物語でもある。

 現在まとめてあるうちの最新である「まとめ20」(それでも半分なのだが!)が、フェイがラヴェンダーにもう一度会いに行くのを、都古さんが神がかった怨念で描いた箇所である。この回の作画は凄いので、是非ともそこまで辿り着くことを読者さんには求めたい。

 最後に、それでも『架聖-CROSS-』は根底に優しさが流れている物語だと僕は思っている。劇中に出てくる綿密に描き込まれた馬を見れば、それが分かる。馬の瞳はキュートである。馬の筋肉の躍動は、何かしら世界に対して肯定的に感じられる。

 『架聖-CROSS-』はお勧めの漫画である。最初のまとめはpixivでこちらから読めるので、是非是非読んでみて!↓

架聖-CROSS-・1〜p.22/pixiv