『映画けいおん!』の感想です。
 ネタバレありなのでまだ観ていない方は注意です。
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前提:『けいおん!(!!)』という作品の主題

Q:ライブに比喩されるような「輝いた今」は卒業と共に終わる類のものじゃないのか、いつまでもみんな一緒になんていられないんじゃないか?

A:そんなことはない。学校の中でも外でもずっとずっと「輝き」は続けられる。同じ空の下にいる。歌おうと思えばいつでもどこでだって一緒に歌える。延々続行。


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 以上のテレビシリーズ版の主題を、最終回の「天使にふれたよ!」までの時間軸を先輩側の視点から再構成することで(TVシリーズ版は主に梓視点で進んでいた)、さらに充実させて描いていました。そして、メッセージがまったくブレていませんでした。

 また、この視点変更自体が、作品の主題上意味があるものになっていました。 ようは、誤解怖い! だから外の世界に出てコミュニケーションして世界を広げていくなんて怖い! という、上記アンサー(A)に至るまでの課題に関して。

 音楽性が違って、部室の中に4人(梓を除く)で閉じたままバラバラになって解散してしまう? というifのバッドエンド的光景から始まる『映画けいおん!』。大前提として、確かに我々は相手の考えてることは分からない。本当は音楽性もズレているのかもしれないし、ましてや自分が考えてることと相手が考えてることが重なるなんて、そんなことの方が奇跡なのかもしれない。そんなのは非常にストレスなので、外の世界に広げていこうとか考えないで、内輪で閉じこもっていた方が楽。でも内輪の中でさえ音楽性の違いとか生まれてしまって結局バラバラになってしまったりで、もうどうしよもない。基本、詰んでいる。そんなバッドエンド的空間に、梓が扉を開けて入ってくる所から『映画けいおん!』は始まります(なお、テレビシリーズの感想でたくさん触れたのだけど、『けいおん!(!!)』においては「窓」と「扉」は「中の世界と外の世界を繋ぐもの」という比喩です)。

 他、映画本編内ではたくさんの「誤解」が描かれます。ホテルが少し違う場所で予約されてたのしかり、ロンドンの寿司屋で他のバンドさんと間違われたのしかり、ホテルの部屋でぐるぐる回りながらいつまでも出会えない唯と梓しかり。とてもストレス。こんななら、閉じこもってた方が楽なんじゃないか、というような。

 でも、テレビシリーズで少しずつ描かれていった、彼女達の「外の世界へ向かっていく過程」に意味がなかったのか、と言えばそうではなかった。

 第二期第12話、


「こんな広い所で、ずっと音楽が流れてるなんてね」(唯)


 夏フェスという外の世界へと一歩出てみた時感じたこの回答にあたって、本当にロンドンにまでやってきて演奏した。

 第一期第14話、

 ライブハウスという、これまでの部室の中だけという閉じた世界から外に一歩踏み出してみたお話。この時出会ったライブハウスのオーナーさんから、国際電話でオファーがきた。

 何かよく分からないけど、出会って、外に出ては、最初はストレスだったかもしれないけれど、色んな意味も持ってきてくれた。

 テレビシリーズの解答、「いつでもどこでもずっと一緒に歌える」に繋がっていくまでの過程を、ちゃんと時間軸上前の時間で先取りして描いているのは上手い。ずっと歌い続けられるのは、武道館ライブやるような一握りのナンバーワンバンドだけだ。そうじゃない人間は、学生時代の終わりと共に、歌う(ライブ=輝いた今)なんてできなくなるんだ。そんなことを誰が決めた。テレビシリーズでは、近所の演芸大会で歌った(唯と梓が!)、さわ子先生の友人の結婚披露宴パーティーで歌った、ライブハウスで歌った、夏フェスみたいな場所で歌い続けている人達もいる。で、今回の『映画けいおん!』では、ロンドンの寿司屋で歌った、ロンドンの文化交流イベント(ロンドン版ちょっと大きい演芸大会くらいのノリ)で歌った。そして、学校の教室でも歌った(これも、閉じた人間関係のままだったら、そんなのはけしからんと実現しないはずだったけど、さわ子先生にクラスメイト達と、外の世界へと人間関係を広げる方を選んだ彼女達には可能なのだった)。

 ロンドンのイベントでのライブ場所が、中のステージと外のステージの二択になっていたのは上手い。結局、彼女たちが歌う運びになったのは外のステージ。第12話の台詞と、「同じ空の下でどこでもいつでもずっといっしょ」に繋がるまでを本当に実践している。

 そして、誤解問題にも、徐々に回答が描かれていく。外の世界に出て行くってことは、とにかくも今回のように日本人が海外にいくような話で、色々誤解も受けまくるのだけど、それでも外のステージのライブでは、何か通じた! ちゃんと、観客からは拍手が帰ってくる。唯の演奏後の言葉もテレビシリーズのオープニングのラストシーンの謎のマークと同じく、それだけでは意味はないんだけど、そこに意味を創造(想像)して通じ合うということが、何故か人間には出来る。なんか、この辺りはラディカルな人間のコミュニケーションに関する話だった。そういえば、梓が軽音楽部にやってきたのも、この「何か通じた!」がきっかけなのでした。

 ラスト、結局「誤解」に関する話は、この劇場版で一番核になっている先輩四人と梓の見解が違ってるのではないか? という部分は、既にテレビシリーズで描いた通り、先輩四人は梓のための曲を作っていた、つまり誤解どころか、相手は本当に自分のことを想ってくれていたんだよ、という優しくて理想的なものだった訳だけど、先輩四人視点から再構成していたので一段深くなっていました。

 贈り物を曲にすると決める段階から、作曲、歌詞作りまでの過程を描いていくことで、外の世界との接触、出会いはストレスを生むだけのものじゃなく、本当に相手が自分のことを想っていてくれるのかもな、という奇跡もあるのかもな、という気にさせてくれる(「天使にふれたよ!」は本当に大事に作られていたという)。

 映画のラストは、梓に贈る歌の歌詞の「君」を「天使」に変えるという所。結局、「翼をください」から始まったこの物語は、ある種の翼を得ていたのだ、という決着。それは、上記のようにいつでもどこでもずっと歌い続けられる(空を飛ぶことができる)という解答に至るまで、徐々に世界が広がっていった、最初のきっかけ。部室の中に四人だけ、という閉じた状態に外の世界から入ってきてくれた、梓と出会った時だ。だから翼は梓だった、梓が天使だった、というフィナーレ。美しい。

 そのラストを受けて、劇場版専用エンディングは、テレビシリーズ第二期後期エンディングのアンサーになっていました。あのエンディングは、未来軸からの澪が外の世界から扉を開けて入ってくるんだけど、まだ部屋の中で歌っていたいから追い返す、というものでした。だけど、今回の映画エンディングは、「外の世界でもいつでもどこでもずっと一緒に歌い続けられる」という解答獲得後のエンディングなので、似た感じの雰囲気に演出しながらも、外の世界の空の下を走り続ける、外で演奏し続けるエンディングになっていました。当然、そこには梓もいる。そして作品自体も、原作は大学生編などに広がりながら続いている。

 結局の所、輝きの場所を徐々に外の世界に広げていく、輝きを共有できる範囲も広げていく、境界を無効化していく過程を描くという大きい視点での主題を、先輩四人と梓との関係の進展と帰結に小さく収斂させて描ききっている美しい作品だと思うのでした。

 例えストレスを受けるハメになっても、そのリスクをとっても、誰かと出会ったり、外の世界に向けて進んだりしてみたい。そんな気にさせてくれる作品でした。

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大学生編の感想
テレビシリーズ第二期最終回の感想
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