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 『けものフレンズ(公式サイト)』第12話(最終回)「ゆうえんち」の感想・考察です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 作中の「前のループ」に相当するミライさんと前サーバルちゃんの時系列で、何らかの「破綻的な出来事」が起こったという遠景があると思われる本作。

 そのような大きな災害が意識される「破綻的な出来事」というと、近年だとやはりリアルの方の東日本大震災が連想されるという視点から、『けものフレンズ』は「破綻的な出来事」からの「復旧」の過程を(連想として)綴った物語である側面があるのではないかということ。

 また前話(第11話)の超大型セルリアンの危機が再びという状況は、「再び大きな災害が起こった」という状況を連想させるシチェーションなのではないか、ということ。そんな記事を二つほど書いておりました。けっこうな人数の方々に読んで頂いてありがとうございます!↓


参考:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その1(第1話〜第8話までの感想)

参考:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その2〜第11話「せるりあん」の感想(ネタバレ注意)


 で、今回の最終回です。

 自分を庇って超大型セルリアンに飲みこまれてしまったかばんちゃんを助けようとサーバルちゃんが奮闘するのですが、いかんせん、一人では無力でどうしようもないのですね。リアルの方の連想としても、災害時に一人で一人の救助というのはかなり無理があります。自慢の爪も、うにゃにゃにゃにゃーも、効果がない。

 おそらく、「前のループ」相当の前サーバルちゃんも一人で戦ったのだと思います。でも、ダメだった。

 せっかく、地道に「復旧」の過程を綴ってきたのに、またある日大きな災害的な出来事はやってきて、再び大事な人を失ってしまうのか。このままでは、「前のループ」で起こった「破綻的な出来事」の繰り返しです。

 前回も書きましたが、超大型セルリアンは水的な存在で、いくつか津波を連想させると読めそうなシーンもあり、そういう災害的な存在に飲みこまれかけている公的(=ガイド)な立場の人、かばんちゃんを助けたいというサーバルちゃんの願いは、ポスト3.11の世界で生きている我々にはとても共感できる願いだと思います。あの時、助けたかった。今度は、助けたい。

 一人奮迅するサーバルちゃんのシーンでの、

 「まだお話することも。一緒に行きたいところも。返してよ!」

 の言葉は、かばんちゃんをそれぞれの視聴者の大事な人に置き換えると、胸にくるものがあります。

 そこで。そこで!

 助っ人に博士たち(アフリカオオコノハズクさん&ワシミミズクさん)が登場ですよ。

 ここからが、「前のループ」とは違う、「今回のループ」ならではの展開の始まりなのだと思います。前回のバッドエンドを今度はトゥルーエンドにしてみせる。ちょっと、ゼロ年代のADV的なノリもある展開ですね。

 「復旧」の過程を綴った旅路。「前のループ」に相当するミライさんのメッセージ(=リアルの方の「以前の震災の教訓」が連想されると思います)を受け取っていく旅路。かばんちゃんとサーバルちゃんの旅路は、ここまでの11話分の物語は無駄ではなかったのです。

 第1話に全てがエッセンスとして詰まっている作品かと思うのですが、第1話の流れは、カバさんが「ジャパリパークの掟は、自分の力で生きること。自分の身は自分で守るんですのよ」と動物的(自然の掟的)なことを言っていたのに、それでもかばんちゃんはサーバルちゃんを助けた。すると、カバさんも助けにきてくれた……というもので、この「助け合い」をヒトとして大事なものとして描いた、ということだったのだと思います。

 この「助け合い」の精神が、11話分のかばんちゃんとサーバルちゃんの旅路を通して、各地方に、様々なフレンズ達に、「今回のループ」では伝播していた、ということだと思うのです。各話のエピソードが、全て広い意味で(それぞれの得意なことを生かした)「助け合い」を描いていたのが、ここに収斂します。

 第1話でカバさんが助っ人に来てくれたように、博士も助っ人に来てくれたけど、それでもダメか!? というところで、そもそも博士は戦闘が得意なフレンズではありません。博士は、あくまで指揮官です。統率が得意なフレンズなのです。


 「われわれ、やることはやるですよ。この島の、長(おさ)なので」


 この辺りからボロ泣きでしたよ。有事の際に頼れる指揮官(しかも二人組)がいるって、頼もしい!

 そこからオープニング曲の導入部分のあの「てってー」というのが流れ始めて、暗闇の中に数多のフレンズたちの目が輝きだし、これまで出会ったフレンズ全員集結のところで『けものフレンズ』のタイトルが出るところのテンションは凄いですね。叫びそうになりましたよ(笑)。サーバルちゃんは、今度は一人ではない。

 ああ、これ、『UQ HOLDER!』とか『FAIRY TAIL(フェアリーテイル)』みたいな作中のメイン共同体(集団)の呼称がそのまま作品タイトルになってる作品だったのね! だから作品タイトルが複数形(フレンズ)だったのね! とか。

 ジャパリパークは(海に囲まれてるとか)日本を連想させますから、リアルの方の連想でも、震災の時日本各地から様々な人々が助っ人に来てくれたんだよなとか、思い出しましたね。個人的にも本震から数日後には関西から来てくれた救援部隊の頼もしい光景を見たりしましたし、その後も北海道から来てくれた行政書士さん(行政書士が得意なフレンズ!?)にお世話になったとか、体験をあげだしたらきりがありません。これが……「助け合い」か。

 少し考察してみるなら、「前のループ」、前サーバルちゃんとミライさんの時は、ヒトだけで戦ったか、フレンズの協力を得ていたとしても前サーバルちゃんとか少数で、島の全フレンズの協力までは得られなかったのかな、と想像します。

 ボスの制限(基本的にはヒトとだけ話し、フレンズとは話してはいけない)にみる、「ヒト優位」の観念が「前のループ」までは大きかったのが推察されるのがその理由です。「ヒト」が自分を優位に置いているので、フレンズたちにまで助けを求められなかったのかな、とか。

 それが、「今回のループ」では、かばんちゃんとサーバルちゃんの関係をはじめ、ヒトとフレンズはあくまで「対等」という関係が築かれていました。だから、最後にかばんちゃんのために全フレンズが集結できたのかな、と。

 全フレンズ集結ギミックの要はボス(ラッキーさん)なのですが、緊急時という条件を生かしてサーバルちゃんに「三人での旅は楽しかったよ」と伝えるボス……というシーンからも、「今回のループ」、今回の旅ではヒトとフレンズが「対等」だったというのが強調されていると思うのです。

 この辺りの話は、SunithaさんのTwitterのツイートも引用しておいてみましょう。↓

 かくして、かばんちゃんも救出され、エンディングへ。

 第1話に物語全体が凝縮されているという話を書いてきましたが、ここで注目したいのは、ネットでも考察がさかんになっている、最終回Bパートでは超巨大セルリアンに一回飲みこまれた後のかばんちゃんの手が部分部分、黒くなってる……というのがちょくちょく描かれている点です。

 この点に関しても、少しSunithaさんのツイートを引用してみましょう。

(画像は『けものフレンズ』最終回より引用)

 僕なりに考察してみると、フレンズだったら服は脱げるはずですので(第9話より)、ここでのかばんちゃんは何らかのセルリアン的要素も入った存在になってるのかな、などと想像します。

 かばんちゃんの正体、世界の謎、などに関しては第10話「ろっじ」(感想)が謎解きの暗示になってると思うのですが、その回に、フレンズに化けるセルリアンの話が出てきます。

 どのタイミングでかばんちゃんがセルリアン的要素が入った存在になったのかはいくつか可能性がある気がしますが、たとえば、ミライさんの頭髪がフレンズ化したというのは「表解答」で、同時にサンドスター・ローが無機物(帽子?)に当たった存在でもある(→セルリアン要素)的な「裏解答」も存在してる可能性はあると思います。

 またあるいは、ストレートにミライさんの頭髪がフレンズ化した存在だったとしても、そういう存在がセルリアンに食べられた場合どうなるのか、(少なくともアニメ版では)よく分かっていないと思うのです。つまり、ヒトそのものがフレンズ化したのがセルリアンに食べられたならヒトに戻るのだろうけれど(こっちのケース、フレンズがセルリアンに食べられて動物に戻る現象はけっこう作中で観測されてる模様)、上記のように複雑な状況のかばんちゃんは、今回セルリアンに飲みこまれかけて、「何か特殊な存在」になってる……という可能性もあると思うのです。

 また、かばんちゃんは、ヒト、フレンズ、セルリアンの「多重存在」的な何かだ、というのは、わりと作品本体のテーマにも合ってると思うのです。

 「ねざめ堂」さんのこちらの記事に詳しいのですが、本作は「文明(ヒト)」の要素と「自然(動物)」の要素が出てきて、一見この二つは対立する気もするのですが、いやいや、その二つは二項対立じゃないよ、バランスだよ、あるいはその二つは両義的なもので、どちらかが正しいとかじゃないんだよ、という視点がある作品だと思うからです。↓


参考:『けものフレンズ』感想:人類の夜明けぜよ。/ねざめ堂


 「ねざめ堂」さんも書いている通り、「フレンズ」という設定自体が、「動物」と「ヒト(特に外見)」の両義的な存在ですからね。

 加えてサーバルちゃんは、前サーバルちゃんの記憶を一部継いでるフシもアリ(第10話で前サーバルちゃんの映像を見て涙を流すシーンより)、そういう意味で生者と死者の両義的な存在とも捉えられそうな気がします。

 そんな、ヒトの要素もフレンズの要素もセルリアンの要素も持った(と仮定もできそうな)かばんちゃんという存在と、ヒトと動物の両義的なフレンズでありつつ生者と死者の両義存在のサーバルちゃんとがバディとして新たな世界に旅立っていく、というラストは、「どんな存在であれ受容してみる(受け入れてみる)」という本作で第1話から描かれていたテーゼと合致して、とても良い感じに収まっていると感じるのです。

 第1話のラストは、他の「ちほー」にかばんちゃんとサーバルちゃんが旅立つ……というのに加えて、かばんちゃんが自分の正体を知るための「自分探し」の旅に出る……という意味合いのラストシーンだったのですが。

 最終回の今回も、ラストの旅立ちのシーンには、他の「ちほー(たとえば今度は「ごこくちほー」!?)」に再び二人が旅立つという意味合いだけでなく、やはり、今回は自分の正体が「ヒト」ということではなく、さらに深淵な射程がある話、なんか、ヒトとフレンズと(あるいは)セルリアンとの多重存在みたいな? 謎の存在になってるかもしれないかばんちゃんなんだけど、そんな不可思議な「自分」という存在をまた知りに行こうと、再び「自分探し」の旅に出る……というモチーフも、第1話のアップグレード版として重なっているラストになっていると思うのでした。

 かくして、広い意味では「旅は続く」エンド。

 最速で最終回が放映された次の日には(早いよ!)、新作映像制作決定の報が流れましたし。

 最終回最速放映からちょうど一週間の昨日の深夜には、おもむろにたつき監督のTwitterアカウントに12.1話「ばすてき」がアップされたりしています。↓

 もともとリアルと連動している「メタ」な要素が豊富な作品でしたが、どうやらリアルの方も、本当に「続く」作品となりそうです。

 陽気な側面でも、ちょっとシリアスな側面でも、観てるとなんだか元気になってくるという作品でありました。たつき監督をはじめ、制作スタッフの皆さんお疲れ様でした。続編、期待しています!

→ねんどろいどサーバルちゃん



→Blu-ray



→前回:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その2〜第11話「せるりあん」の感想(ネタバレ注意)
→初回:ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』(第1話〜第8話までの感想)へ
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