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 アニメ『響け!ユーフォニアム2(公式サイト)』第十三回(最終回)「はるさきエピローグ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 長年の当ブログの解釈の通り、京都アニメーション作品にはいくつか作品をまたいで受け継がれ・進展しているテーマのようなものがあります。

 現在リリースされている作品群の中で、その最も最新のものは映画『聲の形』(公式サイト)で描かれており、この『響け!ユーフォニアム2』は、「その次」の物語である、ということ。↓


参考:映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


 そして、その流れの中でもこの『響け!ユーフォニアム』は「ポニーテール」に象徴性を持たせた「ハルヒ」文脈の作品であるという点は、当ブログのこちらの記事を。↓


[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 ここまでを前提としつつ。

 ◇◇◇

 「次の」「共同体」のカタチという題材が一つあったと思われる本作。

 最終回では、「共同体」の横(共時的)の「永続性」の獲得と、縦(通時的)の「永続性」の獲得とが描かれます。

 横(共時的)の「永続性」の獲得の方から。

 これは主に久美子と麻美子との関係で描かれていて、麻美子は「(家という)共同体」の「外」に出て行っちゃったのですけど、それで終わりじゃなくて、「手紙」というものを媒介にしてリンクが途切れていないのが描かれているのですね。「内」と「外」は行ったり来たりが可能。

 第二期だと、「内」と「外」を二項対立にして否定し合ってしまうのではなく、第七回「えきびるコンサート」(感想)で描かれていたような、「駅ビル」という「境界領域」で、「内」と「外」が絶えず波打つように相互貫入し合っているような世界観で表現されていた箇所です。

 久美子と麻美子がそういう関係を構築できるようになるために、前回ラストの「好き」と伝え、「好き」と伝え返されるという儀式(イニシエーション)が必要だった、というのは、前回の感想で書いた通りです。↓


まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)


 一度「共同体」の「外」に出てもそれで終わりじゃないよ、むしろ、この「内」と「外」が通気し合ってるくらいがイイんだよ、というのは本作のシリーズ演出の山田尚子さんが監督だった『たまこまーけっと(公式サイト)』でも一つのテーマになっていた箇所で、銭湯の娘さんのさゆりさんで描いていたことですね。

 さゆりさんは結婚して「うさぎ山商店街」という「共同体」の「外」に出て行っちゃうのですけど、それでリンクが途切れてしまったわけじゃなくて、けっこう「内」にまた戻ってきたりもする。その事実が、たまこを勇気づけて、『たまこラブストーリー』のラストに繋がっていくのが物語のラインでした。(『たまこラブストーリー』でたまこが「恋愛」という「変化」を受け入れる、何かが終わってしまう類の怖いものではないのだと受け取り直すきっかけになるのが、このさゆりさんとの再会のシーンになってる)

 けっきょく、「永続性」がある「共同体」っていうのは、横(共時的)の面から見ると、固定化されているものよりも、このような「境界領域」を形成して「内」と「外」が寄せたり引いたりしてるラインがあるものの方だってことだと思うのですね。慧眼だと思います。

 続いて縦(通時的)の「永続性」の獲得の方。

 表面的には、こちらはいわゆる「卒業」をギミックにして描かれております。

 メインのあすか先輩から久美子へのラインへ行く前に、クッションとして、


・中世古先輩

・滝先生


 辺りにも今話で焦点があたって描かれておりました。

 中世古先輩は分かりやすくは優子さんからのラブコールが強くて、ここも卒業していく者と学校に残る者との通時的・世代的リンクが意識させられる箇所ではあるのですが、より焦点があたってたのは麗奈とのラインかと思います。

 オーディションで「限られた椅子」を争った敗者(中世古先輩)と勝者(麗奈)なわけですが、今話では麗奈は中世古先輩に想いを届けたくてソロパートを吹いています。第十一回「はつこいトランペット」(感想)で麗奈が「競争原理」を勝ち抜く意味合いのみでの「特別」からは堕天しているがゆえかと思います。

 ある意味「競争原理」の「呪い」が解けたからこそ、学校に残る者(麗奈)から卒業していく者(中世古先輩)への通時的・世代的「想い」の伝達・継承が可能になってるという描き方だと思うのですね。

 滝先生の方は、松本先生から言葉をかけられるシーンがそれで、「毎年毎年初めから始められるのは素晴らしい」という捉え方から気づきを得ると。

 亡くなった故人である滝先生の奥さんをかなり物語のコアに織り込んでいる作品である点。第十一回がもっとも顕著ですが、随所に「慰霊」の題材も組み込んでいる作品である点、などなどから、北宇治高校吹奏楽部という「共同体」の「外」との交流を描いている箇所は、この世、この「生」の世界と「外」(=「あちら」「死」・「風景」)との交流を描いている箇所としても連想されるようになってると、これまでの感想で書いてきました。エンディング曲の「ヴィヴァーチェ!」の歌詞も、表面的には「卒業」の歌ですが、受け取り方次第で「生」の一回性に関して歌ってる歌とも受け取れるのです。全てに「終わり」が来るとして、どうして生きていくのかというような話。

 そういう流れで「卒業」が「死」と連想として関連づけられている作品でもあります。滝先生は滝先生の奥さんの「死」によって時間が止まっていたというような位置づけのキャラクターなのですが、それが、物語の終わりには新しく始まることの素晴らしさを感得できるようになっていて、固定化、止まった時間が動き出していると。

 第九回の感想であすか先輩の靴ひもを中世古先輩が結び直すシーンの意味合いを書きました。↓


この世界との縁がほどけてしまわないように〜響け!ユーフォニアム2第九回「ひびけ!ユーフォニアム」の感想(ネタバレ注意)


 今回の回想シーンに組み込まれていたので気づきましたが、一期の時点で滝先生にも靴ひもを結び直すシーンが入ってるのですね。奥さんの「死」によって存在が「あちら」側に寄せられていた滝先生が、北宇治高校吹奏楽部で顧問としての時間を過ごすうち(生徒たちとの関係性を構築していくうち)に欠けていたシントムが埋められて、こちら、「生」の側に繋ぎとめられるようになってきた、という物語だった、ということかと思います。

 そうしてラスト、あすか先輩から久美子へのシーンです。

 「外」に卒業していく者であるあすか先輩と、「内」の学校に残る者である久美子。

 これまで描いてきたように、これで絶縁というわけではないですし、通気性があること、ある種の新陳代謝があることは、「共同体」には基本的には良いこととして描いてきた作品です。

 ですが、移り変わっていくものの中に、何らかの「途切れないもの」がなければ、「芯」のようなものがなければ、全ては一瞬で消費されて消えてしまう類の刹那的なものに還元されてしまい、「共同体」の存続も不可能になってしまいます。どこかで、変化し続ける中にも、「楔」のようなものを打ち込んでおかなくてはならない。

 久美子の演奏があすか先輩に似てきているという仕込みを入れた上で、あすか先輩から久美子へと通時的に受け継がれる、「途切れないもの」、ある種の「永遠」。終わっても終わらないもの。そういった「永続性」の象徴として、あすか先輩から久美子に進藤正和から受け取った曲の「楽譜」が伝承されます。進藤正和はあすか先輩のルーツですから、ルーツからルーツへ。その進藤正和にもルーツ的な人はいるであろうことなども考えていくと、最終的には数千年規模の歴史・通史の射程が見えてきます。千年前の人が詠んだ和歌を現在生きてる人が詠んでる国ですから、何ら不思議なことではありません。そして、大事なことです。

 そうして「外」へと去っていくあすか先輩というところで、また印象的な「足あと」の描写。本作では「足」は「生」の描写ですから、第十回および今話で久美子から「好き」という承認を受け取ったあすか先輩は、亡くなってしまった滝先生の奥さんとは違って、学校「共同体」の「外」に出ても生きていくことが示唆されています。

 しかし一方で、暗喩としては「外」=「死」の世界……でもある本作ですから、ここであすか先輩に引かれるように、久美子の意識は急速に「外」に向かっていってしまいます。その志向性は深刻な形で突き詰められてしまうと、実際に投身自殺をはかってしまった映画『聲の形』の西宮硝子の領域に行ってしまう類の志向性です。

 でもそっちは、まだ久美子は行ってはいけない領域なのですね。「卒業」という意味でも、「死」という意味でも。「境界領域」までは行ってもいいけど、完全に「あちら」に行ってしまってはいけない。

 久美子を「こちら」に、「生」の側に引きとめるのは麗奈の役割でした。


 「久美子、やっと見つけた」(高坂麗奈)


 麗奈の声で、「内」へ、「生」の世界へ久美子は連れ戻されます。

 うう……第二期序盤の頃は久美子×麗奈は破滅系百合カップル感があるとか感想で書いていたのですが、全てのフラグをへし折って「生」の領域へと帰還してくれました。麗奈×久美子もイイね!

 「あちら」に惹かれてしまう者を「こちら」に繋ぎとめておくものは、人(他者)との関係性、絆(キズナ/ホダシ)、縁(ゆかり)以外あり得ない。どんなに、消費の拡大を押し進めるために人間をアトム(個)化させる力学に満ちた現行の世界では、束縛にもなるからと、ウザがられる類のものになってしまったものだとしても。

 「内」へと帰還した久美子の手には「外」へ出て行ったあすか先輩から受け取った「楽譜」(=音楽)が伝承されていて、立ち去って「過去」になっていく者から、この世界で生き続ける「現在」の者へと「途切れない」伝承されているものが存在している。そういうものはある、という「永続性」が表現されています。

 この「永続」的なもの、「共同体」の縦の「楔」になるものが、音楽のようなアート的なものだというのは、それこそ歴史的には『源氏物語』(アート的なものの一種という扱いで)などがそういう役割を担ってきました。1000年前に生きた人が読んだ物語を、現在の我々もまた読んでいる。これが、「共同体」の縦の「楔」ということです。大袈裟には、日本国という「共同体」を繋ぎとめてるのが『源氏物語』だったりする。

 ラストシーン。本作劇中で描かれるその縦の「楔」たる曲の曲名が「響け!ユーフォニアム」だと明らかになることで、このアニメーション作品としての『響け!ユーフォニアム』という物語こそが通時的に縦軸に「楔」を打ち込み、「共同体」を繋ぐアートだ、と言ってるがごとしです。

 並みの作品がこういう演出を行ったら強気だな……と思うところですが、本当に素晴らしい作品で、以前も書いた通り本当に『源氏物語』級の領域に入っている作品だと思って感想を書いてきたので、言うだけのことはあるという想いが想起されるのみです。あな。本当、あっ晴れ! という作品でありました。

 残るは久美子と秀一の物語くらいですが、以前から書いているように、生きづらい現代における「輝き」の回復を二者間の恋愛的相互承認関係(『ハルヒ』でいう「白雪姫のキス」的な関係)に求めるのを、最近の京都アニメーション作品は避けてる傾向がありますし、秀一は直接的な「返事」が貰えないなりの「代役」的なヒーロー像のキャラクターだった、微妙にすれ違ったままでも、不完全なままなりにこの世界で生きていく……。それで作品としては完結してるとも捉えられるのですが……。

 一方で、前回の感想で書いた通り、最後に久美子が「A」、(「好き」という)想いを受け取る側として描かれる、というのも完結感がある気がします。もしかして、第二期も番外編があったりしたら久美子と秀一の話だったりするのかな。一期の番外編「かけだすモナカ」(感想)の時のように、作品のテーマ上けっこうコアな部分を、番外編でやったりしますからね……。

 顕著には『けいおん!(!!)』の頃から京都アニメーションさんが扱っていた「共同体」にまつわる物語に関して、一つの「次の」「共同体」像を描き出し、横軸(共時)と縦軸(通時)の縫合をやってみせた作品と言えそうなのですが、ここまで描いてしまって、来年から何やるの? という感じでもあります。横と縦の話をやったので、より「普遍」みたいなものに向かっていったりするのでしょうか。もう少し、縦、歴史とか「慰霊」の題材は深堀していきそうな気もしておりますが。

 そんな流れから、来年2017年の一撃目が『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』というロックさ。

 既にアニメーション化プロジェクトが発表されてる、京都アニメーション大賞初の大賞受賞作である『ヴァイオレット・エヴァーガーデン(KAエスマ文庫様の公式サイト)』がもろに「慰霊」の要素をも扱ったガチめな作品(原作小説をチェック済み)なので、その前に気軽に楽しい感じのもやっておこうかみたいな感じなのかな……。ちょろゴンさん可愛いな……。

 これで、『メイドラゴン』がエラく哲学的な内容だったりしたら、それもそれで熱いですが。

 一つの主題が、作品を渡って優しくリピートされてゆく。

 でもそれは単調ということではなくて、モーリス・ラヴェルの『ボレロ』みたいに、同じリズムを繰り返しながら、わずかずつ、わずかずつ変形していって、いつしか大きな全体につながってゆく。波打つように、少しずつ右肩上がりに、この宇宙の彩(いろどり)を深くしてゆく。

 そんな京都アニメーション作品の2016年時点の最新にして最高峰の風景を見せてもらいました。2017年以降描かれてゆくこれからの絵も、また楽しみに待ちたいと思います。

→Blu-ray

響け!ユーフォニアム2 3巻 [Blu-ray]
黒沢ともよ
ポニーキャニオン
2017-02-15


→公式ガイドブック



→前回:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)
→次回:
当ブログの『響け!ユーフォニアム(2)』感想の目次へ

【関連リンク0:2016年秋時点での京都アニメーション文脈(ハルヒ文脈)の最新地点、映画『聲の形』について】

映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)
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『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
[5000ユニークアクセス超え人気記事]『境界の彼方』最終回の感想(少しラストシーンの解釈含む)はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら
『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら


【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
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『SHIROBAKO』(シリーズ構成ではなく同テーマのキー話の脚本)の感想
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【関連リンク3:京都アニメーション作品のこれまでの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)