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 アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(公式サイト)』第1話「堕とされた皇女」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 最初のスポーツのシーンで出てくる「絆」って言葉とか、洗礼の儀の前日にアンジュリーゼが眺めている「人々が暮らしてる街明り」とかを、むしろ胡散臭く描いているであろう、攻めてるな、と感じた第1話。相変わらず無難な作品作る気最初からない感じが好きです。


 「平穏で。美しく。完璧な世界」(アンジュリーゼ)


 ↑この台詞の世界観が、大嘘っていうか、この時点のアンジュにだけ観えてる世界って描き方なんだと思うのですね。都合よく色々排斥した上で成り立ってる世界観だと、排斥された側から観えてる世界観があると、そういうことに今話時点ではアンジュは無自覚。

 この、『ガンダムSEED』最終回のラウの台詞「しょせん人は己の知る事しか知らぬ!」じゃないけど、現代人の問題点として、ノイズは排斥して、己の主観に都合の良い情報だけで構築された世界観を各々が観てる……というシニカルな視点まで入れた上で、劇中に万能の情報技術という設定の「マナ」とかを盛り込んでるのだとしたら凄い作品になりそう。『高度に進化した情報技術「マナ」』とか、もう胡散臭くてしょうがないですね(笑)。『SEED』の時に当時の議論的な技術だった遺伝子操作の題材を劇中に盛り込んでいたように、「マナ」も現在の議論的な技術であるクラウド情報とかビッグデータとかの進化形態を題材にしてる感じでしょうかね。

 とりあえず、第1話だけで完璧な(一見そう見える)世界と、だけど実はその世界から排斥されてる存在(ノーマとかドラゴンとか)がいること、無自覚な排斥者だったアンジュが排斥される側に堕ちること、それは「完璧な世界」から「殺して生きる」世界観への移動になってること、だけどオープニング映像とかから、アンジュはその両者の世界観を両方観る存在であろうこと、その辺りが描かれていたのは満足だったのです。

 当ブログ的には、『機動戦士ガンダムSEED』〜『機動戦士ガンダムSEEDDESTINY』の福田監督(今回はクリエイティブプロデューサー)が関わってる新作です。コンテを担当されてるオープニングのバリバリの福田監督感イイですね! 『ガンダムSEEDDESTINY』の先行上映回でオープニング観て高揚したのを思い出します。Twitterによるとこの第1話のOPは完全バージョンじゃないらしいのですが、ノリを思い出した&完成版も楽しみ。

 あとはの存在が気になりましたね。しれっとオープニングに映ってたから脇キャラ? くらいに思ってたら決め顏でエンディングにも映ってたりして、何、パイロットがかぶってるやつみたいなのかぶってるし、犬、出撃するの!?

→Blu-ray



→オープニング主題歌

禁断のレジスタンス
水樹奈々
キングレコード
2014-10-15


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【関連リンク】

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