ネタバレ注意です。
色々とそのままだと「分断」されていってしまう人達が、あおいが繋ぐように駆け回ったり、アニメーションっていう「共有体験」が繋いでくれるって感じの作品だと思って視聴してるのですが。
「誰にだってあります。ツライ時期のない職業なんて、ありません」(小笠原倫子)
今回「共有体験」として描かれていたのは「誰にでも、どんな職業にもツライことはある」っていう辺りだったんじゃないかと思いました。『えくそだすっ!』の第三話制作の時とか、遠藤さんと下柳さんの問題があった時とか、あおいにとっての「ツライ時期」に今話でもう一度言及してますし、今話の迷える後輩アニメーターが先輩アニメーターからきっかけを貰うというお話の構造は、意図して第8話(感想)と重なるように描いているであろう点から、絵麻の「ツライ時期」も思い出されるようになってます。さらには、監督の作品が叩かれた時とか、奥さんが実家に行ってしまった時などの「ツライ時期」まで。そういうそれぞれの「ツライ時期」が、劇中ではまさに「ツライ時期」にあたってる井口さんにかかってるし、劇外では、視聴者それぞれの「ツライ時期」に置き換えて、色々想起しながら視聴できそう。「ツライ時期」自体があるのは生きていく以上どうしようもないのだけれど、そういう時期ってあるものだよねと「共有体験」化されることで、何か楽になる感覚はなんか分かる。
また、今話で改めてわざわざ「イデポン宮森」の台詞を出して、イデポン回をもう一度意識させるようにしてると思うのですが、今話の武蔵野アニメーション、特に井口さんと、『第三飛行少女隊』原作の野亀先生のアリアのイメージが異なり、そこに「分断」が生じる、そしてそれを埋め合わせるように色々積み重ねるっていう物語は、「イデポン」を媒介に隔たりがあった遠藤さんと下柳さんがある「一致」に達するまでを描く第5話(感想)・第6話(感想)のリフレイン版(前回は誤伝達を誘発する役回りは社内のタローで、今回は社外の夜鷹書房の編集さんになってる)、ステージアップ版(前回は武蔵野アニメーション社内の「分断」だったのが、今回は武蔵野アニメーション内部と外との「分断」になってる。この流れは、少しずつ外とリンクしている本作の流れに合致する感じで。)になってるのですね。
●参考「人それぞれ」になってしまった脳内映像を「みんな」で共有できる『白箱』という形に封じ込めること〜『SHIROBAKO』第5話まで
そんな流れで、そのままではバラバラに「分断」されていくような、脳内イメージを、井口さんと原作の野亀先生で「一致」点に定まるまでが描かれるお話。
「アリアになった」(井口さん)
この、遠藤さんと下柳さんのエピソードの時もそうでしたけど、私のアリアのイメージはこうです、あなたのアリアのイメージはこうです、「人それぞれ」で行きましょう……に落ち着くんじゃなくて、イデア界にみんなに共有されるべき一致点の「真のアリア」があるかのような、それを目指してみんなで「分断」を克服していくような描き方はカッコいいですね。
こうして、アリアのイメージに関して「分断」があった原作の野亀先生と武蔵野アニメーションの間が、ある一致点、共有体験としての「真アリア」で繋がる……という、これまた「そのままだと人々が分断されていってしまう世界での、リンクする瞬間」をずっと描いてるフシのある『SHIROBAKO』という作品のド直球なエピソードだったと思ったのでした。
→Blu-ray(第3巻には劇中劇アニメーション「えくそだすっ! 」第1話 同梱)
→前日譚コミックス、大変良かったです。ネタバレ感想はこちら。
→前回:『SHIROBAKO』第15話「こんな絵でいいんですか?」の感想へ
→次回:『SHIROBAKO』第17話「私どこにいるんでしょうか…」の感想へ
→『SHIROBAKO』感想の目次へ
→アニメ『ハナヤマタ』全話感想の目次へ
→『けいおん!(!!)』の感想へ