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 アニメ『クロムクロ(公式サイト)』第13話「祭囃子に呼ばれて」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 たとえば、スマートフォンの画面越しに「向こう側」として見るだけか、一緒に「当事者」として場を共有するか。

 そんな「当事者性」の有無という要素が様々な箇所に見られる本作。

 前回は、スマートフォンの画面越しに映る美夏はコスプレ姿で、その本当の姿は分からない。そういう要素が、エフィドルグ達も通信越しにコスプレ姿(仮面をかぶってる)が見えているだけで、その本当の姿(彼・彼女らにまつわる真実)は分からない……という要素と重ねられているのではと感想では書いておりました。

 で、今回は美夏は画面越しじゃなくて、目の前にいるし、学園メンバー・一般の人々的には画面の向こうの出来事でしかなかったエフィドルグ関係の事柄について、同じ場を共有して討論会を行うしで、ぐっと「当事者性」が増したエピソードなのですね。

 その画面の向こう→場を共有する「当事者」へ……という本エピソードの中で、学園の「当事者」なら美夏の本当の姿を知っているように、「当事者」になった時ソフィーが引鉄を引くのを躊躇ってしまったように、様々な、画面の向こうを見ているだけでは見えてこなかった、非コスプレ・素顔的なものが見えてきます。その到達点として、コスプレしていた/仮面をつけていたエフィドルグのムエッタが、「当事者」として場に現れて仮面が取れてみたら雪姫にそっくりだった、という所で引きへ。同時に、クラスメイトサイドも、刺される剣之介をその場で目撃することで、「画面の向こう」を見ていただけだった「非当事者」から「当事者」に。「祭り」がそもそもそういう「境界」の解除を含意することが多いですが、「非当事者」と「当事者」の壁が崩れた回だったと。一クールラストの転換点エピソードとして区切りが良いですね。

 この辺りの要素、軽く対照表にしておいてみますか。


 非当事者(画面越し)―当事者(場を実際に共有)

・当初人類側は剣之介を信用できなかった―小春救出など「当事者」として場(イベント)を共有するうちに信じられるようになってきた(序盤)
・通信越しのすれ違いの連鎖―実際に会って話す&「食」の場を共有する(第8話〜第9話あたり)
・フスナーニの窓越しの銃撃(殺人の実感が希薄)―剣之介が「当事者」として実感を伴ってフスナーニを刺殺(第11話)
・画面に向かってゲームで戦う赤城君―実際に「当事者」として戦ってるソフィーら
・画面越しのコスプレ姿の美夏―クラスメイトとして同じ場にいる素顔の美夏
・エフィドルグについて画面越しにしか知らないクラスメイトたちや一般人たち―実際に場を共有してエフィドルグについての討論会をやろう
・ロボットの画面越しなら有能に戦えるソフィー―「当事者」としては現れたムエッタに対して引鉄を引くのを躊躇ってしまうソフィー(フスナーニを刺殺した実感で震える剣之介との類似性)
・通信越しの仮面をつけたエフィドルグ達―「当事者」として同じ場に現れたムエッタは雪姫と似ていた!
・(視聴者も含めて)伝聞でしか伝わってこない由希奈の父の色々―???(これから明らかになるであろう由希奈の父の真意)
・(視聴者も含めて)伝聞でしか伝わってこない剣之介の時代に起こった出来事―???(これから明らかになるであろうエフィドルグとの関係も含めた真実)
・画面の向こうの謎の信長ロボットアニメとか時代劇とかで現代に残っている模造としての「サムライ」―「今、ここ」に一緒にいる剣之介というホンモノの「サムライ」


 などなど。

 これ、必ずしも「当事者」側が良いというわけじゃなくて、両者がデコンストラクション(脱構築)された様子も描かれている複雑な作品で、例えば、「日本文化」については、「当事者」の由希奈よりもソフィーの方が詳しいなんてシーンが今話でも描かれていたりです。

 そんな感じで、複雑ではあるのだけれども、それでも両サイドを超える「真実性」のようなものがあり、各種モチーフ(エンディングの映像など)より、それが「愛」だと描くのかなと後半戦の展開を期待していたりです(^_^.

→主題歌

デストピア
loversoul music & associates
2016-05-11


→Blu-ray



→前回:クロムクロ第12話「黒部の夏に地獄を見る」の感想へ
→次回:クロムクロ第14話「祭に踊る羅刹」の感想へ
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【関連リンク:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】

2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)