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 『けものフレンズ(公式サイト)』第10話「ろっじ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 ミステリで言う「クローズド・サークル(closed circle)」の状況(何らかの事情で外界との往来が断たれた状況)が、「ろっじ」と「ジャパリパーク」自体との主に二つ重ねられて描かれていたと思われる今話。

 今話の「ろっじ」内の謎に迫るプロセスが、おそらく物語全体の「ジャパリパーク」の謎に迫るにあたっての暗示になっている構成と思われるのでした。

 「ろっじ」と「ジャパリパーク」以外にも、「閉じられた場所(とそこから外へ)」という話が今話でいくつか出てきております。

 一つはタイリクオオカミさんが話していた、「夢の中でセルリアンに食べられると夢から出られなくなる話」で、これは、「ジャパリパーク」自体が、「夢」的なもの、「仮構」的なもの、「虚構」的なもの……という示唆なのだと思います。アプリゲーム版にしろアニメ版にしろ、『けものフレンズ』という作品自体が「虚構」作品ではあるので、メタな要素が盛りだくさんな本作らしい表現の箇所だっと思います。

 もう一つはミライさんが話していた、当初ミライさんは宇宙人だと思われていた……みたいな話の箇所で、ここは、リアルの方の最近の宇宙開発が話題の世相なんかも反映させてる箇所なのですかね。いずれにせよ、この話の箇所も「内(地球)と外(宇宙)」が「内(ジャパリパークの中)と外(ジャパリパークの外)」が意識されるシーンでありました。

 人間(ヒト)の志向性として、「外」へ向かう意識が高まってくればくるほど、かばんちゃんとサーバルちゃんの「別離」のフラグが高まる……という構造の作品になっているのだと思います。

 「虚構(ゲームとかアニメとかもろもろ)」の中だけではなくて「現実」に向かいたい。狭い「内」から出て、「外」に向かいたい。いずれも、一見人間の志向性としては「正しい」感じに思えるのですが、そっちに向かえば向かうほど、「内」で仲良くしていた友達(一番の象徴はサーバルちゃん)とはお別れになってしまう力学も働いていく……というアンビバレント(二律背反)。けっこう、普遍的な題材を扱ってるなーと感じる箇所だったのでした。

 そういう遠景も踏まえて、「別離」と「再会」がモチーフとしてある作品かと思うのですが(一番は、第1話にエッセンスとして詰まっている)、今回サーバルちゃんが泣いていたのは、「破綻的な出来事」が起こったいわば「前のループ」で、ミライさんと前サーバルちゃんは「別離」を経験してるのだと推測されるのですね。

 で、このまま進んで行くと、「今回のループ」でもかばんちゃんと現サーバルちゃんは「別離」エンドを繰り返してしまうと。それを、どうトゥルーエンドに向かっていくのか? というような、けっこうゼロ年代の「ループ」要素ADVゲームのノリもある作品かと感じます。

 かばんちゃんの正体も、今回の「ろっじ」での出来事が物語全体の謎解きの示唆になってると考えると、けっこう想像がつく段階に入ったという気もします(今回、犯人はかばんちゃん自身でした)。これも、ゼロ年代の「ループ」要素ADVゲームあるある(あったあった)ノリな要素ですね。

 個人的には、サンドスターの効果範囲が、フレンズ、フレンズだったものに加えて、無機物にも拡大されたのが、今回オオッっと思ったことでした。

 いきなり何をという感じですが、これは、去年のプリキュアシリーズの『魔法つかいプリキュア!』だと、モフルン要素だと思うのですよ。無機物(クマのぬいぐるみ)にも魂が宿る。そんなことがあってもイイ、みたいな。↓


参考:草木国土悉皆成仏を唱えてモフルン師匠にブッダが宿る〜魔法つかいプリキュア!第36話「みらいとモフルン、ときどきチクルン!って誰!?」の感想(ネタバレ注意)/別ブログ


 この、物とか無機物にも魂が宿るかもね的な世界観は、わりと日本的というか「和」的な世界観なので、グローバル資本的なものに押されがちなご時世、「和」的な価値観も掘り起こしていこうよというような気配も見られる昨今、時代性もある作品だなーなどとも思ったりなのでした。

 どこからどこまでがフレンズで、どこからどこまでがセルリアンなのか、「ループ」してる類のものなので、厳密な線引きはできない、というのは、南方熊楠が注目していた粘菌(:ねんきん)(湿気の多い時期にはアメーバとなって移動しながら捕食活動してるので動物的なのですが、乾燥期の到来が予測される頃には植物のように動かなくなって胞子を飛ばし、その胞子の中にはまた動物性アメーバがおさまっている……という動物とも植物とも捉えられない「存在」で、どこからが「生」でどこからが「死」とも定義できない、謎な「存在」)の生態なんかも連想される、中々日本的というか、背景にはブディズム(仏教)方面の世界観もある要素で、昨年(2016年)の作品だと、『劇場版艦これ』の艦娘と深海棲艦の関係なんかも連想されます。↓


参考:過去世と未来世が相互貫入し合う波打ち際の仮構世界だとしても〜『劇場版艦これ』の感想(ネタバレ注意)


 色んなところで、厳密に線を引いて二項対立的にどっちか明白にする合理論重視(どちらかというと西欧的な考え方)の考え方から、厳密に区分できない「境界領域」的なものについても考えよう(どちらかというと東洋的な考え方)というような気運も高まってきてるのかな〜などと感じる昨今です。

 なので、フレンズとセルリアンの(広義の)共存エンドが一番しっくりくるかなーなどと感じ始めてるアニメ『けものフレンズ』終盤なのでした。

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→前回:『けものフレンズ』第9話「ゆきやまちほー」の感想へ
→次回:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その2〜第11話「せるりあん」の感想へ
→初回:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』(第1話〜第8話までの感想)へ
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【関連リンク1:昨年2016年の「アニメーション」作品ベスト10記事】

2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)


【関連リンク2:『けものフレンズ』とテーマも近いと感じる、今季放映されてる京都アニメーション作品の『小林さんちのメイドラゴン』の感想記事】

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