ブログネタ
小林さんちのメイドラゴン に参加中!
 アニメ『小林さんちのメイドラゴン(公式サイト)』第12話「トールと小林、感動の出会い! (自分でハードル上げてますね)」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 小林さんとトールの出会いが描かれる今話。

 久しぶりにまず、「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」と「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」の視点から流れを見てみましょう。(この二つのコミュニケーション様式の違いは、詳しくは第1話の感想を参照です。

 その頃、小林さんは会社「共同体」のデスマーチっぷりに疲弊しており、トールの方はトールの世界(「共同体」)で大きい傷を負って……と、それぞれのそれまでの「共同体」では上手く行ってない状態だった、というのが起点となります。

 小林さんは会社「共同体」での「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が上手く行ってなかったし(上司から強権的に接せられてる)、トールはトールの世界(「共同体」)での「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」が上手く行ってなかった(刺された)……という前提なのですね。

 そんな二人が、山で出会います。ここは、小林さんの世界とトールの世界が接触する、完全な「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」として描かれています。

 二人の「inter-group communication(集団間コミュニケーション)」を媒介するのは「酒」です(笑)。ただ、第1話が飲み屋という密室で小林さんと滝谷さんが(メイドとかに関する)コアな「intra-group communication(集団内コミュニケーション)」を展開してトールはそこに入れない……という「酒」のシーンだったので、ここで小林さんとトールを繋げたのもまた「酒」だったと持って来るのは、構成美を感じたりもするところです。

 この二人の「酒」のシーンで重要なのは、小林さんの、


 「なんで私、一人なんだろう」


 の台詞の箇所かと思います。

 現在の「共同体」(小林さんの場合は会社)で上手く行ってなくとも、それでも何の「共同体」にも属さずに「独り」で生きていくのは寂しいし、人はそこまで強くない。

 わりと、小林さんの方の孤独も掘り下げられていて良かった箇所でした。リアルの方で「無縁社会」のキーワードが世に出てきてからもうだいぶ経ちますが、地域「共同体」も崩壊して、家族「共同体」ももうヤバくて、完全に切り離された「アトム(個)」として会社「共同体」にだけ属してる人が多いとかいう現状は、どう考えてもヤバいわけです。労働環境の悪化、高い自殺率、などなど、会社側にも問題はあるでしょうが、深因として会社「共同体」以外に属する「共同体」がない孤立した人が増えているがあると感じます。それしかないから、そこがブラック化したら、逃げられない。

 そこで、


 「うち来る?」


 実質会社「共同体」にしか所属してなかった小林さん、トールの世界「共同体」からは排斥されたトールが、いわばオルタナティブ(代替)「共同体」として「小林さんち共同体」を形成する……という物語の始まりだったのですね。

 そこが起点だったというのが見えてくると、これまでの、小林さんち「共同体」から始まって、商店街「共同体」、小学校「共同体」、才川さんち「共同体」、翔太くんち「共同体」、滝谷さんち「共同体」、老人ホーム「共同体」……などなどと、物語の経過と共に小林さんが関わる「共同体」が増えていった流れは、小林さん視点から視ると、オルタナティブ(代替)「共同体」が増えていく&深まっていく過程を綴っていたという物語だったと再解釈できるように思います。

 その過程で生まれるのは「余裕」です。会社「共同体」しかなかった時はギリギリChop状態でしたが、今なら、たとえばあまりにブラック状態になり過ぎて会社「共同体」を辞めても、才川さんち「共同体」とか滝谷さんち「共同体」辺りは、しばらく泊めてくれたりしそうです。これは、明らかに関わる「共同体」が複合化したことで生まれている「余裕」なのです。

 と、ここまでの今話前半は、もうオルタナティブ(代替)「共同体」作っちゃえ! という、どちらかというと、今までの「共同体」がつらくなったからそこから離れて別の「共同体」へという方面の話だったと見てとれます。

 そして、ここから今話後半は反転。

 少女とトールの交流パートは、逆に「共同体」と再契約する方面の話になっています。

 ここでのキーワードになってるのは「自由」という言葉です。

 少女もトールも(大袈裟に言えば)「世界」の方から抑圧されていて、「自由」がなかったのですね。

 これは、実は規模は違うのですが、何らかの強権的な存在によって「自由」を制限されていた……というのは、会社、特に専務によって「自由」の制限を当時感じていた小林さんと、少女は重なると見てとれると思うのです。

 つまり、この少女とトールが「外」で対話(inter-group communication(集団間コミュニケーション))する……というシーンは、前のパート、小林さんとトールが「外」で対話(inter-group communication(集団間コミュニケーション))する……というシーンと並行関係にある、ということですね。

 ここでのコアは、少女は「自由」になったあと、あえてメイドになるという選択を下して、「不自由さと再契約」している……という点です。

 「自由」になれた! どんどん「個(アトム)」として上を目指すぞ! とかではないのですね。あえて、もう一度「共同体」というある種の「不自由さ」を伴うものと「再契約」している。

 この、京都アニメーション作品が描いている「不自由さとの再契約」という要素に関しては、実は『けいおん!(!!)』の時にこういう記事を書いておりましたので、読んで頂けたら喜びます。↓


参考:けいおん!大学生編感想(ネタバレあり)〜不自由さを受け入れながら進む時代〜


 「自由」になっても、一人(独り)で「個(アトム)」になって「競争原理」に参戦! とかでは、やはり「分断」された存在にしかなれなくて、孤独なのですよ。満たされないのですよ。

 一方で、一つの「共同体」しか選択肢がなく、それに所属し続けなきゃならない……というのは、これも息苦しいです。こっちに、「同調化圧力」とか加わってきたら最悪ですよね(笑)。

 そこで、この二つの「代案」として、「自由」は獲得した上で、「不自由さ(共同体)と再契約する」という境地を、京都アニメーション作品は、これまでの作品でも、本作でも描いているフシがあるのですね。

 メイドしか選択肢がない! この状態は「不自由」で苦しいです。

 でも、他に色々選択肢がある「自由」を獲得した上で、あえてメイドという「不自由さと再契約」しよう。こっちは、「自由」もある上で「共同体(=居場所)」もあるので、孤独も回避できます。

 少しリアルの方の例もあげるなら、僕は個人的には地域「共同体」も家族「共同体」もまだまだ大事なものだと思ってますが、それしか選択肢がないという状態になると、苦しいですよね? それに同調化圧力(必ず親と暮らして老後は面倒見るべき的な)とかまで加わってきたら、最悪ですよね?(しつこい) それは、「自由」がない。

 一旦、自分自身では選択しようがないもの、生まれた「世界」、生まれた「地域」、生まれた「親」、そういうものから「自由」になるプロセスは、大事です。別に海外に行ってもいいし、郷里を離れて上京してもイイし、親元を離れてもイイ。

 その上で、あまりにそっちに舵を切り過ぎると、今度は「自由」が暴走して(まあ、いわゆる「新自由主義」の負の側面的な話です)人間が「個(アトム)」に解体されてしまって、精神病だ自殺だまっしぐらみたいないかんことになるので、「自由」は獲得した上で、あえて生まれた「世界」、生まれた「地域」、生まれた「親(=家族)」、そういう「共同体」と再契約してみるのは、けっこうイイんじゃないの? みたいな話だと思うのですね。

 上で『けいおん!(!!)』の例もあげたので『けいおん!(!!)』の例でも書いてみると、唯澪律紬梓が、その5人の「内」側の軽音楽部「共同体」しか選択肢がない状態だったら、それは「自由」がない共依存「共同体」で、けっこういかんことになってたと思うのですね。

 ですが、彼女らはライブハウス、街の演芸大会、夏フェス、映画ではロンドンと、「外」の「共同体」との経路を開いて「自由」を獲得していったわけです。そういった「自由」を獲得した上で、それでもまだ五人で一緒にいたいと「不自由さと再契約」するっていうんなら、それこそが「自由と不自由」「競争と共同体」「個と全体」が相克して大変になってる世界における、一つの「解」、「調和」、「バランス」、「全体性」の回復ってことなんじゃないか、みたいな話なんですね。

 つまり、本作『小林さんちのメイドラゴン』の、商店街「共同体」、小学校「共同体」、才川さんち「共同体」、翔太くんち「共同体」、滝谷さんち「共同体」、老人ホーム「共同体」……と関わる「共同体」を広げていく過程は、「自由」の獲得過程でもあったということです。

 実際、会社「共同体」から排斥されたとしても、商店街「共同体」でバイトできるかもしれないし、滝谷さんと同人活動で(え)稼いでみてもイイし、才川さんちもしばらく泊めてくれたりはしてくれそうです、これは、明らかに「自由」になってるのです。

 そして、その上で孤独と「個(アトム)」化の回避のためには、「不自由さと再契約」するのもアリだよって所に向かっていく物語だったってことですね。もうこれ、『たまこまーけっと』どころか『けいおん!(!!)』から繋がってるじゃん!?

 実際、小林さんも「自由」を獲得した! フリーランスになるぞ! 海賊王になるために大海原に航海に出るぞ! 方向にはいかないのですね。関わる「共同体」が増えてきて「自由」が上がってきたからこそ、むしろ会社「共同体」(不自由さ)と再契約してるとも捉えられる「日常」を過ごしています。

 そんな感じで、トールと出会い小林さんち「共同体」をまずは形成した所から始まり、徐々に関わる「共同体」を広げていった小林さんは、家族(親)「共同体」とも会社「共同体」とも普通に「不自由さと再契約」してる感じなのですが、ここでトールの親の終焉帝が現れる引きで、じゃあ、トールは元の「世界」と、「親」という「不自由さ」と、それらに対してどうするのか? という最終回なのか。

 これ、もう最速地域では最終回放映されてるのですよね。僕はまだ観てないのですが、流れ上、「再契約」までいかずともトールも親との関係(不自由さ)を、「自由」を手に入れたからこそ「再構築」する的なラストなんじゃないかな〜と予想したりなのでした。

・ちなみに、今話の「ちょいパート」も、ルコアさんが自由であるからこそ(いつでも翔太くんの元からいなくなれるからこそ)、あえて翔太くんといっしょにいるよ、という「(自由を前提とした)不自由さとの再契約」というパートでありました。

→山田尚子監督・映画『聲の形』のBlu-rayが予約受付中(当ブログでも去年2016年のアニメ作品ベスト記事で2位に選んでおりました。

映画『聲の形』Blu-ray 初回限定版
入野自由
ポニーキャニオン
2017-05-17


→金字塔

けいおん!! Blu-ray Box (初回限定生産)
豊崎愛生
ポニーキャニオン
2014-11-19


→Blu-ray

小林さんちのメイドラゴン 2 [Blu-ray]
田村睦心
ポニーキャニオン
2017-04-19


→前回:『小林さんちのメイドラゴン』第11話「年末年始! (コミケネタありません)」の感想へ
→次回:『小林さんちのメイドラゴン』第13話(最終回)「終焉帝、来る!(気がつけば最終回です)」の感想へ
当ブログの『小林さんちのメイドラゴン』感想の目次へ

【関連リンク0:昨年2016年の「アニメーション」作品ベスト10記事】

2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『響け!ユーフォニアム2』の感想へ
映画『聲の形』の感想〜ポニーテールで気持ちを伝えられなかったハルヒ(=硝子)だとしても生きていくということ(ネタバレ注意)
『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意)

[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)
『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
[5000ユニークアクセス超え人気記事]『境界の彼方』最終回の感想(少しラストシーンの解釈含む)はこちら

『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
『氷果』最終回の感想はこちら

『けいおん!!』最終回の感想はこちら
『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら


【関連リンク2:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想(ネタバレ注意)
『けいおん!(!!)』シリーズ構成の吉田玲子さん脚本による「バッドエンドけいおん!」を浄化する物語〜無彩限のファントム・ワールド第7話の感想(ネタバレ注意)
『SHIROBAKO』(シリーズ構成ではなく同テーマのキー話の脚本)の感想
『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について


【関連リンク3:京都アニメーション作品の2016年までの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)