アニメ『中二病でも恋がしたい!(公式サイト)』第4話「痛恨の・・・ 闇聖典(マビノギオン)」〜第12話(最終回)「終天の契約(エターナル・エンゲージ)」の感想です。
 ネタバレ注意です。
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 最終回の六花の中二病は幼い頃に勇太の姿を見ていたからだった展開は急だなと一瞬思ったんですが、そうじゃないんだな。「運命の恋」という中二病的話が現実にあり得るという、中二病サイド逆襲の展開として、必要な展開だったのだろうと。いわば、中二病からの現実へのギフト展開。

 作中用語としては「中二病」だけど、意味合いは「理想」とか「自意識が向かう先(イメージ)」くらいに拡大されて終盤は描かれている感じ。で、六花の中二病が父の死からの逃避だったのが明らかになるにつれて、そんなものは意味がない、現実じゃない、と突きつけられてしまう。中二病と現実のシーソーゲームで進む構造の本作ですが、終盤グっと現実側にふれていってしまう。父親の死は受け入れなくてはならない。不可視境界線なんてない。光には電車とか車とか種明かしがある。正論。現実。そんなものさ。凸森すらツインテールを下して六花を「マスター」ではなく「先輩」と呼ぶこの辺りのくだりは物悲しい。でもこれが大人になるということなんだ……。

 という所から、最後の逆襲が始まる。

 物語前半の中二病描写の中で、ただ一つ、後半の現実にも通用するものがあって、それが実は森夏を通して描かれている。第六話の、中二病時代の森夏(というかモリサマー)がネットで語っていた闇聖典(マビノギオン)に記されていた言葉を、凸森が伝承しているという凝ったしかけで描かれる台詞はこちら。


 闇聖典(マビノギオン)七色の写本第三章一節。精霊の囁きと光と水の想いが私達に届く時、白い世界は開かれるのです。四百年にわたって世界を見続けてきた私には分かります。この世界に一番必要なのは


 加えて第四話にも森夏が「愛が全て」と昔語っていたと、それを伝承した凸森が語るシーンが出てきますが、ようは、全ての中二病はやがて現実に淘汰され笑われる類のものかもしれない、だが、愛という中二病だけはまだ一笑にふしてほしくないって物語なんですよ! この『中二病でも恋がしたい!』って物語は!

 森夏の立ち位置は良いですね。中二病は卒業するという志向だけど、どこかで愛という中二病だけは信じてるキャラ。最後に、愛で六花の元に駆ける勇太を少しだけ助けてくれます。「伝承する中二病」もキーの作品だと思うのですが、森夏本人が捨てても「愛という中二病」を凸森は伝承してるとか、最終回の現実に戻らなければならなかった六花が最後のヘルプとして、邪王真眼をくみん先輩に託していたとか、律儀にそれを継いで勇太にメッセージを届けるくみん先輩とか良かったよ。そうして、中二病サイド時代に行われた邪王真眼とダークフレイムマスターの契約、それだけは、理想とか夢とか色々と無機的に解体されてしまった苦しいことも受け入れないといけない現実だとしても、本物だ! と、勇太と六花が再契約するラスト。この愛だけは、中二病でも現実でも本物。最終回の二人が抱き合うシーンは感動したよ。

 堪能した作品でした。ようやく全話視聴したので、続く二期と劇場版と楽しみです。

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