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 アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ(公式サイトニコニコチャンネル)』第13話「It's about time to become Cinderella girls!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 アイドルというと競争社会なイメージがあるけれど、競争だけじゃなくて補い合う、ということも一つ描かれていると思われる作品。

 競争の部分は前作『アイドルマスター』などでも描かれていたけれど、人と人とがバラバラになっていく力学と不可分という話です。勝ち抜くためにライバルを蹴落として行けばやがて一人になっていくし、逆に競争の中で敗北すれば淘汰されて一人になる。

 第一話の、閉じたレッスン室に一人きりの卯月……というこの物語の起点には、そういう含みもあると感じます。少なくとも、かつてはレッスンメンバーがいたのに、一人一人去って行ってしまった。去って行った人は現在他に別なことをやっているわけで、それは「卯月と一緒にアイドルを目指す」よりも、そちらを選んだということ。第一話の卯月は競争原理の中ではあの時点では負け組で一人、という状態で始まっていたのでした。

 一方でプロデューサーの方は、それこそアイドルの世界の競争原理を勝ち抜くために、アイドルに厳しく接したら、辞めて行ったアイドル達がいた、やがてそのバラバラになっていく力学の元、無機的に仕事をこなすようになっていた、という所が起点のキャラクター。そんな、競争原理社会の中で何かを失っていた二人が出会う所が始まるのが、この『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品。

 最終回ではこの競争原理の力学に負けた上での破綻から、立ち直る、再生する物語が何重奏でも描かれていて。

 一つは、緊張からの発熱でステージに立てなくなった美波という破綻を、蘭子が「補って」ステージに上がることでカバーし、また城ヶ崎美嘉が美波の側にいてくれるという「寄り添い」のシーンで救っている物語。競争社会なんだから倒れた人なんて放っておけばイイかもしれないのだけど、一人デビューの方がギャラも分割しなくて良くてよいはずなのかもしれないのだけど、そこは補い合える人と人との繋がりというのを大切なものとして描く。蘭子は第10話(感想)でも遅れるかもしれない凸レーションのメンバーのサポートに入ってる描写があったり、丁寧な描写の積み重ねの上での、この美波を補って蘭子がラブライカとして歌うという展開だったと分かります。一方で、城ヶ崎美嘉も以前シンデレラプロジェクトメンバーがノリノリだった時はドアを開けずに部外者に徹したのに、今回は美波の側に寄り添う所まで踏み込むと、「辛い時こそ側にいてあげる」というのを描いていて見事。いずれの描写も、この作品の起点である、卯月やプロデューサーの孤独も、間接的に「繋がり」という描写で救っている。

 二つ目は、第六話(感想)でアイドルを辞めそうになった。つまり、卯月の一人になっていく力学の繰り返しになりかけた、プロデューサーのアイドルが辞めていってしまう破綻の繰り返しになりかけた未央が、未央としては少ない観客でも一人一人を大事にパフォーマンスを全うする。プロデューサーとしてはより一人一人のアイドルに寄り添うために事前にステージの様子を伝達すると、「リベンジ」した上で、最終的に、未央が一人のファンレターに救われるというのを描いていること。ファンのファンレターに救われて未央がアイドルを辞めなくて良かった(卯月たちとの繋がりを絶たなくて良かった)と言うことが、仲間を失っていった卯月の物語の救済にもなっている。

 三つ目はその物語のプロデューサー視点で、未央がアイドルを辞めないで良かったという場所まで辿り着いてくれたことで、接していたアイドル達が辞めていってバラバラになっていったという破綻を抱えていたプロデューサーが、報われるシーンになっている。プロデューサーを主人公とした内面のドラマも、この第一期最終回で一区切りしている。

 最後は難しいのだけれど、卯月、凛、未央は第一話冒頭のシーンで、ユニットになる前に交差していたというのが明らかになる、ということ。競争原理、自分が勝ち抜くためにバラバラになっていく話の逆、その力を反駁する力があるかもね、というシーンで、当時は何気ない他人でしかなかった人が、実は縁ある大事な人なのかもね、というシーン。

 個人的にはかなり系統が違う作品ではあるけれども、『輪るピングドラム』の最終回で描いたことと似てるなと感じました。↓


輪るピングドラム/最終回/感想


 前作『アイドルマスター』が、765プロという比較的がっちりとした共同体の物語だったのに対して、今作は市井のアイドルたちの徒党の物語だとずっと感想では書いてきてたのですが、市井行き交う他人だったはずの人達が、かけがえのない縁で繋がっていたりするのかもね、というのは、最高の「新型共同体」描写という感じ。誰もが競争原理の中の淘汰圧と、バラバラになっていく力学に基づく孤独との中で生きてる世界での、トランキライザー的な描写こそが、この卯月、凛、未央の、バラバラの市井の他人であったけれどお互いが大切な存在でもあったという「縁」なのです。

 何重にも背後に沈殿していた破綻を、何重もの再生の要素(中心はやっぱり人と人との繋がりとか縁とか、そういう要素になるのですが)で乗り越え、次への一歩へと進んでいく(シンデレラモチーフなこともあり、印象的に「階段」が映像として使われている)。その物語上のカタルシスが、もの凄いライブシーンの映像とリンクしてクライマックスで描かれるという凄い作品でした。セカンドシーズンも期待しているのです。

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→前回:『アイドルマスター シンデレラガールズ』第12話「The magic needed for a flower to bloom.」の感想へ
→次回:『アイドルマスター シンデレラガールズ』第14話「Who is the lady in the castle?」の感想へ
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