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 アニメ『響け!ユーフォニアム2(公式サイト)』第十一回「はつこいトランペット」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 長年の当ブログの解釈の通り、京都アニメーション作品にはいくつか作品をまたいで受け継がれ・進展しているテーマのようなものがあります。

 現在リリースされている作品群の中で、その最も最新のものは映画『聲の形』(公式サイト)で描かれており、この『響け!ユーフォニアム2』は、「その次」の物語である、ということ。↓


参考:映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


 そして、その流れの中でもこの『響け!ユーフォニアム』は「ポニーテール」に象徴性を持たせた「ハルヒ」文脈の作品であるという点は、当ブログのこちらの記事を。↓


[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 ここまでを前提としつつ。

 ◇◇◇

 前回で『「特別」オブ「特別」』だったあすか先輩が堕天(それまでの意味での「特別」じゃなくなることをこのブログの感想記事ではこう表現してきましたが)して、残るストレートな意味での「特別」を貫けそうなのは劇中で麗奈のみとなっている状況でした。

 そして、そんな麗奈も、ストレートな「競争原理」を勝ち抜いた上で手に入るという類の意味合いの「特別」からは、今話で堕天します。

 「オーディション」、「コンクール」の要素だけじゃなく、「恋愛」も、限られた椅子を奪い合う類の事柄として今作では「競争原理」側の事象の扱いになっているというのは第一期の感想から書いておりましたが、滝先生の奥さんに勝利することはできないという意味で、麗奈も今話でついに「競争原理」の中で敗北してるのですね。


 「私、自分の弱さにびっくりした」(高坂麗奈)


 かなり、台詞でも明示的に、それまで貫かんとしていた類の麗奈の「特別」が揺らいでしまったのが表現されておりました。

 第一期第八回と、「大吉山に久美子と登る」というシチェーションが重ねられているのですが、第一期第八回の大吉山のシーンが「麗奈は『特別』である」というシーンだったのに対して、今回の第二期第十一回の大吉山のシーンは「麗奈は『特別』じゃなかった」というシーンに裏返る構成になっております。

 「もう奥さんいないんだよ」「私、応援してるよ」などなど、この特権性とか「特別」性とかなくなって、地べたをはっていくしかないような、普通の人間なりの健全な澱みの話が出てくるのが、本当、麗奈も堕天してしまったんだなぁという感じです。

 「恋愛」での敗北は、第一期では葉月で描かれておりました。楽器の演奏に関しては最強の麗奈と、最弱の葉月が、ある意味で同じように「特別」ではない。そのことをむしろ救いとして描いている作品かと思います。

 さて、本作で、北宇治高校吹奏楽部を中心とする「共同体」からは排斥されている存在が主に、四人いて、


・葵
・梓
・麻美子
・滝先生の奥さん


 だという話を書いておりました。

 葵に関しては、第二期第一回の花火のシーンで十分かと思いますし、もしかしたらあと二回で何かしら描かれるのかもしれません。また、最後まで「共同体」の「同調化圧力」を指弾し続ける存在として、「外」側にいるというのもカッコいいかな、とも思います。

 梓に関しては、彼女のメインストーリーは原作小説の武田綾乃先生の新作『響け! ユーフォニアムシリーズ 立華高校マーチングバンドへようこそ』にてよろしくということなのかという気もしますし、本作内でも、第七回「えきびるコンサート」(感想)の、「内」と「外」が相互貫入し合っている「境界領域」のシーンにて、彼女も交っている……というシーンで決着していると感じます。

 麻美子に関しては、家を離れているので一見「共同体(家族)」を崩壊させる側に見えるのですが、自分の本懐(本心・本当にやりたいこと)をねじ曲げて共同体に屈するのもまた「同調化圧力」として描いている作品です。では、「共同体」を大事だという気持ちと、でも自分の本懐のもとにも進んでいきたいという気持ち、その二律背反(アンビバレント)をどうするのか? というのが本作のテーマの一つと思われるところなのですが、解法はこれまで書いてきたように「代役」という存在がキーで、麻美子が抜けた分は、麻美子の「代役」として久美子の側にいることを選び取っている秀一(麻美子と同じトロンボーン)の存在を媒介にして、少し新しい「次の」形の「共同体」が再生されそうなのを示唆させて、現時点ではとりあえず一区切りしております。

 そして今話、滝先生の奥さんです。滝先生の奥さんは故人ですので、「共同体」の「外」というよりは、この「世界」の「外」、「この世」の「外」という感じですが、流れ的には、この「共同体の外の存在をも排斥しない、新しい『次の』「共同体」とは?」というテーマの延長線上で描写されているキャラクターかと思います。

 もともと、北宇治高校吹奏楽部という共同体の「内」と「外」、学校、コンサートホール、駅ビルなどの建造物の「内」と「外」、などなどが相互に交流し合って「境界領域」的なものを形成する……という象徴表現が、「この世」と「あの世」の「境界領域」、という射程にまで伸びしろを広げている作品でありました。エンディング曲の「ヴィヴァーチェ!」の歌詞は表面的には「卒業」を扱ってる感じですが、明らかに「死」、それゆえの「生」の「一回性」まで意識される歌詞になっています。

 この、もうこの世界にいない故人を、どう「共同体」的なものとリンクさせていくか、というスリリングかつ現代的な題材(「慰霊」が哲学的・社会システム的に重要な意味を持っている世相だから)を扱っているのですが、このブログの感想を読んでいた方にはお気づきの通り、これも「代役」を媒介にして「境界領域」を形成する、という物語の運び方でありました。

 麗奈が、滝先生の奥さんの「代役」として描かれるのです。

 ここで、麗奈の「特別」からの堕天という物語と、滝先生の奥さんという「共同体(というかこの世界)」の「外」の人とのリンクをどうするのか? という物語が合流します。

 麗奈は「恋愛」というフィールド(繰り返しになりますが、本作では「競争原理」側の事象の扱いです)で滝先生の奥さんには勝てないので、それまでの「勝ち続ける」というような意味合いの「特別」からは堕天しますが、滝先生の奥さんの「代役」という「特別」を選び取り直します。ソレは、この感想記事では散々書いてきた、夏紀先輩や秀一が体現してきた「代役」なりのヒーロー像(「特別」像)と同系のものです。


 「でも、高い所を目指す気持ちはとても大切だと思いますよ」(滝昇)

 「私、前から思ってたの。どうしてもっと早く生まれてこなかったんだろう。私だけ時間が進むのが速ければイイのにって。早く大人になって滝先生に追いつければイイのにって」(高坂麗奈)



 麗奈の(「競争原理」を勝ち抜くというような意味での)上昇志向、「特別」への志向は、実は滝先生の側にいたい、恋愛のパートナーになりたいという志向の変奏でした。

 その願いが(ストレートな意味では)絶対に叶わないと突きつけられた今、麗奈は「代役」という別な形での「特別」(夏紀先輩的な「特別」に近い)を選び直すのですが、その後も言葉では同じように、コンクールで「金」を目指すと語っています。

 ですが、気持ち・想いは、「競争原理」を勝ち抜く、から、滝先生の奥さんの夢を叶える、故人の想いを尊重する、というように変わっています。


 「滝先生のユメを叶えてあげたい」(高坂麗奈)


 自分が椅子に座れないとしても、その人の想いを守りたい、という、夏紀先輩的、近年の京都アニメーション作品的、「代役」のヒーロー像。

 この構造がたとえば北宇治高校吹奏楽部という「共同体」から排斥されていた希美さんのことを想って演奏していた鎧塚さん……という構造と重なり、麗奈は「共同体(というかこの世)」の「外」の滝先生の奥さんを想って演奏する、となります。ソレは、「共同体(この世界)」の「内」と「外」がリンクしている、相互貫入し合う「境界領域」を形成する、という物語として収斂しています。

 「競争原理」だけでは排斥されてしまう存在(梓、麻美子、滝先生の奥さんなど)のことを想う類の力で、「競争原理(コンクール的なもの)」の中を進む、という、二律背反(アンビバレント)を包摂したまま進む「共同体」像。進んで行く過程でまた「排斥される者」は出るかもしれませんが、「代役」を媒介にして、絶えず「内」と「外」は相互貫入し合っている……という世界観です。

 前回(『けいおん!(!!)』から五年経ったあなたへ〜響け!ユーフォニアム2第十回「ほうかごオブリガート」の感想(ネタバレ注意))、前々回(この世界との縁がほどけてしまわないように〜響け!ユーフォニアム2第九回「ひびけ!ユーフォニアム」の感想(ネタバレ注意))の感想で、一連のあすか先輩が吹奏楽部の「外」に一度出て、「内」に戻ってくる流れは、「足」の描写に注目して、あすか先輩がこの世界の「外」=「幽霊」から、「内」=「生」に戻ってくる流れまで射程にある表現だという話を書きましたが、今話でも映像としてボヤけていたあすか先輩(やはり「幽霊」を連想します)が、くっきりと映るようになる、という表現は、そのような「あの世=外」から「この世=内」へと戻ってきた表現に思われます。直後が夏紀先輩との会話のシーンになっている通り、媒介になっているのはやはり「代役」の夏紀先輩です。このように、「内」と「外」は「代役」を媒介にして「境界領域」を形成して相互貫入し合っている。

 なので、麻美子も家という「共同体」の「外」に出ましたが、絶縁とかではなくて、また家の「内」に入ってきたり、何かしら繋がっている描写が補強で入ると予想。滝先生の奥さんも、ファンタジー作品ではないので生き返ったりはもちろんしないのですが、何かしらこの世とリンクしている表現が入ると予想したりです(また、今話でソレは十分達成されてもいます)。

 「代役」を媒介にして、「外」に出ていったり、「内」に入ってきたり。例えばリアルの方で、東日本大震災でパートナーを失った人も、新しいパートナーを持ち始めていたりします。その方は、喪われたパートナーの「代役」でしかないのか? また逆に新しい方のパートナーとの関係を築くために、故人のパートナーの方は忘れないとならないのか? そんな、「合理」に基づいた二項対立の世界観だけでは苦しく、また息がつまってしまうところを、「代役」を媒介にしてどちらを否定するでもなく、波が引いたり寄せたりするように、「境界領域」を行交っている本作(というか近年の京都アニメーション作品)の世界観は、優しさ、全体性、包摂を提供しているような印象を受けます。

 ラストシーンは「特別」から堕天した麗奈が、「外」=「あの世」の滝先生の奥さんの想いを受け取って、そして伝えるために演奏するシーンですが、このシーンも映し出されるのは京都の風景で、一人、滝先生の奥さんの想いを感じているだけでなく、千年単位のこの地、この場、ここで生きた人達の魂、想いに包まれているかのようなシーンに完成されていると思います。

 宮城県は仙台の澁澤龍彦幻想文学館で三浦雅士さんの講演を聞いた時に、「死」の世界は、(風景的な意味での)「外界」であるという類の話を聞いたことがありますが(またそのテーゼの系譜は夏目漱石〜小林秀雄〜澁澤龍彦という流れの中で捉えられる日本文学の一大テーゼの潮流だとも。ここでも、本作が数十年単位に留まらない「歴史」と接合可能な作品であるのが示唆されます。)、ここで生きている麗奈と久美子と、そういった類のもの(死、故人、風景)が、波打ち際のような柔軟さ(音楽が果たしてる役割が大きいと感じます)を媒介にして、共鳴し合ってるというようなこのラストシーンは、中々すごい領域を表現しているなぁと思いました。

 最近の感想で『源氏物語』も本歌にある作品なんじゃないかという話を書いておりましたが、思い出したのは、「御法」〜「幻」〜「雲隠れ」〜辺りの帖ですね。紫の上も光源氏もみんなみんな亡くなっていく辺りですが、風景=世界について、故人の想いについて、そういう帖です。

 かくして、「代役」と堕天と、「『代役』なりの『特別』」と、一人一人の本懐と、千年単位の想いを乗せた、「内」と「外」を「境界領域」で行き交う、「次の」「共同体」の可能性を体現した北宇治高校吹奏楽部が、「競争原理」とは少し違う形の力で、「競争原理」的なコンクール(=全国大会)に向かうというラスト2へ。

 今年はこの作品に出会えて良かったな〜。

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黒沢ともよ
ポニーキャニオン
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→公式ガイドブック



→前回:『けいおん!(!!)』から五年経ったあなたへ〜響け!ユーフォニアム2第十回「ほうかごオブリガート」の感想(ネタバレ注意)へ
→次回:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)
当ブログの『響け!ユーフォニアム(2)』感想の目次へ

【関連リンク0:2016年秋時点での京都アニメーション文脈(ハルヒ文脈)の最新地点、映画『聲の形』について】

映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)
[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)
『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
[5000ユニークアクセス超え人気記事]『境界の彼方』最終回の感想(少しラストシーンの解釈含む)はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら
『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら


【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
『けいおん!(!!)』シリーズ構成の吉田玲子さん脚本による「バッドエンドけいおん!」を浄化する物語〜無彩限のファントム・ワールド第7話の感想(ネタバレ注意)
『SHIROBAKO』(シリーズ構成ではなく同テーマのキー話の脚本)の感想
『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について


【関連リンク3:京都アニメーション作品のこれまでの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)