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 相羽です。

 公開初日に観てきました、映画『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜(公式サイト)』の感想です。

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 本映画に加え、同京都アニメーション制作作品のうち、TVシリーズ『響け!ユーフォニアム(2)』・『小林さんちのメイドラゴン』のネタバレが本記事中には含まれます点をご注意ください。
(以下、ネタバレありです。)

 TVシリーズから続く要素として、「共同体」から(過去に)零れ落ちた人間というポジションで、準主役ともいえる久石奏さんが登場し、

 かなりの程度彼女にフォーカスが当たっている今回の『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』でありました。

 奏さんは、当ブログの、


参考:[5000ユニークアクセス超え人気記事]響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)


 の記事でいうところの麗奈的な「特別」(上昇志向で上を目指して「競争」を勝ち抜く)を目指して中学時代に頑張った結果、破綻に辿り着いてしまったというポジションの人間です。

 中学時代、上昇志向で頑張って頑張って、「金」には辿り着けたものの、奏さんを待っていたのは「共同体」(中学時代の吹奏楽部)からの排斥という破綻でした。

 あからさまにイジメられたとかではなさそうですが、「金」に辿り着いた時に、どうせ「金」になるなら奏じゃない上級生が出た方が良かったと囁かれたのを聞いた時、彼女の自己重要感は著しく傷つけられた、「居場所」がないと感じた……というのは想像にかたくない感じです。

 この「競争」世界の中で「共同体」から零れ落ちてしまった人……というのはTVシリーズ『響け!ユーフォニアム(2)』でもずっと焦点をあてて描いてきた部分で、キャラクターとしては


 希美さん。(中学時代に「競争」の前で敗北して「特別」性が剥奪され、2期序盤では「共同体」の外にいる。)

 あすか先輩。(進藤正和に関する「競争」の呪いと北宇治高校吹奏楽部という「共同体」のアンビバレントから、2期中盤で自ら「共同体」を離れようとする)

 滝先生の奥さん。(滝先生の「特別」であったけれど、もうこの世界にいない。)


 あたりが、特に今回の奏さんと重なります。

 その点で、今回の劇場版もTVシリーズからかなりの程度テーマを継承している、排斥者を出して同調化圧力でまとまるオールドタイプ(旧型)の「共同体」の呪いを解く物語であり、

 同時にオールドではなく、僕が感想で使ってた言葉では大曼荼羅的w新型「共同体」の試論を描いている作品であるともいえそうです。

 『響け!ユーフォニアム(2)』という作品が、というか最近の京都アニメーション作品が試論として描きだそうとしてる次の「共同体」の物語ってどういうものなのかという話は、

 当ブログのこちら↓


参考:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)


 の記事あたりに書いていたので、合わせて読んで頂けたら喜びます。

 「オールド」っていっても、リアルの方は学校にしろ会社にしろ何かのグループにしろ「共同体」はまだまだこんな感じでありそうですし、作中でもオールド「共同体」の呪いが払拭しきれていません。

 オールド「共同体」の呪い、同調化圧力による「同族殺し」、ある種の生贄に選ばれた経験がある奏さんというキャラクターにまつわる物語であるのが今回なわけなのですが。

 と、同時に、

 奏さん(零れ落ちた人間)の精神的自傷行為を久美子が止める話、でもあります。

 奏さんにはちょっと、タナトス(死)の雰囲気を感じる部分もあったりします。

 彼女がそっちに行ってしまうのを止める久美子の行為は、TVシリーズ『響け!ユーフォニアム(2)』でいう、あすか先輩の靴ひもを結ぶ中世古先輩のニュアンスもある感じです。↓


参考:この世界との縁がほどけてしまわないように〜響け!ユーフォニアム2第九回「ひびけ!ユーフォニアム」の感想(ネタバレ注意)


 まだ一回しか観てないので細かく気づけませんでしたが、今回の劇場版の中でも奏さんの「足」を印象的に描写している箇所などもあったりしたのかもしれません。

 TVシリーズでは、滝先生とあすか先輩が喪失の中で「外」に引かれてしまっている存在(これはタナトス(死)まで意識されるようになってると思います)で、印象的に「足」(=常世とのパス)が描写され、「靴ひもを結び直す」(=常世に繋ぎ留める)シーンが二人とも描かれていたりしたのでした。

 奏さんも、「外」に引かれかけていて(大袈裟にいえば)常世とのパスが途切れそうになってしまっているという、滝先生、あすか先輩ラインの物語上にいるキャラクターです。

 そんな奏さんの精神的自傷行為をどうやって止めるかは、イベントとしては二つ描かれていたと思います。

 一つ目は、中盤の鈴木美玲(すずきみれい)さんと鈴木さつきさんのイベント。

 これが、さつきさん(と葉月)に関する美玲さんの葛藤を解く物語でありつつも、同時に介入している奏さんの心理が少し変化するきっかけのイベントにもなっていた感じです。

 近年の京都アニメーションが描いている、「競争」志向と「共同体」志向の相克(アンビバレント)、でも、その二つを「両義」(ざっくりとは同時に成立)にはしていけないだろうかというテーマ。

 中学時代の奏さんの破綻は、奏さんは「競争」志向で頑張ってみたけど、「共同体」志向の負の側面(同調化圧力)で傷ついた、みたいな感じです。

 近年の物語作品には、京都アニメーション作品に限らず、「競争」志向と「共同体」志向の相克を扱い、その二つの両義・調和の可能性を模索していくという作品がけっこうあるという話は、「ねざめ堂」さんのこちらの記事が分かりやすいので読んでみて頂けたらと思います。

 「競争」志向と「共同体」志向って、そもそもデフォルトでは矛盾(アンビバレント)するものだったの!? くらいの段階(といっては失礼ですが!)の方には是非とも読んで頂きたい記事です。↓


参考:『3月のライオン』(アニメ版)感想 А峩チ茵廚函峩ζ餌痢廚離丱薀鵐好押璽燹燭佑兇疇


 ざっくりとは「競争」の中での上昇志向の世界観の美玲さんは、「共同体」志向の(にみえる)さつきさんと葉月に違和感を覚えてる……というこの中盤のイベント。

 奏さんはいちおう表層的には上昇志向的に生きてきた人なので、美玲さんの肩を持つようなことを言います。

 なのですが、美玲は悪くないと囁きつつ、美玲さんの上昇志向をたたえる奏さんの言葉は、当の奏さんは上昇志向で破滅に辿り着いた人なわけですから、自分自身が負ってる傷の確認のような感じになっています。

 あなたは、美玲は正しい、そして過去の私(奏)のように破滅する、それがこのくだらない世界! だとでも言いたげな自傷的な含意がある言葉浴びせwのシーンです。

 奏が発する言葉は奏自身を傷つけている。自傷。傷を何度も確認してる。優れた者が頑張っても報われない、それが世界だと執拗に自分で確認してるようなニュアンスがあります。

 ついには、久美子に、美玲(「競争」志向)とさつき(「共同体」志向)のどちらが好きか選べ(二項対立の「競争」的な世界観)と迫るのですが、

 それに対する久美子の解答が、


 両方。


 一緒にいる時間が長い(「共同体」志向的)さつきさんに好感を感じる部分もあるけれど、短い時間でしっかりトレーニングして結果に繋げる(「競争」で勝てる側的)美玲さんが素晴らしいとも捉えられる。

 「見え方」によって変わり得る。二項対立ではない。「両義」を模索する、という答え。

 奏さんにそれはずるいと糾弾されても、久美子はこの時点ではもう怯まない。

 TVシリーズで、「競争」と「共同体」の狭間でズタズタになりかけてたあすか先輩の物語を既に経験済みだから。両方が「両義」的にある(あり得る)のが人間であると、久美子は知っている。

 この出来事は、少し「先」の風景を知ってる久美子を前に、奏さんが少し変わりはじめる中盤のイベントになっています。

 久美子の存在に揺さぶられながら、その後も奏さんは執拗に(精神的)自傷を続けようとします。

 去年の北宇治にあった中世古先輩と麗奈のオーディションの時のことを聞きたがります。

 麗奈(「競争」の世界観では実力が上)が選ばれた去年の北宇治、でも、快く思ってなかった部員の方が多かったんじゃないか(「共同体」志向の負の側面としての同調化圧力があったんじゃないか)? 執拗に、自分が受けた傷がここでも生まれていたはずだと、やっぱり世界は醜いのだと確認するように。(精神的)自傷を続けます。同調化圧力で優れた人間の実存を排斥する醜い世界なのら〜。とでも言わんばかりに。

 奏さんはまだ、卒業の時に中世古先輩を想ってトランペットを吹いた麗奈……という世界があり得ることにこの時点では目が向かないのです。


参考:響け!ユーフォニアム2最終回の感想〜全てに終わりがあるとしてもゆかりにまつわる音楽を響かせること(ネタバレ注意)


 自分自身が被った犠牲を、同じシチェーションで被らなかった人がいるなんて、許せないとでもいうように。

 ここから、本命のイベントその二です。

 夏紀先輩の存在がトリガーとなって、奏さんが自棄に出るという展開が描かれます。

 奏さんにはまだ、夏紀先輩が「共同体」志向、同調化圧力よりの人に見えている。

 そんな夏紀先輩が、奏さんを自分より優れた奏者だと認めた上で演奏について真摯に聞いてくるのが許せない。夏紀先輩が持つ大らかさ、三つ目の「特別」のカタチが、奏さんには受け入れられない。それがあったなら、自分は破綻しないで済んだ類のものだから。

 奏さんはオーディションでわざと自分の本来の実力以下に下手に吹いて、夏紀先輩に席を譲るという、自棄に出ます。世界はやっぱり醜いということを確認するように。優れた人間の本気は同調化圧力につぶされるのが、私が経験した醜い世界だとでも、自傷して安心せんとでもするかのように。

 ここで自棄にいたり、この北宇治高校吹奏楽部という「共同体」から自分もいなくなって、醜い世界が確認されて終わりにせんとでもするかのように。

 クライマックス。奏を(精神的な)自傷の世界から連れ出すのは、久美子と夏紀先輩。

 久美子はいう。うまくいかなくて当たり前。一生懸命やっても報われないこともある。むしろそんなことばかり。だと。

 それでも、奏は頑張ってきたから(ユーフォニアムが)上手いんでしょ、と。

 過去に「共同体」から零れ落ちた結末になったけれど、ユーフォニアムの技術は裏切らない。今の自分を照らしてくれる。

 故人である滝先生の奥さんがストーリーのコアに関わってる関係で「慰霊」の要素もある作品なのですが、劇中の様々な「共同体」がバラバラになってしまった時期を考慮すると、リアルの方の震災も意識されるという話もずっと書いていましたが。(『響け!ユーフォニアム』に限らず、この時期の作品は程度の差はあれ震災を意識したものが多いです。京都アニメーション作品だと、『たまこまーけっと』のシャッターが閉まった商店街のシーンなど。)

 なので、震災で「共同体」がバラバラになってしまっても、個人が身につけていた技能までは奪われない、みたいな話とも個人的には感じました。

 これは、TVシリーズ十二話で久美子が辿り着いた、麗奈の「特別」とはまた違う久美子の「特別」です。


参考:響け!ユーフォニアム/感想/第十二回「わたしのユーフォニアム」(ネタバレ注意)


 そして、奏さんが全力を出し切った結果また同調化圧力のような力学が奏さんを襲うことがあったとしても、久美子と夏紀先輩だけは奏さんを守る、という。

 同調化圧力がある世界であること自体は否定しない。実際、1期のオーディションの時、麗奈に最初に拍手を送ったのは久美子だけだったのだから。

 それでも、奏さんを守るという。

 (麗奈的な)「特別」から零れ落ちた人間を守るという「特別」がある。こっちは、夏紀先輩の「特別」です。葉月が零れ落ちた時に抱きしめたのが夏紀先輩であり。↓


参考:響け!ユーフォニアム番外編「かけだすモナカ」の感想〜椅子に座れなかった存在への抱擁(ネタバレ注意)


 優子さんが零れ落ちた時に支えるのも、夏紀先輩だったのでした。↓


参考:響け!ユーフォニアム2感想/第四回「めざめるオーボエ」(ネタバレ注意)


 願い、本命を追っても報われることなく、「共同体」から零れ落ちてしまった人間の側に寄り添う、という「特別」がある。

 ここで(たぶん)初めて、本当の意味での奏さんの「居場所」ができる。

 久美子と夏紀先輩は三人のポニーテールのうちの二人。奏さんがかつて捕われた麗奈的な意味での「特別」ではない違うカタチの「特別」を持つ二人です。

 麗奈的な「特別」だけでは欠けてしまい、自棄にいたってしまうしかなかったような奏さんのシントムを、久美子と夏紀先輩という違うカタチの「特別」が補う。

 世界は、「特別」が一つじゃないからこそしなやかで優しくたり得る。

 ここはまったくの私見になりますが、

 久美子も夏紀先輩も「競争」的な世界観では勝利することはできなかったし、おそらくこの後も勝ち抜くことはない(麗奈のようにプロは目指さないであろうし、目指してもなれない)側の人間です。

 だとしても、ここで奏さんの魂ひとつ救えたなら、やはり彼女たちも「特別」なのではないだろうか。

 と。

 ユーフォニアムパートは久美子、奏さん、夏紀先輩の三人で本番の関西大会に突入。

 久美子が髪をポニーテールにまとめるところがめちゃめちゃカッコいいです。勝利するではないかもしれない。でも一生懸命であることを諦めない。そして奏さんのような人間を尊重する。という彼女なりの「特別」の記号。

 そして、劇的な敗北エンド。全国大会出場ならず。どんなに頑張っても、ダメだった。「競争」を勝ち抜くことはできなかった。

 しかし、「勝利」できなかったとして、全ては無意味だったのか?

 ラストの敗戦後の描写が美しく、全力を出し切って「競争」の世界で敗れたものの、「残ったもの」がある、という描き方をしています。

 月永求(つきながもとむ)くんが笑ってる。

 夏紀先輩が優子先輩を優しい目で見ている。

 奏さんが、久美子――大事な「共同体」を手にしている。

 絵で、音で、アニメーションで、無意味ではなかった(と信じたい)風景を映していきます。

 終劇のシーン。

 奏さんはやっぱり現世に残ることにした死にかけていた自傷行為者みたいなポジションで、年度が変わっても(輪廻しても)吹奏楽部の部室(=彼女が手にした「共同体」)を訪れるシーンで映画は終わってる。

 常世の絆(ほだし)が切れなかった奏さんが訪れたその場所では、部長になった久美子が待っている。

 三年次、久美子の最終章がはじまる……という感じで幕となる映画でありました。

 久石奏の救済という一本の芯を通した物語として完結していながら、まだ昇華されきっていない大きい物語の芯のようなものが残っており、「続き」がかなり意識される終わり方でもあると思いました。

 具体的には、当の主人公の久美子自身の(物語上の、そして彼女というキャラクターの内面の)シントムは今回の劇場版終幕時点でも欠けたまま、という印象を受けていたりします。

 秀一との関係のくだりなんかは、分かりやすい(ストーリー上の二人の関係としても、作品としても)「先送り」的な展開にとどまっており、最終的に久美子と秀一の物語がどう閉じるのかは、まだ「先の物語」のような感じ。

 秀一、TVシリーズ『響け!ユーフォニアム2』で、久美子の姉の麻美子の「代役」として振る舞ってきたキャラクターだというのは、こちらの記事などで書いておりました。↓


参考:まだ生きている大事な人にちゃんと想いを伝えておくこと〜響け!ユーフォニアム2第十二回「さいごのコンクール」の感想(ネタバレ注意)


 「代役」がある種の「ホンモノ性」を獲得する物語として帰結させるなら、久美子と秀一が「家族」になるエンドが個人的には一番しっくりくると思ってたりですが。

 今回の劇場版で一旦の離別が示唆されてる麗奈(プロを目指して麗奈の生き方を続ければ、いつか久美子とお別れになるかもしれないみたいな話をしている)に比して、久美子と麗奈の結末を分けるなら、久美子はわりと「普通」の秀一という人間と一緒にいることを選ぶというのがしっくりきたりすると思うのですが。

 先行で原作小説『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章』を読んでる人は、そろそろこの辺りの結末分かっちゃうんですよね。わほーい。

 最後はプラスアルファ的な話ですが、

 メインは久石奏さんでしたが、サブ「共同体」から零れ落ちた人たち……もけっこう描かれていて、たとえば求くん。

 踏み込んで明示的に描写はされていませんでしたが、おそらく「家族」「共同体」で上手くいってないというキャラクターなのですよね。

 求くんから感じられる「家族」の物語は、「家族」から離れていこうとするような志向性で、これはTVシリーズ2期の麻美子と重なります。

 なので、求くんが抱えているものの解決には久美子が関係しても良さそうなものなのですが、今回の劇場版では求くんに関しては緑輝ちゃん無双でわりと何とかなってるというのはけっこう面白かったですw

 求くんが吹奏楽ガチ勢ゆえにお父さんと上手くいってないのかな? という流れなので、同じガチ勢でかつ実力者の緑輝さんに惹かれる、「居場所」ができる……というのはストーリーとしてよくできてるのですよね。

 家族「共同体」の趣味「共同体」による代替みたいな話なので、次の「共同体」の試論を描いている京都アニメーション文脈的にはTVシリーズ『響け!ユーフォニアム(2)』の後に『小林さんちのメイドラゴン』を挟んでいるのが無視できない感じです。↓


参考:パッヘルベルの『Kanon』のように「繰り返し」ながら「受容」の「共同体」は波打つように少しずつ豊かになってゆく〜『小林さんちのメイドラゴン』第5話の感想


 一度一つの「共同体」から零れ落ちても別の「共同体」でしなやかに代替していける「大共同体」、みたいなのが意識されてる感じ。

 奏に絞って感想を書いたので大きくはふれませんでしたが、もう一人フォーカスが当たってる加部先輩などのストーリーもこの文脈ですね。

 奏者としては北宇治「共同体」にいられなくなったのだけど、サポーターとして「共同体」と関係を続けるという道があり得る。その「可能性」に開けていることが、オールドじゃない、京都アニメーションが試論を試みてる次の「共同体」なのでしょうね。

 なので、あすか先輩、香織先輩、晴香先輩がふらっとやってくるシーンがあったのはとても良かったです。

 希美にしろ、麻美子にしろ、滝先生の奥さんにしろ、一度「共同体」の「外」へ行ったとしてもそれで全てが終わりなわけではなく、「外」と「内」とはしなやかに関係し合ってる……状態を(目指していきたい方向として)描いてきた作品だったので、TVシリーズラストで「外」へと向かって行ったあすか先輩がさらっとやってくる(戻ってくる)というのは熱かったです。

 コンクールという「競争」の場に、北宇治高校吹奏楽部は「共同体」的なものを捨て去って個人の克己や上昇志向だけで挑んでいるのではなく、何らかの「大共同体」的な次の「力」も伴いながらのぞんでいるのが伺えるワンシーンです。

 相互貫入し合う、大曼荼羅的w「次の」「共同体」への架け橋的、過渡期が描かれている作品でありました。

 試論とか過渡期と言いつつ、虚構である『響け!ユーフォニアム』はだいぶ先行している方で、リアルの方は試論の試論、過渡期の過渡期くらいの段階かと思います。

 「同調化圧力」で生贄的に誰かを攻撃することで全体を保とうとするとか、一旦「共同体」の「外」に出たら個人(アトム)と化して全てから分断されてそのまま孤独になるとか、まだまだそういうのあるあるなリアルだったりですからね。

 『響け!ユーフォニアム』シリーズや京都アニメーション作品が描いてるのは、「代案」的なものです。

 十中八九、「続き」があるだろうと個人的には確信しております(いや、興行とか売上とかもろもろ関係してくるのだと思いますが、物語の射程としては)。最後に描かれる風景を楽しみに、今は過渡期を共に生きていこうと思ったりするのでした。

→原作小説最終楽章



→サウンドトラック



→前回:リズと青い鳥の感想〜伝わらないまま美しい時間を生きる(ネタバレ注意)へ

【関連リンク0:「共同体」にまつわる話が多かったと感じるTVシリーズ『響け!ユーフォニアム』第1期がやっていた2015年のアニメ作品ベスト記事】

2015年「アニメ作品」ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)


【関連リンク1:京都アニメーション作品の映画感想記事】

指輪を二回渡す意味〜映画中二病でも恋がしたい!-Take On Me-の感想(ネタバレ注意)


【関連リンク2:京都アニメーションがこの十年どういうテーマで作品を繋いできたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事】

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想へ
『小林さんちのメイドラゴン』の感想へ
『響け!ユーフォニアム2』の感想へ
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【関連リンク3:(特に東日本大震災以降)「共同体を再構築してゆく物語」を日本アニメーションがどう描いてきたかに興味がある方向けの手引きとなる、当ブログの関連記事(主に吉田玲子さんが脚本・シリーズ構成を担当していたもの)

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【関連リンク4:京都アニメーション作品の2016年までの"テーマ的な"連動・変奏の過程がよく分かる『ねざめ堂』さんの記事】

『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(前編)/ねざめ堂
『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点(後編)