コレは凄い。伏線の明かし方、繋げ方、テーマの連続性、それらを組み立てる構成力、そういうものが物語の美しさを生むと思ってる僕のような視聴者からすると、今回は珠玉の一話でした。
 主にデュランダル議長とアスランとの対話を通して、前作SEEDで描かれたテーマを総確認しています。DESTINYが前作SEEDとテーマ的に連続しているんだと強力にアピール。前作のテーマを総確認した上で、今作は、そこから先を描く。いちいち前作の演出、台詞に重ねるその魅せ方が、まったく美しいことこの上ないです。

 ざっと挙げるだけで、

 1.他人やカテゴリーに依存するのではなく、自分の脚で立て
 2.個人が動き出さなければ何も変わらない
 3.それでも世界を変えるということは容易ではない
 4.想いだけでも力だけでもダメ
 5.復讐の連鎖を続けているだけではいけない

 といった前作SEEDでのテーマが、議長とアスランの対話を通して確認されていました。

 1.他人やカテゴリーに依存するのではなく、自分の脚で立て

 前作SEEDの一大テーマ。アスラン物語で言えば、ラクス曰く「ザフトのアスラン・ザラ」と、ザフトというカテゴリー、父という他人の考えに依存して戦争に参加していたアスランが、自分で考えて第三勢力として非戦を目指して闘うことを選ぶまでの物語。

 今話で示唆されている場面としては、デュランダル議長が、ユニウスセブン落としの犯人グループは「自分達は間違っていない、何故ならザラ議長もそう言っていただろう、とね」と、自分の行動を「誰々が言っていたから〜」、「〜という思想カテゴリーではこうだから〜」と「〜だから」で括って価値判断している点を指摘している場面。それと関係している前作の場面としては、戦争だから、自分はザフトだからしょうがなかった〜という「〜だから」思考に陥っていたアスランにラクスが最後通告を出す、36話の劇場でのラクスとアスランの対話の場面など。

 2.個人が動き出さなければ何も変わらない

 1のように依存を脱却した上で、個人が動き出さなければ何も変わらない。

 前作SEED放映時末期の福田監督インタビューで監督が「SEEDの最終回は、殱滅(せんめつ)戦へ行き着こうとする流れをくい止められるのは組織よりも個人の力、という帰結にした」と述べている部分があります。またその言葉をひもといた監督の言葉が媒体は忘れたんですがあって、要するにキラ(とラクス)という個人がまずは行動を起こした、そこが大事だという描き方をしたんだということを仰っておりました。僕が前作SEED最重要話としつこく言っている34話ですね。その辺りはラストエピソード「星のはざまで」でも、「でもキラが 泣いていたのに それでも戻ると言ったので」(ラクス)と、34話のキラが動き出すシーンに回帰してSEEDを締めくくっていることからも分かると思います。

 そして、そんな前作のテーマを確認するかのような、議長の

 「一人一人のそういう気持ちが必ずや世界を救う 夢想家と思われるかもしれないが、私はそう信じているよ」

 の台詞……テーマが有機的に繋がっています。

 3.それでも世界を変えるということは容易ではない

 これも前作ラスト感想からずっと言ってるのですが、前作のラストは、1、2の流れで主人公達が個人として行動を起こしたんだけど、大局的に(ナチュラルとコーディネーターが憎み合い、復讐の連鎖を重ねて滅びへと向っていくという)世界そのものは変えることができなかったというラストなのだと思うのですよ。頑張ってみたんだけど、結局何もできなかったラスト。いまいちカタルシスが薄いのはそのため。その辺りが今回のアスランの

 「間違いと気付いても何一つ止められず 全てを失って……」

 の台詞ににじみ出ていたと思いますし、冒頭の核の光にクルーゼの顔を幻視するキラという描写にも、やっぱりクルーゼの方が正しかったのか、自分達は何一つできなかったのか……というしょんぼりした気持ちが漂っていたと思います。
 逆に言えばそこから奮起して再び行動を開始する本作の、そこが燃えな部分なワケですが。

 4.想いだけでも力だけでもダメ

 コレも前作からの一大テーマ、前作で示唆された場面はまんまの台詞をラクスがキラに伝える34話のシーン。そして今回繋がってる感を演出している議長の台詞は、

 「できることなら戦争は避けたい、だがだからと言って銃も取らずに一方的に滅ぼされるわけにも行かない そんなときのために君にも力のある存在で居て欲しいのだよ 私は」

 辺りでしょうか、やはり、繋がっています。

 5.復讐の連鎖を続けているだけではいけない

 さらにはコレも前作からの一大テーマ。前作で明示的に示されたのは、31話のカガリとアスランの対話のシーン。そして、今回その辺りを確認する意味合いで出されたのがアスランの

 「怒りと憎しみだけで、ただ撃ち合ってしまったら駄目なんです!」

 の台詞と、それに繋がる一連の回想シーン。あるいはさらに議長の、

 「我々がコレに報復で応じれば世界はまたどろ沼の戦場になりかねない」

 の台詞など……本当、総復習ですな。

◇そしてテーマを総復習した上で、いよいよアスランの決断

 ラストのきっかけがミーアであり、そこにまたアスラン戦線復帰伏線が最初に示された議長の「名はその存在を示すものだ ならばもしソレが偽りだったとしたら それはその存在そのものも偽りだと言うことになるのかな?」がかかってくるのが熱い。名は偽りでも平和のために何かがしたいというミーアと、アレックスでもアスランでも名前はいいから何かがしたいというアスランの本心が重なります。窓の外を見やるアスランにセイバーの幻視という絵にEDテーマを重ねながらのエンディング。ついに、決意は決まったようですよ?

◇ミーア・キャンベル

 ラクスII改め、ミーア・キャンベル。クローンではなく、声が似ているそっくりさんということが判明です。ラクスみたいな鬼の知性はなくとも、普通にイイ娘っぽいです。

 コレ、ターンエーガンダムのディアナ−キエルの入れ替わり劇で描いたテーマをもう一度見せて欲しいなぁ。入れ替わり劇の最高峰、つーかアレを超える入れ替わり劇なんてちょっと思いつかないんで。色々既ガンダムのオマージュを入れたりするSEEDだから、やってくれてもいいんじゃないでしょうか。すなわち、入れ替わるためには、相手の内面をエンパシーと想像力を働かせて想像しなければならないということ、そしてそのような相手の内面を想像する行為こそが相手との相互理解を導くということ、異なる者同士の相互不理解が争いを呼んでいるのだとしたら、そういった他者共感感情にこそ救いがあるのではないのか……といったテーマと帰結です。今回既にミーアが色々と本物のラクスのことを知りたがってる描写とか、仕込みは十分だと思うんですが。

 その路線で行くと後半にラクスの見せ場が来てファンとしては大満足なんですが。ターンエーも、入れ替わり劇で引っ張りに引っ張りつつ、本物のディアナが帰還してくる所がクライマックスだったと思うし。入れ替わり劇で引っ張れば引っ張るほど、その分本物が行動を起こした時の燃え度が上がります。ラクスにはそういうのが似合う。自分の偽者が台頭という展開だと、本物の方がアイデンティティロストしてしまって苦しむ……なんて展開がありがちですが、ラクスにはそういうの似合わない、っていうかそんなのあるワケないんで。ラクスは相変わらずのラクスポジションにいて欲しいものです。

◇今週の和み会話

 (ミーアの映像をアスランに見せながら)

 「笑ってくれても構わんよ キミには無論分かるだろう?」(デュランダル)

 いや、前回のラストとか、結構怪しかったから。「ラクス?」とかアスラン普通に疑問形で言ってたから。

◇なんか

 今回でDESTINYのテーマがちょっとだけ見えてきた気がしましたよ。前作のテーマが「個人の力」だったとしたら、今回は「関係性の連鎖の力」なのではないだろうか。

 「3.それでも世界を変えるということは容易ではない」で書いたように、個人で動きだしても世界の方はとんと変えることができなかったんですが、その一方で個人間の関係性のレベルではフレイとキラが種族の壁を越えて和解して愛を築けたりと(結局伝えられなかったけど)救いが描かれていました。

 そう思うと、今回のデュランダル議長がセイバーをアスランに託すシーンが、一貫して台詞演出、視覚演出を前作でラクスがフリーダムをキラに託すシーンとシンクロさせていたのが気になります。

 「思いを同じくする人には共に立って欲しいのだ」

 前作の最ポジティブシーン、

 「君は誰?」

 「私はラクス・クラインですわ キラ・ヤマト」

 がリフレインされます。一個人として立ちながらも、二人の間には関係性がある。

 あの時はキラとラクスという一つの関係性だけが始めた小さな戦いでしかなかったのですが、そこから始まった関係性の連鎖が今、同じ形で再びアスランを一つのsaviorの前に立たせている。こうして今度はアスランとデュランダル議長という関係性の間からまた何かが始まって、関係性は関係性を呼び、何かが前へと進んでいく。その先にあるものが非戦と平和であったなら、そんな願い。
 そうやって考えると、コレから描かれるであろう全ての登場人物達の関係性描写、そして、その間を埋めるにあたっての障害となる「発せられた言葉がそれを聞く人にそのまま届くとは限らない 受け取る側もまた自分なりに勝手に受け取るものだからね」といった対話理解の齟齬という課題、そういったモノが全て意味あるものに思えてくるんですけどね。

 この辺りの僕の感じ方は、「キーワードは「個人」ではなく「二人」と感じた」というケイタロウさんの感じ方に似ています。

 いずれにしろ、このフリーダム時:セイバー時の対比が一つのポイントなのは確かかと、

 前作:「キラの願いに、行きたいと望む場所に、これは不要ですか?」

 今回:「だが君にできること、君が望むこと、それは君自身が一番よく知っているはずだ」

 この言い回しは「行動開始」の記号なのでしょう。

 そんな感じで次回、サブタイ「選びし道」でヤバイ燃え度になりそう。いよいよセイバーガンダムに搭乗でしょうか。というか、本当にセイバー搭乗が第一クール一番のヤマになるとは思わなんだ。最高の第一クールですわ。

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