相羽です。

 新しい元号は、令和。

 今のところ、かなり良いなと思っております。

 日本としては久々のファインプレーでは。

 もうちょっと、経済とか、科学技術とか、働き方改革とかでファインプレーしてくれよ、とは思うのですが、こういう文化方面とかでファインプレーしちゃうのも不思議ちゃんという感じで、(海外から見た時の意味での)カワイイ感じでしょうか。

 良いと思うポイントは、何重にも「両義」なあり方になっている言葉である点。

 「両義」とは、ざっくりとは同時に存在すること。

 「令」に、「命令」のような意味と、「御令嬢」のような「良い、幸先が良い」みたいな意味が「両義」に存在している点がまず良く。

 そして、前者の意味になる時は、「令」の字が後ろに来ることが多く(「命令」「指令」)、後者の意味になるときは前にくることが多い(令息、令月)です。

 このような、語の順番などに関する概念を言語学でざっくりとは「syntacticな(統語的な)」観点と言い、「命令のような意味」か「幸先が良いみたいな意味」かというような話に関する観点をざっくりとは「semanticな(意味論的な)」観点と言います。

 (言葉に関する)人間の認知機能で、「syntacticな(統語的な)」部分と「semanticな(意味論的な)」部分とは分かれているのか、分かれてないのか?(というか要素還元主義的にとらえられるのか? みたいな話) は言語学の(というか心理学、脳科学、認知科学全般的に)一時期の重要な議論の一つですが、僕は「同時に存在している(「両義」である)」派だったので、「令和」の「統語論」と「意味論」が「両義」存在してる感じはとても良いと感じています。

 また、典拠に関しても、「万葉集」としながらも、「万葉集」の該当部分は中国由来の後漢の張衡の賦が(も)関係しているという「両義」性も良い感じだと思います。国粋主義的な志向性の人には「万葉集」! 日本! という感じで良い感じになりますし、同時に中国との交流の歴史もないがしろにするでなく、ほどよい距離感になっていると思います。

 ちょっと僕に中国の古典の教養がないので想像になりますが、これくらいハイコンテクストの「令和」を提示できる人(誰が考えたのかは明らかにされていないですが)なので、おそらく中国の人からみても、まんざらじゃない感じになっていると推測します。さらにおそらく、中国の人が見ても、(人によって)「両義」に映るようになってるんじゃないかと。

 元が他にあるからといっても、『仮面ライダーディケイド(感想)』を観ている僕たちは(え)、今更がっかりしたりしません(別に『Fate』とかでもイイんだけど)。「ニセモノだけどホンモノだ」というテクスト&コンテクストは、宇多田ヒカルの歌(「parody」)から平成仮面ライダーまで、参照しようと思えば参照できるくらいにもう日本に息づいているからです。

 「令」の字が、今PCで表示されてるように書いてもイイし、下のところをいわゆるカタカナの「マ」みたいに書いてもどっちでもイイよ、みたいな「両義」性も、しなやかさや大らかさが感じられて良いです。(これは、どちらかというと「多義」性に近いでしょうか)

 さらに「和」は「昭和」の「和」も意識していると思われますから、「古」の担当で、「令」は今まで元号に使われてなかった字ということで「新」担当。この「古」と「新」のような「両義」性も良いです。

 「昭和」の「和」という方向には、「昭和」の反省も含まれていると読みとったりもできそうです。これくらい良い感じの「令和」を出してくる人が、「令」に「命令」という言葉を連想しやすいという点に気づかないはずはおそらくなく、「和」は「令」の字のもう片方の意味と連動すると同調化圧力の強要のような、良くない事態にもなり得るという反省も感じたりします。しかし良い部分と良くない部分はたいてい「両義」なので、反省の中に、同時に「令(良い感じ)」の方のニュアンスの「和」を見出すこともできます。

 いくつか上げてきた「両義」性も、ストレートに読むと、春はイイなぁ、くらいの意味なので、同時に良い意味で全体としてはユニバーサル(普遍)です。中国の人にしろ、世界中のどこの人にしろ、穏やかな気候良いね! という感覚には、なかなか文句がつけづらいです。

 それでいて、梅の花も春も期間限定のものです。この「いずれ終わる」という感覚は、ざっくりとはそれこそ日本の「侘び寂び」に通じそうです。

 全体的に、単純化、殺ス、みたいな(え)元号なので、良い印象を持っています。

 「論理」における「排中律」=「XはAか非Aかのどちらかであって、Aでも非Aでもないことはあり得ない」をベースにした西欧とは、ちょっと違った方針でいくゾ、みたいな感じもあってカッコいいです。

 実は世界は、両義的だったり、スペクトグラム的だったり、多重存在的だったりするかもしれないので。

 個人的に、たとえば西洋哲学ではこの先にも絶対にドイツやフランスには勝てない(あちらに積み重ねがあるから)感覚を感じてるのですが、「物語」「和歌」「もののあはれ」などに関しては、今でも日本圧勝です。「和歌のもとの平等」を説くまでもなく、千年レベルで、民草レベルで積み重なっているから。どうせなら、得意な分野で勝負していった方がイイ気がしております。「令和」は、パラメータをこれからは得意な方、らしい方にふっていくヨ的な印象です。

 何となく、つらかったことも含めて平成にあったことは伏線だったのかという気がしてきております。

 平成のうちに出会った人と、たぶん令和で何かするのだろうという気がなんとなくしております。

 『ひぐらしのなく頃に』に例えると(え)ここからが「解答編」という気がしてきているのです。

 伏線を回収していったら、ハッピールートだった! という未来に進んでいきたいものなのでした。