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 アニメ『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』第9話「運動会!(ひねりも何もないですね)」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 ラストの「リレー(グラウンドを周回=ループする)」で、本作の(というか京都アニメーション作品の)「ループ」モチーフが結実していて、熱い一話でありました。

 (主には「日常」を)「繰り返し」ながら、でも少しずつ変化し、世界は波打つように彩(いろどり)を深くしていく……という京都アニメーション作品で描かれている「ループ」のモチーフについてはこちらの記事を参照です。↓


参考:パッヘルベルの『Kanon』のように「繰り返し」ながら「受容」の「共同体」は波打つように少しずつ豊かになってゆく〜『小林さんちのメイドラゴン』第5話の感想


 また、そういった「ループ」のモチーフが、OP・ED映像などに「円」「繰り返し」の演出が多数見られるなど、本作『小林さんちのメイドラゴン』で具体的にどのように使われているかは、この回の感想記事を参照して頂けたら喜びます。↓


参考:小林さんちのメイドラゴン/感想/第6話「お宅訪問! (してないお宅もあります)」(ネタバレ注意)(「C. 本作に見られる「繰り返し」のモチーフについて」以下の部分)


 「リレー」へと収斂していく前に、そもそも、この運動会に小林さんが参観できるか? という部分に、「日常」の「繰り返し」が意識されるパートが描かれておりました。

 「デスマーチ」を何とかしなくては参観できないというシチェーションなのですが、なんら逆転的な方法で攻略するわけではなく、一日一日の仕事量を少し増やす、それを「繰り返す」という地道な方法だったりなのですね。「日常」の中に少しの「変化」を加えていくという、あくまで「日常」を生きる者なりの戦い方です。

 ベースには丁寧な「繰り返し」があり、それに、後に繋がる少しのプラスを加えていくというような世界観ですね。一日一日はプラス数時間の残業という「繰り返し」なのですが、途中で滝谷さんの「手助け」が加わってくれたり、やはり少しずつの「変化」が加わり、トータルでは波打つように良い感じに進んでいく(と信頼する)、という世界観です。

 たとえば、一気にやる方式、過激な大変革方式(一見すると劇的で高揚をもたらしたりもします)、体壊しても48時間ぶっ通しで成し遂げるとかに比べると、「繰り返し」方式の方が「手助け」してもらうチャンスが増えたりと、「変化」「縁」のようなものが貫入してくる機会・タイミングが増えるよというのは学びがある箇所だったのでした。作品作りでも、十年分のエネルギーをこの一作に込めた! 行くぜ! リリース! とかだとDead or Aliveで外したら終わりですが、毎年「繰り返し」高クオリティのものを提供してます……だと、どこかの年で色々「縁」とか「タイミング」が合ってブレイクする……というチャンスは高まります。良い意味で、「自力」ではなく「他力」の貫入に(可能性を)開いてるのが「繰り返し」モチーフ方式なのですね。

 そして、「リレー」。

 周回(ループ)を「繰り返し」ながら「バトン」を次に繋ぎ続けるという表現ですが、「繰り返し」の中では、思わずミスってしまう回というのもあります。才川リコさんがバトンを落としてしまうのですね。

 そこから、むしろ拾い直して次に繋げるまでめげなかったということを、エライことだ、と描いてるのが熱いと思いました。「繰り返し」モチーフならば、失敗した「周」があっても、どこかの「周」で、色々かみ合って失敗を補えるくらいブレイクする可能性があるのです。だから、失敗してしまったり、どうも上手くいかなかったりしても、「次」に繋げるのが大事。我々の「日常」も、アニメーション制作も同じなんや……。

 そこ、ちょっとパッケージが他の作品と比べると売れなかったからって、『たまこまーけっと』を失敗した「周」扱いにするなって? そういうこと言ってるのは僕じゃねぇー! 『たまこまーけっと』は不朽の名作でしょ!

 今度、上記の一挙配信(03/18(土)にニコニコ生放送にて)もあるから、観る人は「ねざめ堂」さんのこちらのカテゴリを熟読しておくと、観たあと魂の充実度(え)がより深まってるかと思います。ハイデガーがアリストテレスのテキストをねちねち読解してたくらいの勢いで、全12話について詳説に解体しつつ、受け取りやすい絵に描いております。↓


参考:『たまこまーけっと』を振り返る/ねざめ堂


 本作『小林さんちのメイドラゴン』の「朧塚商店街」と、『たまこまーけっと』の「うさぎ山商店街」が、和歌でいう「本歌取り」と「本歌」の関係なのは明らかかと思うので、本作『メイドラゴン』もより楽しめるようになるかと思います。

 『たまこまーけっと』も名作でしょという(僕という)過激派の発言を一旦置いておいても、同じ山田尚子監督作品でも、『たまこまーけっと』は商業的にはそこまでじゃなくても、でも昨年〜今年と映画『聲の形(感想)』が(商業的にも)超ブレイクしてるのは、ほんとう、「繰り返し」であるからこそ、ブーストする時はする……というのが本当だと証明してるようで、熱いと言えば熱いのですが。

 断言しても良いですが、『たまこまーけっと』があったからこそ、『たまこラブストーリー』や映画『聲の形』のブレイクもあったのだと思います。(ちなみに『たまこまーけっと』で「レコード」が色々と象徴アイテムとして使われているのも「繰り返し」モチーフですね。大晦日から始まって大晦日に終わる一年の物語を、2013年初頭のあの時期に描いてくれたんだよ。(制作は2012年と思われる))

 さて、『メイドラゴン』の今話の話の方。

 そこから「リレー」はカンナの「周」で逆転するのですが、ここで加えて描かれているのも「他力」ですね。序盤パートのちょっと手伝ってくれる滝谷さんの「他力」、才川さんが失敗してもその分補ってくれるカンナの「他力」。滝谷さんが手伝ってくれたから小林さんが運動会に参観することができて、小林さんが来てくれたからカンナは頑張ることができて、カンナの頑張りがあるから、失敗してしまった才川さんを「助っ人」する、「補う」ことができます。たぶんもうちょっと、作風的に、滝谷さんも今後誰かに助けられたりして、この「他力」のモチーフも「円」「繰り返し」「ループ」になっていくのかな? などと想像したりです。

 恒例の、三回ほど入る「ちょい」パートも「繰り返し」モチーフで作品テーマの補強になってるシリーズ。今回はエルマさんです。

 今話は、滝谷さんの能力も、小林さんの能力も、カンナの能力も才川さんの能力も少しずつ違う、だけど、それぞれを組み合わせたり補い合わせたりすることで、世界は少しずつよくなっていける、幸せな時間は感じられるというようなエピソードだったのですが、そうなると土台になってるのは、様々な能力・個がそれぞれの形なりに存在できる「受容」的な世界です。

 今回のちょいパートは、トール(というか「混沌勢」という自分と違うクラスタ)を否定するキャラクターとして登場してきたエルマさんが、少しずつ「受容」の態度を獲得していくパートなのですね。二つ(二項対立)の選択に迷う(一周目)……から始まって、組み合わせに迷う(二周目)、最後は三つとも買って来ちゃって(自分の「内」に取り込んで)また迷う(三周目)と、少しずつ、前提となる「多様なる存在がその存在なりに存在してよい」というのを受け入れ始めています。

 2009年の『涼宮ハルヒの消失(感想)』では、通常長門と消失長門の選択・決断をキョンが迫られて、キョンは消失長門を切り捨てるという側面が描かれています。

 その後、切り捨てられた側、消失長門の救済が一つはテーマであったであろう『境界の彼方』を経由して。↓


参考:『涼宮ハルヒの消失』と『境界の彼方』との関係について(『境界の彼方』第8話〜第11話感想)


 消失長門、栗山さん、そして今作のドラゴンたち……と、全て「『日常』に憧れる『非日常』的存在」という位置づけとなるかと思うのですが、そういう存在とも一緒にいられる「受容的」、百色百光的世界、そういう「世界」の試論をここ最近の京都アニメーション作品はずっと描き続けていると思います。


 「でもおもいっきりできないのは、ちょっと不完全燃焼ですね」(トール)

 「それでもイイ。みんなと一緒がイイ」(カンナ)



 「日常」側に「受容」の態度が必要なように、「非日常」側には時には力のセーブが求められたりもします。

 「競争原理」と「共同体」のテーマもここに結び付いてくるのですね。この二つを同時に成立させるためには、「受容の態度(今話だとエルマさんパート)」、「代役(今話だと滝谷さん)」、「競争で勝ち抜くことを少し手放す心(カンナの台詞)」などなどが大事かもね、ということを、ここしばらくの京都アニメーション作品はずっと描いていると思います。

 ドラゴンと同格に語ると「え?」と思われるかもしれませんが、『響け!ユーフォニアム』の麗奈も、能力は高い、幻想的に描かれることがある、など、京都アニメ―ション文脈的には「非日常」側から始まったキャラクターです。だけど、そんな強い彼女が「競争原理」でばく進するだけだったとしたら、「日常」の存在も「非日常」の存在も、その存在なりに共存できるという「受容」で百色百光の「共同体」は訪れないから、麗奈が堕天(「特別」性を手放すこと・「特別」の意味合いが変わることを、うちのブログではこう読んでます)するまでの物語が描かれていたのだと思います。


参考:響け!ユーフォニアム2感想/第十一回「はつこいトランペット」(ネタバレ注意)


 それは必ずしも「競争原理」を勝ち抜くことの否定ではありませんが、それ「だけ」ではいかんことも現在のリアル世相などを見てると明らかです(大部分の「競争原理」で勝てなかった側がたいへんなことになってきてる)。求められているのは、「競争原理」と「共同体」を「調和」させていくような方向の物語、あるいは、その二つを二項対立と捉えないで、両者を包摂しながら全体性を回復してゆくような物語なのです。

 この「競争原理」と「共同体」にまるわる物語に、近年どのようなものがあるかという話は、「ねざめ堂」さんのこの記事がイントロダクションとしてとても分かりやすいのでお勧めです。『3月のライオン』だけじゃなく、色んな同系テーマの作品について語られています。↓


参考:『3月のライオン』(アニメ版)感想 〜「競争」と「共同体」のバランスゲーム/ねざめ堂


 こうして、「競争原理」を勝ち抜ける者も、勝ち抜けない者も、「非日常」の存在も「日常」の存在も、その存在の本懐を全うしながら、共にいられる「受容」的な世界を目指して、今日も「日常」の「繰り返し」を僕らは生き、そこに周回するごとの少しずつの「変化」を加えて「彩(いろどり)」を深くしていくために、京都アニメーション作品も「ループ」のモチーフで作品を作り続けて寄り添っているのだと感じております。

 何度破綻的なことだったり断絶的なことが起こったとしても、「ループ」を繋いでいる限り、そこに少しずつ「彩(いろどり)」を加えていくということができている限り、どこかで、それはすぐにではないかもしれないですが、「幸せ」とか「輝き」とか、感じられることはあるかもしれないですからね。

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→前回:『小林さんちのメイドラゴン』第8話「新たなるドラゴン、エルマ! (やっと出てきましたか)」の感想へ
→次回:『小林さんちのメイドラゴン』第10話「劇団ドラゴン、オンステージ! (劇団名あったんですね)」の感想へ
当ブログの『小林さんちのメイドラゴン』感想の目次へ

【関連リンク0:昨年2016年の「アニメーション」作品ベスト10記事】

2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)


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『響け!ユーフォニアム2』の感想へ
映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)
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【関連リンク3:京都アニメーション作品の2016年までの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)