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 週刊少年ジャンプ連載分の「黒子のバスケ」最終Q(最終回)「何度でも」の感想です。
 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 破綻した過去の共同体(「キセキの世代」)に関して、現在で新しい形で再生していく様を描いていく……というのが骨格の物語だったので、ラストシーンが再生された、現在なりの「キセキの世代」メンバーの集合写真で終わるというのは綺麗。壊れた人間関係、共同体、新しいカタチで次に進めていくということは、できるのかもしれない。

 第9巻の作品全体でもキーとなる桃井さんと黒子の会話のシーン。


「またいつかバスケやろーね! みんなで!」
「…はい」(コミックス第9巻より)



 を、最終回で回収して終劇にしてる感じですね。この時は黒子と桃井さんだけが思っていた(しかもどこかで、それはもう戻らないものという含み・無常観があるような描き方になってる)「キセキの世代」共同体の再生が、少し違うカタチだけど最終回で成就。この辺りの、破綻した過去の再生の物語なんだという話は去年書いた第16巻(ウィンターカップ桐皇戦決着まで)までの一気読み記事に書いてるので、そちらをよろしくです。

 もう本当、もう一人の赤司くんの「(個人能力による)勝利によって他者を淘汰しないと気がすまない」という志向を元に、過去編バッドエンド時はキセキの世代は「バラバラの学校へ進む」という共同体崩壊エンドだったわけですが、現在編の物語を通して、そんな個人能力による勝利絶対主義を、敗北しても意義を持ち得るとか、仲間との連帯という誠凛を中心に描いた話で乗り越えたので、最後は「学校もバラバラ」すら新しい形に乗り越えられていて、なんか街のバスケットコートで集まろうと思えば集まってバスケできる関係に「キセキの世代」共同体が再生されてるのは、とても温かい。近年の共同体にまつわる話で言えば、それぞれ学校共同体というレイヤーに所属して競い合う間柄ではあるのだけど、それとは別の「新型キセキの世代+桃井さん」というレイヤーの共同体にも多重所属できるようになった。そんな余裕、優しさ、柔和さが、長い物語を通して勝ち得た一番の成果として最後のページにある感じ。

 そして、過去編バッドエンド時の黒子に荻原シゲヒロとか、VS陽泉戦での紫原くんとか、主に「バスケを続けるか」という問いを通して、「断絶」という悲しさが始終背後に漂ってる作品でもありました。悲しいことがあったんだから、もう続けられない。好きなことも、それにまつわる人間関係も、「断絶」してしまうという悲しさ。

 それを、現在編で主には敗北しても立ち上がって続けていく(断絶せずに継続していく)誠凛の話を通して、断絶は乗り越えられ得る、と描いてきた作品だったので、最終回のサブタイが「何度でも」と、断絶から「継続」を意識させる題なのは上手いなと。

 こういう、ある種湿っぽい叙情・テーマの提示がちゃんと入ってる作品でありつつ(人間関係が湿っぽいのが「黒子のバスケ」はイイんだよね!)、スポーツ作品でありつつ、キャラクター漫画であり、(良い意味での)荒唐無稽な必殺技が炸裂するジャンプ的漫画でもあったと、本当凄い作品だったと思います。何より、きっかりと完結させたのが凄い。作者さんの巻末コメントも、やり切った充実感で悟りの境地に達してそう。

 12月の『ジャンプNEXT』で続編なり読み切りなり何なりが発表されそうな含みも残しておりますが、それは「何度でも」の後の物語ということで、黒子が負った過去の破綻と、それを現在で再生していく物語は、きっかりと完結。この悲しい過去と続いて行く現在を縫合していくという描写が、なんか共鳴する読み手の癒しにも作用するくらい、静かな力があった作品だと思います。藤巻先生、お疲れ様でした!

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