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 アニメ『甘城ブリリアントパーク(公式サイト)』第2話「時間がない!」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 アニムスなる人々の「楽しい気持ち」が集まらないと、存在を維持できずに消滅してしまうメープルランドの人々。総じて昔あったような気がするみんなで共有できる喜びの「場」みたいなものが、今は消えかかってるという前提を背後に感じます。僕がよく京都アニメーション作品の感想で使ってきた言葉だと「輝き」のようなもの。そういうもので連帯できる場が、壊れかけてしまってる(あるいはもう壊れてしまってる)現在さポイズン、という出発点。

 こういう風に京都アニメーション作品に関しては、作品をまたいだ、というか繋がった文脈を感じるのが好きなのですが、『たまこまーけっと』と『たまこラブストーリー』と、『甘城ブリリアントパーク』って、重ねてる演出がありそうという丁稚さんのこの記事も是非読んでほしい。↓


うさぎ山商店街の 「 if 」としての『甘城ブリリアントパーク』/ねざめ堂織物店


 やっぱり、うさぎ山商店街とか、あるいは『Free!』冒頭の経営破たんしてしまった子供の頃のスイミングスクールとか、そういう「かつてあったような気がする輝きの場」のようなもの。そういうのと「甘城ブリリアントパーク」は重ねて描かれていつつ、そのifルートだと、そんな感じがするのでした。

 そんな「輝いた場」とか、今は競争世界の強力な淘汰圧にさらされて、破綻寸前という厳しい状況。スマホの画面(共有体験よりも各々の嗜好の世界に閉じてしまってる意味合いで描かれていると思う。ちなみにこれは同京都アニメーションの『境界の彼方』の栗山さんのスマホ関係の描写もそれ方面)で競合するテーマパークを「消耗品的に」眺めているユーザーの描写が印象的です。

 ワニピーさんのパートとか、外見が怪獣だからコメディ調でまだみられるけど、普通に所属していた共同体が破綻。失職。あとは消耗的な搾取労働に従事するか、それすらできなくなったら死ぬ、と置き換えると非常に厳しいです。リアル世相は本当に厳しいフェーズに突入してるので、マジで失職する人とか増えていて、気が付くと数か月後には路上生活みたいなのがリアルにあり得る局面なので。初回で性産業とか意識させて今回ちらっとエレメンタリオの四人を映すのも含意があるとも感じられて、リアルにも性風俗や搾取労働に流れる女性も増えている状況です。

 そんな現状を、大袈裟に言えば世界を、覆してみせる、という決意の第二話。可児江が異様にカッコいい。偽悪を演じる善人。

 栗栖が口にした負け犬と付き合うと自分も負け犬になるという台詞こそが、競争で勝ち残ったものはますます栄え、敗北したものは淘汰されるという力学の根にあるものなのですが、児玉誠也時代から転落して負ける側・淘汰される側の痛みを知ってる可児江と、お前は他の栄えてるテーマパークに便乗して生きていけるというワニピーの指摘を拒否するモッフルとで、そういう力学への抵抗、叛逆の芽を描いてるのは熱い。ようは「代替不可能性」。スマホの画面に映る一覧から消耗品を選ぶようにより優れたものを選ぶ、という世の力学に対して、「甘城ブリリアントパーク」じゃなきゃダメなもの、他の誰でもない可児江を見込んで頼んでくれた気持ち、そういうものを、現状劣勢だとしても、まだ大事にしたい。

 それは結局、幼少時の野球場で感じた大多数の人間達の誰でもイイわけじゃなくてハルヒじゃなきゃダメだという『涼宮ハルヒの憂鬱』の最終回とか、『放課後ティータイム』は武道館を目指す上昇志向・競争志向にのっとってより優れたメンバーに代替していけばいいかといえば、いやその逆だ、この五人だからあった輝きなんだと、進歩を追って各々の道を行きました切ないねエンドというよりは、共同体のある種の永続化の模索に向かった『けいおん!!』とか、そういう流れとも繋がる感じなので、やっぱりこの作品、The・京都アニメーション作品だよな、と。

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→前回:『甘城ブリリアントパーク』第1話「お客が来ない!」の感想へ
→次回:『甘城ブリリアントパーク』第3話「テコ入れが効かない!」の感想へ
『甘城ブリリアントパーク』の感想目次へ

【関連リンク:これまでの当ブログの京都アニメーション作品感想】

『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら
『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『境界の彼方』最終回の感想はこちら