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 アニメ『響け!ユーフォニアム2(公式サイト)』第十二回「さいごのコンクール」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 長年の当ブログの解釈の通り、京都アニメーション作品にはいくつか作品をまたいで受け継がれ・進展しているテーマのようなものがあります。

 現在リリースされている作品群の中で、その最も最新のものは映画『聲の形』(公式サイト)で描かれており、この『響け!ユーフォニアム2』は、「その次」の物語である、ということ。↓


参考:映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


 そして、その流れの中でもこの『響け!ユーフォニアム』は「ポニーテール」に象徴性を持たせた「ハルヒ」文脈の作品であるという点は、当ブログのこちらの記事を。↓


[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 ここまでを前提としつつ。

 ◇◇◇

 先に図を描いてしまいましょう。

 本作で描かれている(模索されている)、新しい「次の」「共同体」のカタチ。

 第五話までで描かれていた二年生組(南中学出身組)共同体のあり方・再構築のされ方が、物語全体で描かれる最終「共同体」の暗示になっていたのだなぁと気づかされたのでした。


 A希美←Bみぞれ←C優子←D夏紀


 という、関係性ですね。

 希美さんを起点にするとやはり分かりやすくて、希美さんは「ポニーテール」の記号を纏い、みぞれさんに「私にとって希美は『特別』だから」と呼ばれている疑似ハルヒのポジションです。ただし、中学時代に「競争原理」の前に敗れ去って、その「特別」性は現在では剥奪され、「共同体(北宇治高校吹奏楽部)」からも「外」に追いやられていました。

(希美さんが属する「A」は:「みぞれさん属する「B」の人」のルーツにあたる人だけど、「競争原理」のために今では関係性がもつれてしまい、「共同体」の「外」にいます。基本的には、この「A」の人に、「B」の人が「想い」を届けたい、そのために演奏する、というのが『響け!ユーフォニアム2』という作品で描かれる、「共同体」関係の物語です。)

 みぞれさん(B)は、希美さん(A)の存在によって自分自身の存在価値を自己承認していたので、これは二者間の関係で「特別」性を回復するという、『ハルヒ』におけるハルヒとキョン関係を構築していたのですが、「競争原理」のために希美さん(A)がダメになってしまったために、自分(みぞれさん自身)の存在価値も崩壊していた人です。

 そんな希美さん(A)からの「二者間の関係」としての承認を失って崩壊していたところに、みぞれさん(B)にとって、いわば希美さんの「代役」としてセーフティネットとして機能していたのが、優子さん(C)です。この優子さんが、みぞれさんを引き上げるシーンを、第四回「めざめるオーボエ」(感想)にて、影から光に引き上げる演出で焦点をあてていることから、最近の京都アニメーション作品は、ここの「代役でも意味がある」というテーマに重きを置いているのが伺えるというのはこれまでの感想で書いてきた通りです。

 ところが、健気な「代役」をやっていた優子さん(C)なのですが、みぞれさん(B)はやっぱり「ハルヒ」が、希美さん(A)がイイと言って寄りを戻してしまうので、今度は優子さんが「椅子取りゲーム」の椅子から外れる(「競争原理」における敗北)ことになります。なのだけど、そこに夏紀先輩(D)がサポートに入ることで、「代役」として生きる人の意味を救いとっているというところで、第五回「きせきのハーモニー」(感想)までは一つの「次の」「共同体」のあり方を描写していました。

 ここまでで、「代役」(キーパーソンはやはり夏紀先輩=ポニーテール=「代役」なりの「特別」)を媒介にして、しなやかに補い合うという、かなり良い感じの「共同体」像が浮かび上がってきておりました。

 そして、ここからが凄いのですが、物語全体を通して見ると(まだあと一話残っておりますが)、この第五回までで描かれていた「共同体」像が、さらに何重層にもなっていて、相互に連関し合い、物語終盤になると、より懐が深く、射程が広い、大・新型「共同体」みたいなものが描き出されるようになっていたということです。

 こちらも、先に図を描いてしまいましょう。


 A滝先生の奥さん←B滝先生←C麗奈
 A進藤正和←Bあすか先輩←C久美子(中世古先輩など)
 A麻美子←B久美子←C秀一


 少なくとも、この三組が、上述の第五回までで描かれた二年生「共同体」に写像される形で、重奏として描かれています。

 「A」が、今では「共同体」の「外」に行ってしまった人で、背後には「競争原理」が絡んでいます。

 「B」の人は自分にとって大事な「A」の人を想い続けており、そのために「演奏」しています。この「想い」が届くのか? というのが、物語全体の一つの見どころになっています。

 「B」の人の「想い」が「A」の人に届くかは、「C」の「代役(Aの人の代わり)」ポジションの人が重要なポジションになります。

 順に見ていってみましょう。

 「A」の滝先生の奥さんは「共同体」の「外」というか、故人ですので、この「世界」の「外」に行ってしまった人です。そんな滝先生の奥さんを、滝先生はイタリアンホワイトの花言葉に象徴される「あなたを想い続けます」の心で想い続けています。(第六回「あめふりコンダクター」の感想

 そんな「外」の世界の滝先生の奥さんとこの世界とのリンク、経路を開くのが、他ならぬ滝先生の奥さんの「代役」となる麗奈であり、それは故人との関係性という題材上、「慰霊」というテーマを含んでいるというのは、前回第十一回「はつこいトランペット」の感想に書いた通りです。

 今話では、「代役」である「C」の麗奈から「B」の滝先生への「好き」という存在の肯定・承認が行われます。これは、二年生組の関係性において「C」の優子から「B」のみぞれへの存在の肯定・承認が描かれた第四回と同じ構図です(今思うと、みぞれは結局希美と寄りを戻すわけですから、あのシーンの優子とみぞれも、微妙に「すれ違って」いるのですよね……)。

 ですが、この麗奈の滝先生の「好き」の告白は、映画『聲の形』の西宮硝子の「告白のすれ違い」を連想させるように(麗奈も今話は「ポニーテール」)、「すれ違って」しまいます(滝先生から麗奈へのアンサーはないし、そもそも「スキ」という言葉に関して「すれ違って」いる)。

 ここまで、ああ、映画『聲の形』といい、今年の京都アニメーション作品の「代役」のヒーローは、特には恋愛関係、「想い」が通じ合うという点では報われないんだなぁ。でも、そんな不完全な人間なりに、この世界で生きていくしかないよなぁ、と、個人的に映画『聲の形』を振り返ってしみじみとしていたところでした。

 次に、「A」の同じく「共同体」の「外」にいる進藤正和にむけて、「B」のあすか先輩が「想い」を届けたいという構図も、まったく重なる構図として描かれています。

 「B」のあすか先輩が精神的な危機にいる人で、「A」の父・進藤正和の「代役」として、「C」の久美子から「B」のあすか先輩に、「好き」という存在の肯定・承認が行われる(第九回〜第十回)のも同じです(参考:『けいおん!(!!)』から五年経ったあなたへ〜響け!ユーフォニアム2第十回「ほうかごオブリガート」の感想(ネタバレ注意)この世界との縁がほどけてしまわないように〜響け!ユーフォニアム2第九回「ひびけ!ユーフォニアム」の感想(ネタバレ注意))。より正確には、中世古先輩辺りもキーパーソンで(例の靴ひものシーン)、色々と繋いで最後に久美子にバトンが渡って、あすか先輩の存在肯定に繋がる、という流れでした。

 「B」のあすか先輩の「想い」が「A」の父・進藤正和に届いたのかという部分は、今話では、届いたっぽいけど、進藤正和から直接のあすか先輩へのアンサーはなく、滝先生が伝言を伝える、という描き方になっておりました。

 滝先生から故人の滝先生の奥さんへの想いもそうですが、「B」の人の「想い」は「A」の人に、届いたような、でもアンサーまでは貰えないような、繊細な描き方だなぁ、でも、そんな不完全な人間なりに、この世界で生きていくしかないよなぁ、と、またまた個人的に映画『聲の形』を振り返ってしみじみとしていたところでした(笑)。

 そして、ここからです。

 ここまで十分にタメておいて、ラスト、「A」の同じく「共同体」の「外」にいる麻美子にむけて、「B」の久美子が「想い」を届けたいという構図も、まったく重なる構図として描かれているのですが。

 まず、ここでは「B」の久美子がちょっと精神的な危機にあるポジションで、やはりこの感想で書いてきた通り、麻美子の「代役」であることを選び取っていた(トロンボーン)「C」の秀一から、「誕生日のプレゼント」という、生まれてきたことを祝福する、存在の肯定・承認が「B」の久美子へと行われます。ですが、このシーンも、「C」から「B」への告白のライン、今話だと麗奈から滝先生へのラインにもれず、「すれ違い」が生じたままです。久美子は秀一の気持ちにまだピンときていない。けれども、ここで秀一が麻美子の話を持ち出したことが久美子の最後の感情の潜在的なトリガーになってるので、やはり、「C」の「代役」の秀一は、「B」の久美子が「A」の麻美子へと「想い」を届けるためのきっかけになっていることが見てとれます。「すれ違い」のままの「代役」だとしても、あなたの心を守るよ、という、そういう「代役」なりの「特別」像。ヒーロー像。

 このまま、「すれ違い」のまま、「想い」って中々伝わらないよね、それでも、この不完全な私たちなりにこの世界で生きていくしかないよねエンドなのかなと思っていたので、ラストのラストで、久美子がなりふり構わず、「外」の麻美子に向かって駆けていくところで、ほんっとうに、心動かされたのでした。「B」の人、みぞれさんにも、滝先生にも、あすか先輩にもなかった、この久美子の衝動。踏み出す一歩。「主人公」って、こういうことかと。背後に、映画『聲の形』までをも見てました。映画『聲の形』は「すれ違い」のままなりの不完全な私たち・この世界と共に生きていくということで、もちろんテーマとしても映画としても完成されているのですが、それはそうと、私は走る。

 演出も、大事な人の元に向かって駆けて行く主人公という、『けいおん!』最終回の唯と同じ構図です。「『けいおん!(!!)』から五年経ったあなたへ〜響け!ユーフォニアム2第十回「ほうかごオブリガート」の感想(ネタバレ注意)」で書いた通り、麻美子がトロンボーンを辞めた五年前というのは、東日本大震災の年と、『けいおん!(!!)』が終わった年と同じですから、ここも第十回と同じように、「メタ」な、でも、今、もう一度伝えたいことがある、という演出かと思います。(本作のシリーズ演出は、『けいおん!(!!)』の監督の山田尚子さん)

 ホールの「外」、「橋」という「境界領域」にて、「B」の久美子から、「A」の麻美子への「好き」の告白。「想い」を伝えるという行為。ちなみに重度の『けいおん!(!!)』ファンなので、久美子の告白内容は「メタ」に、『けいおん!(!!)』があったから本作(自分)もある、あなたは無駄じゃなかった、意味があった、と言っているように聞こえます。

 そして描かれる「奇跡」。滝先生も、あすか先輩も、もう直接受け取ることはできなかった、「A」の人からの「B」の人へのアンサー、「私も大好きだよ」が、麻美子から久美子へと返ってきます。映画『聲の形』も込みで、あまたの「ポニーテール」文脈を乗せて、万感の、ですよ。複雑なシーンですが、同じ「A」の者として、今はもう言葉を発することができない滝先生の奥さんの「代役」として、麻美子が、久美子に「伝え返し」ているのです。ここで、間接的に滝先生も報われています。絶対滝先生の奥さんもそう言ってくれるはずだって、ここまで物語を追ってきた者には分かるから。

 強い、滝先生の奥さんと違って、麻美子はまだ生きているのだから、大事な人に伝えたいことは、ちゃんと伝えておこうよというメッセージにもなってるシーンだと思いました。後悔をしないように。滝先生の奥さんが亡くなったのも「五年前」。悲しい出来事をなかったことにするのではなく、現在の「共同体」と相互貫入可能な状態で受け取り直した上で(第十回〜第十一回)、今、まだ生きている大事な人について。今年あまた見られた東日本大震災の「慰霊」を扱った作品(間接的なものから、だいぶ直接的なものまで、どれくらい作品のコアに根差してるかは作品ごとにグレイダブル)の中で、この『響け!ユーフォニアム2』が一番真摯な作品でした。

 さあ、あとは最終回を残すのみですが、この表。↓


 A希美←Bみぞれ←C優子
 A滝先生の奥さん←B滝先生←C麗奈
 A進藤正和←Bあすか先輩←C久美子(中世古先輩など)
 A麻美子←B久美子←C秀一


 実は、「代役」の「代役」的な「D」も追加可能です。そのポジションこそがこの感想で何回も取り上げている「零れ落ちる者の味方」的な夏紀先輩的な「特別」像、ヒーロー像で本作で重要だったりするのですが、その「D」も追加してみましょう。


 A希美←Bみぞれ←C優子←D夏紀←E久美子(この時点では部外者)
 A滝先生の奥さん←B滝先生←C麗奈←D久美子
 A進藤正和←Bあすか先輩←C久美子(中世古先輩ら)←D秀一
 A麻美子←B久美子←C秀一←D葉月


 特に説明はいらないでしょうか。「C」の人の存在を肯定している、ぶっちゃけ「好き」と言ってあげてるポジションが「D」なのですが。

 久美子が、「E」から「B」まで全てのポジションを演じながら「移動」してきてるのが分かると思います。

 この、「移動可能性」というか、「ポジションに固定された絶対性はなく、境界領域を形成しながら『代役』を媒介に『しなやかに』入れ替わりながら『全体性』を維持していく」感じこそが、僕が曼荼羅(え)とか、仏教(ブディズム)関係とか言ってた、新しい「次の」「共同体」のカタチの醍醐味だったりするのですが。

 この、大曼荼羅的(え)「共同体」像を素描しただけで本作は凄い作品だと思うのですが、それはそうとして、じゃあ、最終回って、久美子の最後の「移動」、久美子が「A」になる話なんじゃないの、ということです。


 A久美子←B秀一


 これで完全に「円環」が完成するので……、


 A希美←Bみぞれ←C優子←D夏紀←E久美子(この時点では部外者)
 A滝先生の奥さん←B滝先生←C麗奈←D久美子
 A進藤正和←Bあすか先輩←C久美子(中世古先輩ら)←D秀一
 A麻美子←B久美子←C秀一
 A久美子←B秀一
 A秀一←久美子(???「最終回」???)


 曼荼羅感(え)を出すためにも、秀一、がんばってほしい。いや、違うか、久美子ががんばる話なのか。

 「代役」だった人に、「好き」の祝福を、というのは、まんま『たまこまーけっと』〜『たまこラブストーリー』のラインなので(これも山田尚子さん監督)、たまこのお母さんの「代役」だったもち蔵(『たまこラブストーリー』のラストシーンのたまこの台詞は、全部たまこが亡くなったお母さんに伝えたかったことにもなってる)にもまつわる物語になってきます。果たしてあのラストシーンのたまこともち蔵を掬い取るのか、(麻美子の)「代役」だった秀一と久美子の物語、最終回の最後の絵を、楽しみにしてるのでした。

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→前回:『響け!ユーフォニアム2』第十一回「はつこいトランペット」の感想(ネタバレ注意)へ
→次回:響け!ユーフォニアム2最終回の感想〜全てに終わりがあるとしてもゆかりにまつわる音楽を響かせること(ネタバレ注意)
当ブログの『響け!ユーフォニアム(2)』感想の目次へ

【関連リンク0:2016年秋時点での京都アニメーション文脈(ハルヒ文脈)の最新地点、映画『聲の形』について】

映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


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『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)
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【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
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【関連リンク3:京都アニメーション作品のこれまでの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)