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 アニメ『マクロスΔ(デルタ)(公式サイト)』第10話「閃光のAXIA」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 メッサーさん散華。これは本当に亡くなったっぽいか。数週後にロボメッサーになって出てきたりしないよね? 若干、マクロスのリアリティレベルがどの辺りに調整されているんだったかあやふやになってきている自分。これが『天装戦隊ゴセイジャー(公式サイト)』だったら、「幽魔獣編」で今度こそ死んだと思ってたブレドランさんが「マトリンティス帝国編」でサイボーグブレドラン(ブレドRUN)になって出てきたところで、キター! っていう感じだったんだけど、マクロスでそれはないか……。

 惑星ラグナのクラゲ祭りのシーンは、第8話(感想)ラストで隊長が戦場から離脱する時に「日常」の話をするシーンなんかもそうでしたが、やはり「日常」について、特に非常時における「自粛」と「文化的営み」について絡めて描いていた箇所だと感じました。チャックさんの「戦争ごときに負けてられっかよ」の台詞が良いです。リアルの方で東日本大震災の時も、最近では熊本地震の時も話題になりましたが、非常時にはお祭りや歌や食や恋愛といった「文化的営み」は劣勢になるしかないのか、という問い。歌もウィンダミア産のリンゴも戦争という非日常用に最適化されてしまって戦時利用されているウィンダミア王国と、戦争中だったとしてもお祭りするし歌うよという惑星ラグナのあり方が対照になっている。こっちの惑星ラグナ的な「非日常の中で日常を守る」土台があるから、バール化という非日常状態でも、恋と歌という文化的営みを拠り所にして殉じたメッサーさんの物語が生きてくる。

 メッサーさんが最後に歌って欲しいと望んだ歌は、カナメさんの「AXIA」。世界的な覇権を得られなかった歌でも、自分にとって大事だという歌。これは分かる。自分の葬式にかける曲を選ぶとして、大ヒットしたからと超ヒット曲を選ぶ気にはたぶんならず、何かこの常世で自分と縁があった曲を選ぶと思う。

 フレイアの三十くらいまでしか生きられない設定も絡めて、ハイデガーでいうダスマン(Das Man)的な生ではなく、ダーザイン(Dasein)的な生を生きる、という話が随所に挿入されていた今話。そういう意味では、ダーザイン的に「今、ここ」を生き切って、そして散ったメッサーさんは本望、とも捉えられるのかもしれない。(なかなか難しく、僕なんぞは余裕をもってまったり生きたい、できれば戦わないで生き残りたい、とか思ってしまうタイプですが)

 このテーマ上、ダーザインな感じで「今、ここ」を生きるとして、「継承」の要素が入ってくるのではと感じるので、子の世代(次の世代)に関する描写までありそう。というわけで、三角関係の結末はミラージュさんエンドと予想。偉大な祖父母の話から「継承」ネタ。それでいて、カナメさん的、メッサーさん的な「持ってない側」の人として描かれているのがミラージュさんなので、テーマ的にミラージュさんの方がまとまる気がします。 今回の『マクロスデルタ』、華々しく「今、ここ」を生きて散る(今話のメッサーさん、今後予想されるハインツ王子)描写とは逆説的に、(精神的)非リア充でも生きていけ、生き続けていけって話な気がしてますよ。何かを成すことはないとしても、生きていくのがミラージュさん。

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→前回:マクロスΔ第9話「限界 アンコントロール」の感想へ
→次回:マクロスΔ第11話「追憶 ジェリーフィッシュ」の感想へ
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【関連リンク1:当ブログの以前の『マクロス』感想】

当ブログの『マクロスF』の感想

【関連リンク2:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】

2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)