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 アニメ『響け!ユーフォニアム2(公式サイト)』第五回「きせきのハーモニー」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 長年の当ブログの解釈の通り、京都アニメーション作品にはいくつか作品をまたいで受け継がれ・進展しているテーマのようなものがあります。

 現在リリースされている作品群の中で、その最も最新のものは映画『聲の形』(公式サイト)で描かれており、この『響け!ユーフォニアム2』は、「その次」の物語である、ということ。↓


参考:映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


 そして、その流れの中でもこの『響け!ユーフォニアム』は「ポニーテール」に象徴性を持たせた「ハルヒ」文脈の作品であるという点は、当ブログのこちらの記事を。↓


[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 ここまでを前提としつつ。

 ◇◇◇

 『けいおん!(!!)(感想)』の梓が、最終回で「梓のため」だけの曲、「天使にふれたよ」を唯たちに演奏して貰えたのに対して、本作のあずさは、誰もあずさのために演奏してくれる者はなく、敗北者として画面に表情すら映されずに去っていく。

 第一期第五回「ただいまフェスティバル」の感想でも書いたけど、このメタな「あずさ」の扱いは、本作はシリーズ演出に山田尚子さん(『けいおん!(!!)』の監督)も入っているので、作り手も意図しているものだと思うのですけどね。本話であずさの顔が一切登場しない(という演出を行っている)のは、勝者が笑顔を享受している一方で、(視聴者も含めて)我々の意識(画面)の外で泣いてる人がいるという表現かと思います。今話のクライマックスの演奏シーンでも挿入された、久美子が美しいものだと思った「花火(『けいおん!(!!)』から続く京都アニメーション作品の「輝き」の象徴)」を、同じ日に共同体から排斥された葵も見上げていたし、メタに劇外では同じ花火を見た日に西宮硝子(映画『聲の形』@同山田尚子監督作品)は投身自殺をはかってしまうのだ。それが世界。

 この「天使にふれたよ」の世界観の次のステージというのは、個人的にこれも関係あるのかな? とか思ってるのですが。↓

 誰のために吹くのか(演奏するのか)の話は、前回の感想で書いた「代役の構造」と一緒でしたね。

 希美さんにとって、鎧塚さんは(他の沢山いる友達の一人に過ぎないという意味で)「代役」に過ぎなかった。そのことで傷ついた鎧塚さんの欠けたものを埋めるように、優子さんが「代役」で入っていた。鎧塚さんと希美さんがよりを戻して今度はその優子さんが欠けてしまった時、今度は夏紀先輩がその欠けたものを「代役」として入って埋める。そういう、円環的に補い合う共同体、という世界観。

 それと同じで、誰かが誰かの「欠けたもの」を補うように、誰かのために吹く。共同体から排斥されて欠けてしまった希美さんのために、鎧塚さんは吹く。

 (実は)欠けている(麻美子の問題)久美子のために麗奈は吹く。

 あすか先輩が、おそらくは滝先生も欠けてしまった人間(奥さんを亡くしている件)なのに気づいていて、滝先生のためにというのを口にするのはさすが。

 そして、もしかしたら滝先生が北宇治高校吹奏楽部の顧問をやっていたのは奥さんを失ったがゆえの代償行為的な意味合いもあったかもしれないのだけれど、そんな滝先生のおかげで、鎧塚さんは中学時代の呪縛から解放されて救われた(ラストシーンで、希美さんのためだけ、という呪縛から解放されている)。

 こういう縁起での救い・救われの関係に、前回の「代役の構造」と同じ、円環的な補い合う共同体、という世界観が観て取れます。

 演奏のクライマックスで、檀上(椅子取りゲームの勝者)の久美子、あすか先輩、麗奈の「ポニーテール」だけじゃなくて、檀上には上がれなかった(椅子取りゲームの敗者)希美さん、夏紀先輩らの「ポニーテール」もカットインするのは鳥肌もの。そもそも「ポニーテール」の記号もない、檀上に上がれなかった葉月とかも入ってるのも鳥肌もの。

 檀上に上がれたか、上がれなかったかは、まさに光が当たる側と当たらない側の演出で描かれていて、「明暗」って感じなのですが、その二つはバラバラではなく、繋がっているんだ・相補い合っているんだということを美しく表現していたと思います。第二期の感想ではこの辺りで書いてた「二項対立」に還元しない、という世界観ですね。「明」と「暗」は一致する類……というような世界観。

 ただ、この競争原理の中で勝った者(椅子に座れた者)と勝てなかった者(椅子に座れなかった者)というテーマは、「外」にもう一層レイヤーがあって、この演奏シーンでは「明」と「暗」が縫合されているのですけれど、そもそもこの「場」にすら入れなかったレイヤーとして、


・吹奏楽を辞めてしまった久美子の姉の麻美子
・共同体から排斥された葵
・顔すら映されない敗北したあずさ


 というレイヤーがあります。


 (明)(暗)<この二つは一致されて昇華された>【画面の内】/【画面の外】麻美子・葵・あずさ


 という段階が第五話の演奏シーンということですね。

 これ、最終回までには【画面の内】/【画面の外】も縫合される展開が来るのではないかと。それが、今回ではまだはっきりしていない、久美子が「誰のために吹くのか」という部分とリンクしていくのではないかと。

 そして、前回までの感想の通り、『ハルヒ』のラストの「白雪姫のキス」エンド(キョンとハルヒの二者間の相互承認で生きる意味を回復する)を(テーマ的に)乗り越えようとしている最近の京都アニメーション作品としては、それは「秀一のため」とはならないのだと思うのですね。

 なんかもっと、時代のためとか、音楽が題材なので、もっとそういう言語化できない、ロゴスでは捉えられない領域に入っていくのだとは思うのですけどね。久美子が辿り着くであろうその領域が、あすか先輩と似てるから、第二期に焦点があたってるのは、久美子とあすか先輩の二人だと。

 自分のことだけじゃないのはもちろん、二者間で終わりでもなくて、円環する世界観。それは、時代を、あなたを守護る的な発想なので、実質『刃牙道』の本部です(え)。今週の「刃牙道」良かったよね。週刊連載な分、「刃牙道」の方が世に出るのが早かった印象です。

 厳しい時代なので、だれかの欠けたシントムを埋めるため、時代を守護るため、久美子とあすか先輩が本部になる作品ですよ(え)。

 バカヤロウ…それじゃよぉ…守護れねぇだろが…。

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→前回:『響け!ユーフォニアム2』第四回「めざめるオーボエ」の感想へ
→次回:『響け!ユーフォニアム2』第六回「あめふりコンダクター」の感想へ
当ブログの『響け!ユーフォニアム(2)』感想の目次へ

【関連リンク0:2016年秋時点での京都アニメーション文脈(ハルヒ文脈)の最新地点、映画『聲の形』について】

映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)
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『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
[5000ユニークアクセス超え人気記事]『境界の彼方』最終回の感想(少しラストシーンの解釈含む)はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら
『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら


【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
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【関連リンク3:京都アニメーション作品のこれまでの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)