ネタバレ注意です。
UQホルダーのアジト仙境館が温泉旅館を模しているということで、何かと『ラブひな』と『UQ HOLDER!』でメタフィクショナルに重なる所と違う所が意識させられるようにしているのではという話を書いている最近。
今回の温泉旅館の地下での冒険というのも、『ラブひな』的終わらない悠久、に関する批評性の話な気がするのですね。8年にしろ30年にしろ、長く時間がかかるよ、温泉旅館の地下にずっといていいよ、という方に何もしないと行ってしまう。だけど刀太は一週間で出るよ、と宣言するお話。メタな例を出せば、終わらない悠久のループ的『ラブひな』、13巻分とどまらないよ、数話で終わらせて「次」の物語に進むよ、みたいな象徴展開というか。
で、どうして刀太が「終わらない悠久」に無条件では浸らない、何らかの有限性を胸に進むよって言えるかって言ったら、設定面でUQホルダーにも弱点がある話が出てきてる点などもあるけれど、一番は「仲間の存在」だよ、と描かれていたと思うのですね。例えば悠久の楽園にいていいよ、と言われる。ある課題に関して、もの凄く長い時間かけていいよ、と言われる。それでも、そこであえて頑張ってスピード上げて先に進む意志がどこから生まれるか。田舎の仲間が歳をとっちゃって、その中に自分が同格の存在としていられないのが嫌だからなんですよね。だから、動機は「他者」だ、という描き方をしてると思うのです。『ラブひな』の受験要素と今回のダンジョンクリア要素を無理くり重ねても象徴的にはいけそう。例えば何浪してもイイ、という、受験における何かしらの悠久的特権を得てしまったとする(そういう意味で刀太が少し悠久能力に油断してしまってるフシが描かれる今話は少し危うかったんですね。)。でも、そこでいや、俺は現役で受かってやるよって言える動機は何か? そういうのを描いていると思う。で、安定した人生を過ごしたいからとかじゃなくて、動機は「仲間」だ、と。しかも同じ側の存在であるUQホルダー同士の仲間だけでなく、外部の、自分とは違う立場の存在の他者たちとのリンクとしての「仲間」だ、と。
主人公たちの能力の悠久性に、ある種のネガティブさが批評的にともなっているのは、力としてはネガティブさがあってもそれを正しく使ってヒーローになっていく的な方向で、「仮面ライダー」方面のカッコ良さ、ヒーロー求道っぽさがあって好き。
「悠久を得てしまっても埋没しないで頑張れる意義」っていう話はなんかカッコよくてイイな。
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