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ネタバレ注意です。
第1話で閉じたレッスン室に一人の卯月……という所から物語が始まり、今第23話でまた閉じたレッスン室に一人の卯月……に戻る。まるで、仲間だとか歌だとかアイドルだとか、これまでのキラキラとした物語はなかったかのよう。全ては、何らかの「魔法」的なもので作られていた、虚構だったのかもしれない、という段階。
これはもう、『仮面ライダーディケイド(感想)』展開しかない気がする(え)。全てが虚構・仮初だったとしても、意味はあった展開。何点か、第1話と同じシチェーションでも、今では違っていることもあるって要素は今話で既に感じますしね。是非、ラストはディケイドばりに、魔法の力ではなく、自分自身の光でもう一度「変身」を決めてほしい。この作品、特撮……!?
他、美城常務が、お城を希求するゆえに段々と(自分の世界に)閉じていってしまうという意味では、第19話の感想で書いた通り、卯月のifポジション(孤独に至ってしまうのか?)であり。
一方で、アイドルと深く関わらず、自身がお城の歯車のように振る舞うという点では、過去のプロデューサーさんと重なるようにも描かれており。美城常務は、『FF4』における、パラディンセシルに対する暗黒騎士セシルみたいな感じですよ(例えが古い?)。
ようは、プロデューサーさんと卯月が、この物語で得た「何か」で美城常務を救えれば、それがこの作品の解答という感じなのですよね。過去の自分、バッドエンド自分の、救済。
ちなみに、アイドル競争社会の文脈の中で傷つき、閉じこもってしまいそうになるのは、1stシーズンのキーエピソード第7話(感想)の未央と今回の卯月と重ねられています。あの時、プロデューサーが扉が閉まりかけた時に踏み込んでいった、「一人一人と向き合う」というウェットさこそが、暗黒自分たる美城常務の「切り捨てる」に対する代案と思われるので、ラストはプロデューサーも何かやってほしいところ。
この世界で、理想を追っても、結局アイドルが去っていってしまったプロデューサーに、魔法が解けた自分では、みんなと一緒にはいられないと思ってしまう卯月。総じて、孤独とか共同体に関することを描いていて、アイドル作品くくりじゃなくても、現実の様々なことに投射が可能です。是非、最後は、孤独に落ちそうになったり共同体が崩壊しそうになったりすることもあるし、魔法的な時間が急に終わることもあるけれど、それでもこの世界には生きるに足る何かがあるって所までもっていって欲しいですよ。
ちょっと大げさですが、「突然魔法が解ける」モチーフは、前作が震災の2011年なことや(そして、第1話の感想に書いたように、前作との連動性を意識させる演出が今作にはある。)、これから現実に起こってくることを鑑みたりするに、時代性あるなぁと思って視聴しておりました。
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