ノリノリで『マン・オブ・スティール』などを観てる燕。さんですが、この前のオフ会で言っておられた「時代はぼっち」と「空気よめ圧力へのアンチテーゼ」は、その後考えながら道を歩いていたりすると、じわじわとくるものでありました。
 燕。さんが具体的な作品名をあげておられたのは、『私がモテないのはどう考えてもオマエらが悪い!』と『僕は友達が少ない』ですが、前者もさることながら、後者も確かに「友達は沢山いるのが幸せ」という同調化圧力へのアンチテーゼ、つまりは「空気読んで友達作ろう」という部分へのある種の反動を抱えた登場人物たちの物語です。

 現実とコンテンツ(虚構)どちらが先かは論じづらいですが、例えば、コンテンツは理想のパーティを編成したり、理想の「嫁」を育成したりなソーシャルゲームに、自分の感覚に最適化された情報源のみを編集できるSNSにと、個々人の「我」に最適化された方向に向かう潮流が一つはあって、それに馴染んでる人もかなりの数いる。自我肥大、という話も論じられ始めて久しいです。

 一方で、現実は学校では空気読んで周囲に合わせないといけないし、会社でなどもブラック企業の話題やジョブレスリカバリーな世界的な潮流などなどと、最近の話題から想起されるのは、我を抑制され消耗品的に働く、ということの苦しさ。ここに、ギャップが生じていて。そしてもしかしたら今はそのギャップが広がっているフェーズという可能性はあるのではと思います。

 コンテンツ、物語にはつらい現実から、理想の世界へ、という導線が何らかの形で含まれるので、その結果学生的には、「"空気を読む"の反動としてのぼっち」や、「現実では同調化圧力の中で埋没してるけど、異世界ではモテモテで最強」。大人的には「ブラック企業で働いていた俺が、異世界行ったりとか謎の出会いとかで、我を開花させた状態で周囲にも認められるように」、とかのコンテンツになる。


 そこを狙い撃つKADOKAWA(メディアファクトリー/フロンティアワークス)!


 みたいなのを、「30代〜40代男性をメインターゲットとしたエンターテインメント小説の新レーベル」という『MFブックス』のページなどを見て思いましたね。


新レーベル 『 MF ブックス 』 8月23日発売! メディアファクトリー


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(引用)

かつて、ゲーム、アニメ、コミック、ライトノベルに青春を捧げた現代の「オトナ」たちは、世の中に満ちる「閉塞感」や「無力感」、そして「退屈」を相手に、日々それぞれの戦場で戦っています。

「きっかけさえあれば、自分はもっと本気になれる。」
「100%の自分になれる世界が、どこかにきっとある。」

そんな想いを抱く、孤高の兵士たちへ
「物語=夢」を届けることで、彼らを支援したい――。

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(↑こちらも映画化されましたね。)

 今回は、いくつかの世に出てるコンテンツに、ぼっち要素、同調化圧力(「空気読め」)への反動があるとして、淵源には個人の我が大きくなっているのを背景とした現実とのギャップがあるのか? という所まで。

 じゃあどうするのか、という話はまた機会がありましたら。(僕個人としては、そのままだけでも、ちょっといかんのでは、と少し思ってると付記しておきます。)