ブログネタ
小林さんちのメイドラゴン に参加中!
 アニメ『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』第7話「夏の定番!(ぶっちゃけテコ入れ回ですね)」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 今回は、ふだんは様々な「共同体」に属している人達が多数集まり、混淆し合う、いわば「大共同体」としての「海」と「コミケ」の二つが主に描かれます。

 「海」は、このブログの感想では度々言及してきた、まさに「境界領域」としての「波打ち際」モチーフですね。今話では蟹さんとか印象的に描かれておりましたが、「波打ち際」では陸と海とがたえまなく相互貫入を繰り返しており、波によって水中生物が陸地に打ち上げられ、一方で海辺の砂は波に巻き込まれて海中に沈んでいくのです。陸と海の「境界領域」はリズミカルに変化し、そこで生きる生物たちは絶え間なき変化に対応したハイブリッドな生活形態を編み出していくのです。第3話の感想で書いた、小林さんちと近隣住人との「境界領域」的なやりとりを思い出して頂きたい箇所です。

 わりとそれぞれに焦点があたってるのが、「海」の方が小林さん(的な「普通」の人)で、「コミケ」の方が滝谷さん(的な「オタク」の人)です。

 どちらも、最近の感想で書いてたある「共同体」内で「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が行われると、「境界領域」者(小林さんのような、しなやかな「受容」の態度を取れる人を仮にこう呼んでおります)は伝播し、増える……という話が一つあったと思います。

---

 前提としての、「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」と「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」という二つのコミュニケーション様式の存在と、その違いについて詳しくは第1話の感想を参照です。

---

 トールが、この世界では小林さんは「普通」なのに、何故トール(異質者)を受け入れることができたのか? ということを疑問に思うのですが、同じシーンで小林さんが自分の家族について話しているのですね。これは、言明はされてないのですが、上記の理論からすると、小林さんのお父さんとお母さんも「受容」の態度を持った「境界領域」者だったんだろうな、と。そんな両親と日常的に家族「共同体」で「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」をしていたので、小林さんにも「境界領域」者としての資質が伝播していると捉えるのが自然に思われます。

 このパートは平行して描かれる小林さんの「子」ポジションのカンナの自由研究パートでも補強されていて、前回の才川リコとのシーンで、どうも自分は「境界領域」者としてはまだ足りてないと直覚したカンナが、「親」ポジションの小林さんを観察する……という「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」を(擬似)家族「共同体」内で行う……という流れになってます。

 ここでのカンナは、かつての(「子」だった頃の)小林さんです。幼小林さんも、両親をこんな感じで観察していたから、「境界領域」者としての資質を身につけていったんだろうなぁと、直接両親が登場しなくても、小林さんが「境界領域」者としての資質を獲得してきた過程は想像できるような作りになっています。

 こうして、家族「共同体」も、小林さんの両親と幼小林さん「共同体」から、現在の小林さんち「共同体」と繰り返され、やはり最近の感想で言及している京都アニメーションならではの「ループ」モチーフで、繰り返されるうちに徐々に色彩が深まっていくのが描かれています。この流れから、今度は「子」ポジションであるカンナが「境界領域」者としてより花開いていく流れは想像にかたくないわけで。

 さて、「コミケ」パートの方に目を向けてみると、滝谷さんとファフニールさんが(擬似)家族「共同体」で「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」している現状なわけですが、やはり滝谷さんの「境界領域」者的な資質が、ファフニールさんにも伝播しているのが描かれています。

 前回の、排他的だったファフニールさんが滝谷さんを「受容」するという流れだけで大きな一歩だったのですが、さらに伝播して、具体的には「オタク」的な態度も伝播して、ファフニールさんコミケにサークル参加という流れになっています。

 結果は惨敗でしたが(笑)、これは、一歩を踏み出したといっても、ファフニールさんはまだまだ「境界領域」者としては未熟で、「呪い」とか、自分の「共同体」内だけの「言葉」で作品作っちゃってるからという描き方だと思うのですね(宣伝不足とか、リアルな要因の検討は少し横に置いておいて)。ファフニールさん、滝谷さんとは「ファフくん」という「言葉」を共有して、「受容」的なコミュニケーションが取れるようになってきたのですが、それ以外の人とはまだまだ、という。まだ「境界領域」者としては歩み始めたばかりなので、これが現在のファフニールさんの段階という感じでしょうか。

 そして、このファフニールさんのくだりの、「受容」の態度とは、「言葉」の面なども含めて、「他者」との「関係性」でできている……という辺りの話が、どうやら物語後半の話と繋がっていきそうです。

 「他者」との「関係性」の話となってくると、最近の京都アニメーション作品の流れとしては、自分自身の本懐(=自分の本来性)の話に自然となってきます。

 小林さんち「共同体」内部では、トールは既にかなり「受容」されてますから、トール自身の本来性(=ドラゴン)を特に隠す必要がありません。

 しかし、今回の「大共同体」的な「海」や「コミケ」といった場では「他者」が意識されますから、ある程度「他者」に合わせて、自分の本来性(=ドラゴン)をセーブする……ということが求められるのです。

 このテーマは世相がら様々な作品で描かれていて、ついつい、「他者」の目なんか気にしない、自分の「本来性」を開放しよう、嫌われる勇気! ありのままに! と描かれがちなのですが、京都アニメーション作品としては、『アナと雪の女王(感想)』ばりに「let it go!」とはストレートに出さないで、もうちょっと繊細な描き方を現時点ではしていく方針のようです。

 同京都アニメーション作品ですと、『甘城ブリリアントパーク』で、鮫のジョーや千斗いすずさんの「本来性」とは? というようなエピソードが描かれていたりしました。↓


当ブログの参考記事:甘城ブリリアントパーク/感想/第7話「プールが危ない!」(ネタバレ注意)


 そういったある意味京都アニメーション作品的な(というか、京都的な)繊細さが、「海」では、「他者」から離れた場所でトールの「本来性」を開放させてあげる(ドラゴンの姿にしてあげる)小林さん……という図で描かれますし、「コミケ」の方では、翼と尻尾までは開放という、「半分の本来性」の開放という描き方をしていました。

 この、「コミケ」パートのトールのドラゴンとしての「本来性」を「半分」だけ開放するというのが、とても京都アニメーション作品チックだなとしみじみと感動したところで、この「本来性」のテーマに関しても、「自分の本来性」VS「他者の尊重」という安易な二項対立としては描かないで、あくまでも「境界領域」を縫うように描いていくのが京都アニメーション作品なんだなぁ、と思って観ておりました。

 逆に、ギャグチックに「本来性」(全裸欲求的なもの)を開放し過ぎちゃって連行されるルコアさんのパートがさらにこのテーマを補強しております。自分自身の「本来性」、ただ全開にすればイイかっていうとそうでもなくて、そこには「他者」とか「規範(秩序)」との兼ね合いが含まれてくる。いかにそれらとの「境界領域」を生きていくか、そのためのしなやかさが大事なんだろうな、と。

 話数も第7話とちょうど「中間」で、物語全体でも後半の橋渡し回になってる一話だったっぽいです。というのも、次回からいよいよ「規範」と「調和」がキーワードのキャラクターである(公式サイトのキャラクター紹介より)エルマさんが登場してきて、この自分の「本来性」VS「規範」の物語によりフォーカスが当たっていくのかな、と。

 「本来性」VS「規範」は、もう少し抽象化すると「個」VS「全体」という話で、『響け!ユーフォニアム2』でも焦点があたっていたテーマでした。↓


当ブログの参考記事:『けいおん!(!!)』から五年経ったあなたへ〜響け!ユーフォニアム2第十回「ほうかごオブリガート」の感想(ネタバレ注意)


 『響け!ユーフォニアム2』と同じように、こちらも二項対立でどちらかが勝つというよりは、相反するものをそのまま包摂して全体性を回復していく、そのための「境界領域」とか、そういう話になっていくのかな……とは想像されるところですが、その流れで次回第8話の絵コンテ&演出は山田尚子さん(『けいおん!(!!)』・『たまこまーけっと』&『たまこラブストーリー』・映画『聲の形』監督)。

 これ、本作はあきらかに「商店街」とか『たまこまーけっと』の(和歌でいう)「本歌取り」表現がある話だし、自分の(特にマイノリティの)「本来性」VS「規範」、そこから目指していく「調和」とは? という題材はかなりの程度映画『聲の形』の題材と重なるということもあり、期待大なのでした。

 どういう感想記事だという感じですが、今回もラストに仏教の中でも「華厳経」の、善財童子が大楼閣の中に無数の楼閣があることを見つけたシーンを引用しておいたりしてみますよ(笑)。


---

「これらの無数の楼閣は、互いに侵害し合わない。それぞれが他のすべてと調和して個としての存在を保っている。ここには、一つの楼閣が他のすべてと個的または集合的に融合するのを妨害するものはない。完全なる混合状態にありながら、しかも完全なる秩序を保っているのである」

---


 参考文献(引用元)。

華厳の思想 (講談社学術文庫)
鎌田 茂雄
講談社
1988-05-02


 今回は、これまでの楼閣(「家」「商店街」「学校」「会社」などのそれぞれの「共同体」)に対して、大楼閣(「海」「コミケ」)が出てきたような段階でしたね。

 で、「完全なる混合状態にありながら、しかも完全なる秩序を保つ」方向の模索として、「規範」「調和」キャラのエルマさん投入なのかなと。

 面白いですね。

→山田尚子監督・映画『聲の形』のBlu-rayが予約受付中(当ブログでも去年2016年のアニメ作品ベスト記事で2位に選んでおりました。

映画『聲の形』Blu-ray 初回限定版
入野自由
ポニーキャニオン
2017-05-17


→原作コミックス(電子書籍版:2017年2月24日現在ポイント還元がお得目)



→前回:『小林さんちのメイドラゴン』第6話「お宅訪問! (してないお宅もあります)」の感想へ
→次回:『小林さんちのメイドラゴン』第8話「新たなるドラゴン、エルマ! (やっと出てきましたか)」の感想へ
当ブログの『小林さんちのメイドラゴン』感想の目次へ

【関連リンク0:昨年2016年の「アニメーション」作品ベスト10記事】

2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『響け!ユーフォニアム2』の感想へ
映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)
『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)

[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)
『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
[5000ユニークアクセス超え人気記事]『境界の彼方』最終回の感想(少しラストシーンの解釈含む)はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら

『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら


【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
『けいおん!(!!)』シリーズ構成の吉田玲子さん脚本による「バッドエンドけいおん!」を浄化する物語〜無彩限のファントム・ワールド第7話の感想(ネタバレ注意)
『SHIROBAKO』(シリーズ構成ではなく同テーマのキー話の脚本)の感想
『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について


【関連リンク3:京都アニメーション作品の2016年までの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)