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 アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(公式サイト)』第11話「竜の歌」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 オープニングからメインキャラ然として登場していたサラとその機体焔龍號がいよいよ登場。ビジュアル・展開との象徴的にも、アルゼナル(今までのメインの舞台)が大破して、「話が次のステージへ」感がビンビンと感じられます。

 「永遠語り」サラパートの歌詞の「輪廻」ワードや、サラとアンジュが接触した時の並行世界的な描写といい、わりとブディズム(仏教)っぽい世界観なのかもしれない。サラがこっちの今までの世界を「偽り」と呼ぶのも、「現世(うつしよ)」みたいなニュアンス(とてもざっくりとは、この世界は虚構的に儚いみたいなニュアンスが感じられる言葉です)なのなら分かる感じも。だとしたら弥勒菩薩ポジション(ざっくりとは世界を一新するポジション)は誰なんだろう? とか考えると面白いかも。

 また、サラとの接触時に印象的にヴィルキスに天使的な紋章が現れており、ようやく作品タイトル「天使と竜の輪舞」に繋がった感じです。となると、ヴィルキス側が「天使」で、焔龍號側が「竜」ってことなのかな。この、作品タイトルとも繋がって、ここから真ルート始まるよみたいな感覚は高揚します。

 一方で、そういう輪廻とか並行世界とか、天使と竜とか、そういう深淵で真実的な世界の当事者には「格として」なれないサリアの物語も描いているという凝った一話でした。真ルートのメインヒロインにはなれない切なさというか、「天使」関係で「翼」の比喩は上手くて、サリアではヴィルキスを表面的に使っても「飛べない」んですね。サリアはもう落ちるしかないと諦めたのに、アンジュはそこからでも飛翔できるという。翼があるのかないのかみたいな比喩が、ヒロインの(物語上の)格の描写ともリンクしてる感じで面白かった。そして、そういうサリアを受け止めるポジションがヒルダというのも、ヒルダのこれまでの背景的にはカッコいい感じが。この後、サリアには真ルートのヒロインとしては飛べない人間なりの、何かこう、浄化されるような物語を期待したいですかね。ヒルダも含めて、壮大な話の正ヒロイン(アンジュ)のみで世界ができてるわけじゃない感じを出して行ってくれたら嬉しい。

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→前回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第10話「絞首台からサヨナラを」の感想へ
→次回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第12話「右腕の過去」の感想へ
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