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 アニメ『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』第2話「第二のドラゴン、カンナ!(ネタバレ全開ですね)」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 「商店街」のシーンが、同京都アニメーション作品の『たまこまーけっと』を本歌取りした表現になっているのは想像できるところで。

 トールと小林さんが「ショッピングモール」へ行くか、「商店街」へ行くかで、ちょっとルート分岐しそうな表現が入ってるあたりとか、だいぶゾクゾクくる箇所です。

 『たまこまーけっと』に関しては「ねざめ堂」さんの「『たまこまーけっと』を振り返る」記事を読もう。↓


『たまこまーけっと』を振り返る/ねざめ堂


 『たまこまーけっと』が、「商店街が大型ショッピングモールと戦う」物語的な方向へは行かず、「商店街共同体の日常(とその維持)」物語的なものを切り取った(というか「線」の物語と「面」の物語の二重構造になってる)話とかは、こちらとかに書かれております。↓


『たまこまーけっと』を振り返る 第11話・第12話


 今話では、ひったくりを暴力で掌握したトールに対して、「商店街」の人々が向ける視線や如何に? というシーンが描かれます。

 劇中でも言葉にされてますが、ちょっと冷や冷やするシーンです。我々は、今回の「商店街」は『たまこまーけっと』の「うさぎ山商店街」的なある種の「理想」を描いてるものと知ってますから、劇中では、「商店街」の人々は異質な者(トール)をナチュラルに受容してくれるのを、うんうん、「うさぎ山商店街」の人々だったらそうだよねと観てられるのですが、果たしてリアルの我々視聴者は、こういう受容の態度を取れるだろうか? と否応なく遠回しに問われてしまいます。時世がらは、難民を受け入れるかどうかの問題なんかが意識されます。ある国・「共同体」から排斥された存在が我々の「共同体」にやってきたとして、きっと異質に映る。その異質さを受容できる「うさぎ山商店街」精神を、我々は持てているのだろうか? と。

 このテーマは続くカンナとのくだりにも継承されていて、やはりトールは自分が所属していた「共同体」からは排斥されていた存在だったのが明らかになります。排斥されていたというか、あっちではもう死んだことになっているという。

 『響け!ユーフォニアム2』でいうと、希美さん、あすか先輩、麻美子、滝先生の奥さんといった「共同体」の「外」に行ってしまったキャラクター達と重ねられるポジションのキャラクターがトールなのですね。


参考:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)


 そんなトールに居場所をあげたのが小林さん。

 トールの物語はもっと大きい射程がありそうですが、今話では、プレ・トール物語として、トールと同じく元いた「共同体」には帰りづらいカンナにも、小林さんは居場所をくれる。「いて、いいよ」っていうことを言ってあげるシーンが描かれます。

 「小林さんち」がまさに「内」と「外」の「境界領域」として描かれている部分で、『響け!ユーフォニアム2』の希美さんのように、やがてはトールやカンナも元いた「共同体」に戻っていく物語が描かれるのかもしれません。とはいえ、しばらくの間滞在できる、「内」とも「外」とも言えぬ場所、そんな「境界領域」的な場所は必要です。

 もう、この時点で、やっぱり小林さんもヒーローだよなと。ある種の「特別」だよなと。世界を救ったり、劇的に男女の愛が成就したりな物語を達成しなくても、ある「共同体」から排斥されてきた異質な存在に、いていいよって居場所を提供してあげる。これは、とても「特別」なことだと思います。

 ちょっと、この小林さんの受容の態度――これはある種の「本当の強さ」だと思いますが、その源泉を掘り下げるような話も観てみたい。現実の方は、どちらかというと仕事で疲れて余裕なくなちゃった隙を突かれて、異質な存在を排斥しようと煽る方の本が売れちゃったりな状態なのを鑑みるに。

 さて、前回の感想で、「共同体」の中で使われる(広義の)「言葉」について焦点をあてている作品だという点を書きましたが、今話でも、トールとカンナの、いわばドラゴン同士の「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が描かれます。(詳しくは第1話の感想を参照です。)

 トールとカンナの「内」の「言葉」では「じゃれ合ってる」程度なのが、「外」の小林さんからすると「殺し合ってる」ように見える……みたいなくだりですね。

 図にすると、


[トール→←カンナ] 小林さん


 な感じですが。

 ここは、場所的にも謎の大草原で、小林さんは文字通り「国」という「共同体」の「外」に来ちゃってるのですね。ここでは、日本という「共同体」の「内」の言葉は使えません。

 なのですが、この日本「共同体」の「外」に来て大草原に寝転がってる小林さんは、なんだか気持ち良さそうなのですね。いったん「デスマーチ」という仕事「共同体」の「内」でだけ使う言葉を小林さんが使うのですが、すぐに、そういった言葉からは一旦開放されて、のびのびと草原で寝転ぶ感じになってます。

 思うに、トールやカンナといった異質な存在が我々の「共同体」の「内」に入ってくることに関する受容の物語であると同時に、「内」に籠りきりだと澱んでしまう我々が、時に「外」に出ることで通気を得る……ような視点もある物語なのかもしれません。このシーンでは、それまでドラゴンの「内」の「言葉」で疎通していたトールとカンナが、小林さんに「合わせて」くれますので、小林さんの方が逆にトールとカンナに受容されてるとも見てとれます。

 ラストは、トールとカンナが街を散策しながら、彼女たちなりに日本という「共同体」を解釈していく、一種の異文化交流を想起させる「内」と「外」の「相互貫入」パートです。

 自動車にしろシーソーにしろ、トールとカンナ視点からの一種の「誤解釈」が入っているのですが、そんな「誤解釈」したままの二人なりに、日本の街という「共同体」は二人を受容してるのが温かい感じです。この辺りは、ちょっと映画『聲の形』(感想)の、「すれ違い」を解消できない不完全な我々でも、「風景」はそんな我々でも受容してくれている……を思い出しましたかね。

 トールとカンナが小林さんの会社に行ってみようというシーンで、背景に「身障者用」の「場所」が映っているのがおそらく意図的な演出で、トールとカンナはリアルにおける難民とか移民といった方向での「共同体」から排斥された存在の比喩であるだけでなく、たとえば身障者のような、この社会という「共同体」から排斥されがちな存在の比喩でもあるのかもしれません。それでも、そういう排斥されがちな存在もナチュラルに受容している社会、「共同体」であれたなら、という願いのようなものが隅々まで行き届いている画面作りの作品になってると思います。

 同時に、映画『聲の形』を消費して終わりではなく、たとえば目の前で車椅子の方が段差を超えられないで困っていた時、たとえばそっと押して手伝ってあげられますか? あなた自身もそういう「受容」の「共同体」を維持する側になれていますか? というような。視聴者にも問いかけるような視線もある作品です。

 最後は、トールとカンナが「誤解釈」していたシーソーの使い方に関して、小林さんを媒介に一つの理解に達する。「疎通」が描かれるという引きです。

 シーソーというギミックから「バランスを取る」という比喩を見てとるのは、それほど突飛な深読みではないかと思います。「疎通」はしてるのですが、トールとカンナがめっちゃ上空まで飛んでたり、やっぱりどこか「虚構」と「現実」が、「外」と「内」が相互貫入し合ってるシーンです。「境界領域」のシーンです。「飛ぶ」ことも印象的に描かれている作品ですが、二つのバランスを取るように動いていかないと、高く「飛ぶ」ことはできないのです。

 投石、外敵を排除するためのものと「誤解釈」されていたシーソーが、実は楽しむためのもの、娯楽的なものだったと明かされる意味合いも兼ねていて、良いラストシーンだと思ったのでした。

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→前回:『小林さんちのメイドラゴン』第1話「史上最強のメイド、トール!(まあドラゴンですから)」の感想へ
→次回:『小林さんちのメイドラゴン』第3話「新生活、はじまる! (もちろんうまくいきません)」の感想へ
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