もともと「祭り」自体が日常でたまった人間関係の「余剰」を昇華する側面がある。これは、日常的には人間関係にパっとしない人が、文化祭のバンドや出し物で一躍人間関係のステージが突き抜けたりするパターンのイメージ。学生時代は一般的に学園祭があるけど、大人になってからはそうそうこの「祭り」がないので、地域のお祭りやコミケは僕的にこれ相当な感じ。定期的にたまった余剰を昇華していかないと、人間社会はどこかで上手くいかないというような社会・経済系の研究もあります。
また、今回は震災以後地域社会の中で英語を教え始めたり、Twitterもリアル近所の面白い人と相互フォローしたりしてるので、例年よりも地域の祭りのリアル度が高く感じられます。テレビなどの大きいメディアでトップダウン式に「絆!」を演出されると胡散臭く感じられる部分もあるんですが、それとは別にリアルとネットが融合したローカルコミュニティが、新しい段階に入っていっている実感はあります。僕は超高齢化社会(日本という国の一番の問題はこれ)に関してはここから経済発展&超大量消費でまた逆転決める派よりは、リソースの最適化で半分乗り切って、あとはグローバル文脈(圧力とも言う)に人材力と知力(というか無形系の価値)で対抗していきつつ微妙に異相をズラしたブランディングで国力回復で何とかしていったら派なんですが、リソースの最適化として、今日の夕飯がないお年寄りがいる、たこ焼き屋さんでたこ焼き余る、英語教えた帰りの僕がたこ焼き届ける、連絡はFacebookとTwitter、みたいな地域リソースの使い方はよく考えます。行政や大きい企業にはそれぞれの役割があれど、一回一回それらを通していては遅い側面もあるので、スピードと「粋」のようなアバウトな概念で機能するネット&リアルの融合コミュニティというのは、前々から時々考えていたのでした。
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帰省してきた義兄が無線LAN環境を整えてくれたので、ようやっと家の中ならどこでもiPadでネット経由で動画コンテンツも見られるような環境になりました。すご。今更ですがバンダイチャンネルとかもiPadみたいなタブレット端末で十分見られるんですね。今年後半の唯一の欲でもある「少女革命ウテナ全部視聴」はバンダイチャンネル+iPadでしようかな……。
もう数年はクラウド+SNS+モバイルの時代かと思いますが、そこが成熟してくると再びコンテンツの時代になる気がしております。そういう意味で、既にウテナがあり、ピングドラムが何か前人未踏の「この作品ヤバい」感で進行してる現状は頼もしいものがあります。
個人でも、今のうちに色々作れるようになったり、それを伝えられるようになったり(英語、マーケティングの基礎、など)したもの勝ちのように思います。SNSは結局ユーザー全員Facebookに掌握されてるんじゃないの的側面もあるのですが、もう一歩突き詰めると人間と人間を繋げてるだけなので、結局人間本体が面白かったり凄かったりすると、SNSというシステム自体はしょせんシステムに過ぎないと裏返ったりもします。今のうちに、使えるものはどんどん使って色々準備しておくのがいいのではと。個人的にはもうしばらく特に経済的には厳しい時代が続くとみていますが、その間に実力的に色々蓄えておくと、その後良い感じになっていくのではと思っているのでした。