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 アニメ『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』第5話「トールの社会勉強! (本人は出来てるつもりです)」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 今回も、ある「共同体」に「異質」が貫入してくること、というモチーフが主に三重奏で描かれておりました。

 まず一つ目は、(擬似)家族「共同体」とか商店街「共同体」とか学校「共同体」とか、世界の中の様々な「共同体」が出てくる本作で、ついに出てきました会社「共同体」にまつわる描写です。「地獄巡システムエンジニアリング瀧ノ口事務所」「共同体」ですね。

 この会社「共同体」の内部でも、やはり「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が行われています。

 前提としての、「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」と「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」という二つのコミュニケーション様式の存在と、その違いについて詳しくは第1話の感想を参照です。

 この会社「共同体」の内部で、小林さんと滝谷さんが「助け合って」いる描写が入るのが、後の大事な仕込みになっています。

 「助け合って」いるのは小林さんと滝谷さんのみならず、風邪で休んだ山下さんのバックアップ、「代役」に小林さんが入るのが描かれるという形でも描かれています。

 この、ある「共同体」を維持していくために、「代役」が非常に重要なポジションになる……というのは『響け!ユーフォニアム2』で描いていたことですね。

 誰かが取りこぼされそうになった時、その「代役」に入るという近年の京都アニメーション作品が追ってるヒーロー像。つまり、『響け!ユーフォニアム(2)』で象徴的に一人あげるなら夏紀先輩(ポニーテール)ですね。小林さん(ポニーテール)も、夏紀先輩型の「代役」のヒーローなのです。


参考:[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 この会社「共同体」パートでは、「外」から貫入してくる「異質」はトールです。

 ただ、ここではトールは認識阻害を使っていて、自分の「異質」さを隠しています。逆にいうと、「小林さんち」「共同体」は「異質」なトールを受け入れてくれたし、「朧塚商店街」「共同体」もちょっとザワつきつつも「異質」なトールを受け入れてくれたけれど(第2話)、今回の「地獄巡システムエンジニアリング瀧ノ口事務所」「共同体」は、ちょっとそのままの「異質」なトールは受け入れてくれないという前提があるということです。

 その前提を踏まえた上で、人間は協力して大きなことを成すけれど、ドラゴンの自分はそんなものまるごと滅ぼせる、だからドラゴンの方が上なのではないのか? ということをトールが一度考えています。ある「共同体」に「入れない」「異質」である側が強大な力を持っていたら? というのが、実は怖い、というのが風刺されているような箇所です。時事ネタの例もあげちゃうと、移民を排斥したとして、排斥された側が核兵器とか強大な力持ったら、そして、排斥された怨念がやがてテロリズムなどに結び付くとしたら?

 ですが、さらに追加で、それなのに人間は何故「助け合う」のか? という根源的な問いがトールから成されています。

 トール、いざとなったら自分の強いパワーで壊滅させられるとか、学校でのカンナを見た時(第4話)も能力別クラスの方が効率的では? とか、わりと考え方、というか存在自体が西欧原理的な考え方(ざっくりとは合理論方面の考え方)の比喩になってる部分があるのですね。

 そういう、「異質」者の視点があてられるからこそ、見えてくる「内」――この場合は東洋的、日本的考え方の良い面、可能性、というものがあります。

 その、浮かび上がってくる東洋的、「和」的な価値観の可能性こそが、人間は何故「助け合う」のか? という根源的な問いの解答に繋がる構成になっているのですが、解答の前に、まずは二つ目の話を見てみましょう。

 今話、二つ目はファフニールさんのこちらの世界での部屋探しパートです。

 トールとファフニールさんとの「横断歩道」での会話は、内容が非常に「境界領域」的で感じ入るものがある箇所でした。『涼宮ハルヒの憂鬱』『けいおん!(!!)』などでは「踏切」などが効果的にこの手の表現に使われてきましたが、今回の「横断歩道と信号」も趣が深いのでした。

 このシーンで、こっちの世界で生きることを、(「終わり」が来た後に)後悔とは呼ばないだろうとまでトールは言ってくれるのですが、果たして我々の「この世界」はトールやファフニールさんのような「異質」さに、そう言ってもらえるほど「受容」的な世界なのか?

 一旦、やっぱりファフニールさんの住むところは見つからないと、やはり「この世界」は「異質」者に「居場所」を提供しないんじゃ? と「タメ」が描かれます。公園のシーンは寂しい感じで、ギャグチックにはなってますけど、リアルでも、どこにも「居場所」がなくて公園で寝てる人とかいるご時世なわけで。

 そこからまさかの逆転で、滝谷さんの部屋がファフニールさんの「居場所」になる展開へと、物語が飛躍します。

 小林さんという存在が「境界領域」として機能して、トールのような「異質」者、元いた「共同体」から排斥された者を「受容」する……ここまでがこれまでの段階でした。こういう小林さんみたいな存在を、仮に「境界領域」者と呼んでおくことにします。「共同体」から、世界から零れ落ちた存在に一時的にでも「居場所」を提供できる、「波打ち際」的なしなやかさを持った存在で、最近の京都アニメーション作品の流れとしては、こういう人こそがヒーローということになります。

 ここで、小林さんという「境界領域」者と、滝谷さんという人が、会社「共同体」内部で、「助け合い」をしているというのが描かれておりました。

 するとどうなるのか。「境界領域」者である小林さんとの「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」を通して、滝谷さんもまた「境界領域」者としての素養を獲得していくのです。

 つまり、「境界領域」者が二人になりました。

 一人の「境界領域」者、小林さんだけではトールとカンナを「受容」するのが精いっぱいですが、滝谷さんも「境界領域」者となることで、ファフニールさんも「受容」できるようになってきてるのです。

 この展開は画期的なことで、これまでの京都アニメーション作品でも「境界領域」者的な人がヒーロー、時々は「特別」という言葉で描かれることはありましたが、「境界領域」者が増える段階・モデルまでを明示的に描いたのは初のように思えます。

 小林さんがどんなにカッコいい「境界領域」者でも、全てのドラゴンを「受容」するリソースはありません。けれど、この「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」で「助け合い」を行うと、「境界領域」者は増える……というモデルが、本当に可能なのだったとしたら?

 リアルでも、どんなにすごい人・「共同体」でも、全ての難民を自分の家(国・地域社会など)に招き入れることはできません。けれど、難民を受け入れることができる「境界領域」者的な人・場所が、多弾道的、多次元的に広がっていくモデルがあり得るとしたら? そんな、無限「楼閣」的「共同体」モデルがあり得るとしたら? それは、地球を救うモデルになり得るとまで言えるかもしれません。

 これこそが、序盤のパートでトールが疑問を抱いていた、「人間は何故「助け合う」のか?」の解答にして、東洋的、日本的、「和」的なモデルであるように思えます。目の前の人間を助ける、という純粋な気持ちとしてももちろん大事な気持ちだと思うのですが、「助け合う」ことを通じて、「受容」の態度、「波打ち際」的態度、「境界領域」者的な生き方、そういうあり方を、複製化、立体化、多次元化していける可能性がある点も大事だと思うのです。

 決断によって世界から排斥された存在、『涼宮ハルヒの消失(感想)』における消失長門に、何とか存在の肯定、「居場所」を提供してあげられないか? ということを後続の京都アニメーション作品はずっと追っていたフシがあります。

 ポスト『涼宮ハルヒの消失』作品である『境界の彼方』にて、そのためには「境界領域」が大事だ、という所までは描いておりました。


参考:『涼宮ハルヒの消失』と『境界の彼方』との関係について(『境界の彼方』第8話〜第11話感想)


 そして、今作は、いよいよここまできたか感があります。このモデルなら、あるいはこの世界の全ての消失長門(的な立場の「排斥」される者、「異質」者)に、「居場所」を提供できるのかもしれない。

 三つ目の才川リコさんとカンナの繰り返される「モエー」なやり取りも実はこのモデルを援護する描写になっています。

 小林さん、あるいはトールと「助け合い」的な「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」をやっているうちに、カンナも一種の「境界領域」者として、目覚め始めています。

 この「モエー」のやり取りは「繰り返し」のモチーフで描かれています。

 京都アニメーション作品ですと、「繰り返し」モチーフで大事なのは何と言っても『Kanon』で、同作内でも、その後の京都アニメーション作品でも核心的な、佐祐理さんの台詞のシーンを引用しておいてみます。


 「カノンです。パッヘルベルのカノン。 同じ旋律を何度も繰り返しながら、少しづつ豊かに、美しく和音が響き合うようになっていくんです。 そんなふうに、一見違いのない毎日を送りながら、でも、少しづつ変わっていけたらいいですよね」(倉田佐祐理)


 「繰り返し」ではあるのですが、単調ということではなくて、「ループ」するうちに少しずつ色彩のようなものが深まっていって、徐々に波打つようにトータルでは良くなっていく……という世界観・モチーフですね。直接的には、一種の「ループ」もの作品であるその後の『CLANNAD』にかかっていったりする要素ですが、大きい射程で、京都アニメーション作品に根付いているモチーフであると言えると思います。

 このモチーフは何と言ってもパッヘルベルの『カノン』ですが、よく、モーリス・ラヴェルの『ボレロ』も使われて、僕も自作でたまに登場させたりしています。(どんな曲なのかは調べてみてね!)

 で、この「繰り返し」ながらも、徐々に色彩が深くなっていく……的モチーフを、今回はいわゆるギャグ文法における「てんどん」でやってるんですね(笑)。そうきたか! と。

 この「モエー」パート、二回目が、教科書を忘れたカンナに才川リコさんが教科書を見せてあげるという「助け合い」パートになってるのですよ。二回目なので、既にだいぶ色彩が深くなっています。上述のようにカンナが既に「境界領域」者として覚醒し始めてますから、その二人で「助け合い」の「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が行われるとなると……。

 「繰り返し」の三回目で、才川リコさんは、「パイナップル入り酢豚」というこれまで受け入れられなかった「異質」を、カンナを媒介にして受け入れられるようになった、というオチになってます。これは、小さいながらも「受容」のあり方の一歩です。これで、今度は才川リコさんが「境界領域」者として覚醒し始めるのですね。小学校という「共同体」でこのモデルが出現してるというのが、「次世代」を意識させられて上手いと思いました。お年寄りたちの排斥の呪いを、「次世代」まで持ち込むことはないのですからね。

 この、「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」と「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」が貫入し合いながら、徐々に「境界領域」者が生まれていって、世界は「受容」的な色彩を帯びていくはず……という「楼閣」的「共同体」モデル。まさに同じような小話を「繰り返し」ながら、徐々に色彩を帯びるように積み重ねている本作ですが、終盤ではどのくらいまでいくのでしょうか。

 個人的には、これまでだとパワーで追い出されてしまったように見える前回のマイルドヤンキー的「共同体」の面々とか、今話の所長さんのような人も、行く先で「境界領域」者に出会って「居場所」を提供されて癒され、また次の「共同体」に貫入していく……辺りまでは見たい気がするのですが。

 これ、僕がプログラミングの知識がないから分からないのですが、劇中の小林さんのプログラミング要素も、プログラミングの内容、いわゆる「ループ」する系のプログラミングだったりします? しかも、もしかしたら、「ループ」を繰り返すうちに、少しずつ変形していくタイプの。

 だとしたら、上記の『Kanon』モチーフとも重なって完璧だなーという感じなのですが。『メイドラゴン』好きでかつプログラミングもできるという方で、何か分かった方がおりましたら、こっそり教えて下さい!

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→前回:『小林さんちのメイドラゴン』第4話「カンナ、学校に行く!(その必要はないんですが)」の感想へ
→次回:『小林さんちのメイドラゴン』第6話「お宅訪問! (してないお宅もあります)」の感想へ
当ブログの『小林さんちのメイドラゴン』感想の目次へ

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