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 相羽です。

 アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト(公式サイト)』第一話「舞台少女」の感想です。

 第一話は、現在「スタァライトチャンネル(公式チャンネル)」で観ることができます。↓
 以下、感想はネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 演劇という題材ながら、「ポジションゼロにつけるのは一人だけ、その座を競争(闘争)で奪い合う」という要素がわりと作品の核心となっており、今では使い古された気がする表現も使ってみるとゼロ年代の「バトルロワイヤルもの」の雰囲気が色濃い作品です。

 一つの奇跡(的な何か)を登場人物たちで奪い合う……ということで、

 一定以上の年代の視聴者としては、『仮面ライダー龍騎』を思い浮かべる人もいるかもしれないですし、無印『Fate/stay night』を思い浮かべる人もいるかもしれません。

 で、今は2018年というのもあってか、そういったゼロ年代の金字塔「バトルロワイヤルもの」作品群の、「次」あるいは「次の次」くらいを描くぞ! という気概が感じられて、たいへん熱がある第1話だったのでした。

 Aパート、「聖翔音楽学園第九九期生」というのは友人同士が支え合う「共同体」の原理と、一方で一人一人がライバルである「競争原理」が同居している場所だというのが、細かい描写で強調されていきます。


 「聖翔音楽学園第九九期生」の「共同体」的な要素……愛城華恋と露崎まひるが支え合って生活している、石動双葉と花柳香子も繋がりが強い、大場ななは一年の時の「スタァライト」の舞台を「私たちだけの舞台」と大事に想ってる。……などなど

 「聖翔音楽学園第九九期生」の「競争原理」的な要素……みんなポジションゼロを意識している、天童真矢と西条クロディーヌがライバルとしてお互いを意識している。華恋の「次も天童さんとクロちゃん」発言に星見純那が「誰が主役か勝手に決めないで」と反発する……などなど


 で、この「共同体」的な要素と「競争原理」的な要素というのは、基本的に相克する(バッティングする)のですね。友だちを大事にすることはいいことなはずなのに、友だちを蹴落とさなくてはポジションゼロには立てない。競争を勝ち抜いて上を目指すことはイイことのはずなのに、上を目指すにはなんだか友だちとか家族とか蹴落とさなくちゃいけない。……といった具合です。

 この「共同体」的な要素と「競争原理」的な要素の相克という題材は、近年の日本のアニメーション作品ではたくさん描かれている要素でして、え、そもそも「共同体」と「競争」って相克(矛盾)するものだったの!? くらいの認識の方は、「ねざめ堂」さんが『三月のライオン(アニメ版)』を中心にいくつかの作品の例を使って分かりやすくこの系統の物語を解説してくれてる記事があるので、一度こちらを読んでみて頂けたらと思います。↓


参考:『3月のライオン』(アニメ版)感想 А峩チ茵廚函峩ζ餌痢廚離丱薀鵐好押璽燹燭佑兇疇


 「ねざめ堂」さんの記事でも触れている作品ですが、本作『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、近年のヒット作だと京都アニメーション作品『響け!ユーフォニアム』とも構造が近いですね。

 『響け!ユーフォニアム』は北宇治高校吹奏楽部という「共同体」としては「競争原理(コンクール)」に参戦することを受け入れていますが、象徴的に部員のオーディション(競争)が描かれて、「椅子は限られている」「椅子から零れ落ちた者(競争に敗れた者)はどうするのか?」という要素も同時に強い作品です。


参考:響け!ユーフォニアム番外編「かけだすモナカ」の感想〜椅子に座れなかった存在への抱擁(ネタバレ注意)


 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』も、ポジションゼロを目指す「競争原理(オーディション)」への参戦とそれを目指す克己を描いている一方で、第一話時点で、「競争」に敗れた者へのまなざしが感じられる(後述)作品でもあると思います。

 競争を勝ち抜くぞ!(そのための努力とか尊いぞ!)という方向にだけ視聴者がコミットして没入して快感を感じていると、「いや、でもあなたが競争を勝ち抜いていく過程で蹴落としてきた人たちがいるよね?」と視聴者を告発してくるかのような構造になっているのも似ています。

 仲間を大事にとかが基本的な価値観のはずなのに、実情は社会に出たら競争に巻き込まれて自分が生きるのにも必死で他人のこととか気にしてられない訳わからないことになってる。個性を大事にも基本的な価値観のはずなのに、個人の本音を口にすると集団の和を乱すと叩かれるので、空気を読んで同調化圧力に屈しないといけない。この状況は何なの、訳わからーんという多くの現代日本人の混乱に応じて、これらの作品は作られているかのごとしです。

 さてさて、Aパートまでは「聖翔音楽学園第九九期生」は、比較的「共同体」寄りの要素が強かった場所として描かれていたと思うのですよ。それなりに、和気あいあい。

 しかし、そんな「聖翔音楽学園第九九期生」共同体に、異質者、神楽ひかりが外部から転校してきて、それまでの「聖翔音楽学園第九九期生」の秩序に貫入してきます。

 神楽ひかりが「聖翔音楽学園第九九期生」にもたらしたのは、ざっくりとはやはり「競争原理」です。

 この手の「競争原理」要素とは、「恋愛」が絡むのが(基本的に一人の異性を競争で奪い合う性質のものだから)創作作品の常なのですが、華恋をめぐって、ひかり、まひるがギスギスしたり。(というか、華恋に、「競争」で異性を一人に選ぶ的な世界観がない)

 ひかりの孤立した部屋の描写があったり。(散らかった部屋=現代社会の「共同体」から隔絶された孤立世帯の比喩的な感じなのだろうと……)

 夢(?)の中でひかりが華恋をタワーから突き落としていたり。(「競争」的な世界観)

 などなどと、今話時点の(高校生の年齢の)神楽ひかりは、(華恋としばらく会わないでいるうちに)「競争原理」寄りの人になっちゃったキャラクターとして描かれていると思います。

 「競争原理」、そのままでポジションゼロをかっさらいかねない神楽ひかりの貫入で、「聖翔音楽学園第九九期生」共同体はギスギスし始めます。真矢とクロディーヌはひかりを意識し始めますし、もともと真矢とクロディーヌに嫉妬の感情があるかのような描写があった純那も穏やかじゃありません。キリンからメールも届きます。

 そうして、Bパート。物語の舞台は夜の(非日常の)「聖翔音楽学園」というちょっとファンタジーな領域に。

 そこで、華恋が見たのは、「レヴュー」。

 純那さんがギスギスしていたどころか、ひかりと純那が殺し合っています。

 友だちとか、そういう助け合う「共同体」とか、我々が子どもの頃に聞いたような他者を尊重する態度といったものは幻想だったのか。けっきょく、他者は蹴落とすしかないのか。キリンさんも出てきて、やっぱり「競争原理」だよね! みたいなことを語ります。

 でも。必死ですよね。
 だって、「舞台少女」ですもの。
 普通の喜び。女の子の楽しみ。全てを焼き尽くし、遥かなキラメキを目指す。それが「舞台少女」。
 その覚悟があなたに?

  (キリン)


 ポジションゼロの上位概念なのか、「星のティアラ」。全てを捨てて「競争」を勝ち抜き、それを奪いにいくこと。

 そういう人間が勝つ。「限られた椅子」に座る。それが大人の世界なのかもしれないが……。

 キリンの口癖(?)が「わかります。」なのも、これは「理解(わか)ります」と捉えたりもしますから、「理」、つまりキリンは「合理論」的なポジションなんだ……というのは深読みが過ぎるでしょうか。

 ちなみに、「合理論」と「競争原理」は相性がイイです。効率的に(合理的に)弱い存在を排除していくのが一番効率よく「競争」に勝てるという理屈が(いちおうは)通るから。

 止められませんよ。
 朝も一人じゃ起きられない。主役になれなくてもイイ。そんな方はお呼びではありません。さあ、お引き取りを。

  (キリン)


 キリンからの、容赦ないダメだし。おまえ、「競争」世界ではいらない子だから。

 クライマックス。

 そんな弱い人間だとしても。たとえ自分が「競争原理」の中では淘汰される側の人間だったとしても、愛城華恋は、友だち(ひかり)が脱落するのを、ただ見ていることはできない人間だった。

 「キリーン、邪魔」(愛城華恋)

 キリン(合理論)はフっとばして、

 「約束したんだから。わたしは、ううん、わたしたちは、絶対いっしょにスタァになるんだって」(愛城華恋)

 「わたしたちは」と言い直しているので、明確に「競争」の果てにある「椅子」は一つだけという「競争原理」の世界観を否定しています。

 とはいえ、綺麗事だけでは世界を覆う「競争原理」はくつがえせないから。弱いままでは、「競争原理」の前に淘汰されて何もできないから。

 「アタシ 再生産」

 戦いに飛び込んだ動機もヒーローチックですが、「アタシ 再生産」は仮面ライダーなどのヒーローもの作品における「変身」のニュアンスに近いと思いました。

 愛城華恋、「競争」を否定するために「競争」に参戦。

 否定という言葉はちょっと違うかな(スタァを目指す上昇志向とかは、それはそれで大事なものとして描いているでしょう)、もう2018年なんだから、何か別の「解」があるはずだ! というような気概での変身、「アタシ 再生産」という感じです。

 どんなに「合理的」だ、「競争」の帰結だ、それが大人の世界なんだから頷け、首を縦にふれと言われても、胸にある「友だちが零れ落ちそうな時に、やみにくもに手を差し伸ばしてしまう気持ち」、「憐み」、そういった、「理(り)」に還元できない感情を爆発させてしまう。

 『仮面ライダー龍騎』の第2話で、戦うのが嫌だと言っていた真司くんが、モンスターに親を殺されて泣く子どもを見て、思わず変身してしまったのと、だいたい同じ気持ちですよ。

 この今の世界では分が悪い「憐み」のヒーロー性のようなものを、でも、諦めちゃいかんのではなかろーかと描く。熱かったですよ。

 ラストシーン、今の大人になってしまった(「競争原理」寄りになってしまった)ひかりとしては、華恋の行動は否定するしかない。

 だけど、口調が「バッ華恋!」と、子どもの頃、「友だち」という紐帯(繋がり)が信じられた頃に戻っている。

 他人は蹴落とさねば「椅子」は得られない大人の世界で、その仕組みを変えるなんてできないかもしれないけれど、一時、「わたしたちは、いっしょにスタァになる」という約束的なもの、子どもの頃の理想的なものを少しだけ取り戻して、第一話は終劇。

 胸熱でありました。なんか、これは2002年にずっと龍騎、龍騎言ってた(個人の歴史です)みたいな夏が始まる予感が、今してるんだぞう。

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→前日譚コミックス

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KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-06-27


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須賀貴匡
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2014-07-11


→次回:アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第二話「運命の舞台」の感想へ
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