『仮面ライダー鎧武(ガイム)(公式サイト)』第5話「復活!友情のイチゴアームズ!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 燃えた。

 錠前に象徴される「閉ざされた場所」を、刀(ベルトについてる)で切り開いていく、というストーリーラインを感じるのですが、何ていうのかな、その前提として、自分が自分の人生(ステージ)の当事者になる必要がある、というような。最近の東映作品文脈で言ったら、超人的スーパーヒーローじゃないとしても、自分の物語の主人公は自分、というやつです。だから自由な自分自身のあり方の象徴としてのダンス、そのダンスできる居場所、ステージ、みたいな話だったのか。自由……、『ウィザード』のラスト二話の特別編は、メタ的に『ウィザード』ラストエピソードでありつつ、やっぱり『鎧武』ファーストエピソードでもあったのかもしれない。あのちゃら〜♪の音楽がかかって門矢士が「仮面ライダー」は人間の自由のために闘うって言ってましたからね。さらっとテーマを言葉で語っちゃうメタ存在のディケイド相変わらず卑怯!


 「俺にしかできないことをやり遂げるための力。俺はそいつを引き受ける。そいつがきっと、大人たちがよく言う、『責任』ってやつだろ。」(葛葉紘汰)


 作中全体での現時点での是非はともかく、なんかカッコいい。「自由」を希求するとして、「責任」とワンセット。それが大人さ……。

 この境地に到達し、あくまで自分の意志で自分の居場所、オンステージとして戦うと決意した紘汰。バロンが形成していた謎の「閉じた空間」を、ぶち壊して参戦。これはスカっとする。

 でも、そうやって自分が当事者として戦闘に参加してしまったら、それこそ、世界を広げていくことと世界を支配していくことは紙一重で、戦国武将よろしく、支配ゲームの住人になってしまうんじゃ……という所で、バロンとは少し違う、紘汰なりの「強さ」と「力」観が語られる。バロンはわりと勝ち抜いて負かしたやつは淘汰しないまでも負けた人なりに押し込められて生きていけ、みたいなこと言っていて、強者は弱者の淘汰と支配を兼ねる、みたいなこと言ってるんだけど、紘汰はちょっと違うと、むしろ弱い人が自分もそうありたいと勇気づけられる類のもの、それが強さとか力の意義なんじゃないの、と。東映、日朝関連で、『ドキドキ!プリキュア』でやってる「幸せの王子」理論っぽくもあり、主人公の姿勢として良い感じ。

 そこで、武者なのに鉄拳でバロンに一撃。思わずアントニオ猪木ばりに「だぁ!」のかけ声もこれは入りますよ。

 わりと、中盤、後半で回帰点になるような重要回だったのかもしれない。自分の世界を広げていく意志のポジティブ面と、そうやって進むヒーローに勇気づけられて次のヒーローが生まれる、という話は今の所カッコいい話だと思うのでした。



仮面ライダー555(ファイズ) Blu-ray BOX1
半田健人
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2014-01-10


→前回:仮面ライダー鎧武第4話「誕生!3人目のぶどうライダー!」の感想へ
→次回:仮面ライダー鎧武第6話「ドリアンライダー、参戦!」の感想
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