「共同体」について。
・孤立でもイイ派
→これは、無理です。
ざっくりとは人間は一人では生きられないので。僕も実感を伴ってそう思うようになったのは、一人では生きられないようになった母親の介護をはじめてからです。
とはいえ、地域共同体とか会社共同体とか壊れてきていて久しいわけで、何とか色々作戦を考えていかないといけない段階だという話でした。
・家族
→僕はやはり普遍性はある派。
全てが自立化をうたった孤立化と相性がよい資本主義と新自由主義とで解体されていくなかで、共同体の最後の砦ですね。
僕は、守った方がよいと思っています。
で、なんで新自由主義とかスケールフリーを論じた書の中に、「家族」の項にかなりのページが使われているのかはじっくり考えてみて頂きたいところ。
とはいえ、従来型の血縁一辺倒の考え方では現状に対応していないのも事実なので、その辺りをどう再構築していくか、なのかと思います。
・趣味共同体
→イイ線はいってる気がする。
解体されていってる地縁や血縁のレイヤーの代替として、趣味の仲間のレイヤーが共同体の役割を果たすんじゃないかという方向。
僕もけっこう真面目に考えてますし、今でも上坂すみれさんの「革命的ブロードウェイ主義者同盟」みたいなのは、方向性としてイイ線いってる気がします。仲の良い革ブロ仲間だと、病気の時看病に来てくれる……くらいの現象までは、すでにあり得てそう。そのくらいになってくると、かなり家族共同体の補強レイヤー的な感じになってきます。
ロシア好き声優・上坂すみれ、東京五輪が近づき「オタク同士の交流を手伝いたいhttps://t.co/coZhYDp9tf
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) 2019年1月22日
2020年に東京オリンピックが開催されるにあたり、日本に対する世界の関心もさらに高まっていくことだろう。上坂は、どんなことを発信していきたいと考えているのだろうか? pic.twitter.com/wROqogt1kD
引き続き、考えていきたい方向です。
・友だち
このレイヤーが、意外と厚くしていくとイイんじゃないかと最近注目しております。
家族共同体とも趣味共同体とも、双方に立ち寄れて補強できるという、僕が好きな「境界領域」的なレイヤーだよなと最近思うようになったのです。
僕個人でも、病気の時は看病に行ってもイイよなくらいの友だちはけっこういますし、マジ頼みすれば介護が大変な時は手伝いに来てくれそうな友だちもおります。
いっしょに遊びに行くというような気楽なところから、病気の時のヘルプみたいな真面目なところまで、行き来できるくらいにこのレイヤーが育っていくと、世の中的には良いんじゃないかという気がしております。
そうなってくると、友だちはやはりSNSのフォロワー「数」とかではないのですね。ちょっと哲学的には、「数」のような客体的な存在に還元しきれない全体的な何か、という気がします。
参考:パッヘルベルの『Kanon』のように「繰り返し」ながら「受容」の「共同体」は波打つように少しずつ豊かになってゆく〜『小林さんちのメイドラゴン』第5話の感想
参考:2015年「アニメ作品」ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)
参考:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)