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◇大学時代

 19の時に重い精神疾患を患い、散々難儀する。

 この頃の描写は悲惨極まりないので、省略。

 あの時僕が死んでしまった可能性は、今こうして生きている可能性と同じくらいにあったのではないかと思う。

 本格的に病状が悪化して回りに迷惑をかける前に、自分は死ぬべきなんじゃないだろうかとか、そんなことばかり考えていた。

 しかし、結果として僕は今こうして生きている。

 後に考えるに、要因は3つ。

1.創作作品の持つ癒し

 3の解決方法に辿り着く前に、この要因に随分と助けられた。シャレじゃなく、優れた作品というのは人を救い得るのだということを知った。具体的には宇多田ヒカル。僕が今でもちょっと偏狭なまでに宇多田に思い入れがあるのは、この時の経験が大きい。他のどの歌い手の曲を試してもダメで、宇多田だけが残った。あんまり言うと宗教じみてくるから言わないけど、多分、本当に宇多田の声には天から与えられた何かがあるんじゃないかと思う。あの歌、あの言葉を聞いてる時だけは落ち着くことができ、それこそ一日中聴き続け、オフィシャルサイトの本人メッセ欄の過去ログを読み続けたということをやった。合理的な説明はつけられないが、あの時の病んだ僕の心には他の歌い手の曲は届かず、宇多田のだけが届いた。不思議なのだけど、当時の僕としてはありがたい不思議だった。

2.家族と友人の支え

 家族の精神的な支えがなければ、まあまず間違いなく死んでいたと思う。なんで、僕が今生きてるのは家族のおかげなんで、今もこれから先も、家族が困ってる時は全力で助ける。この恩義だけは、僕は一生忘れない。

 熱いのは友人の支えだろうか。どうしようもなくなって病院に運ばれていく僕に、当時の先輩がかけた言葉なんか今にして思うと熱い。

卒論の提出期限間近でせっぱ詰まってた状態の先輩:

 「卒論?アホか、卒論より人の命の方が大事に決まってるやろ」

医学部でもなんでもない先輩:

 「大丈夫や、例え心臓が止まったりしてもオレがなんとかしたるから」

 また、あの一番大変だった夜に、京極堂ばりの話力で一晩中話につき合ってくれたMネコさんにSバラくん、もの言わず宿を提供して自分は寝袋で寝てくれたKヤマくんの善意も忘れない。僕は今でもイッパイイッパイな生活を送っているが、それでも本当に困った時は声をかけて欲しい。あの時の恩は必ず返す。

3.精神医学の力

 決定的に僕が生き残った要因はコレ。具体的に言えば、体に合う薬が見つかったこと。服用三日目くらいにして、ぐっと負荷が軽くなった時のあの感動を僕は忘れない。人の心を助けるために精神医学の研究者や現場の医師が重ねた努力の時間、薬を開発する人達が重ねた克己の時間、そういった連綿と続いてきた時間が巡り巡って僕を助けてくれた、その時間の重ね方に僕は感動した。

 その感動から、二つ、目的を見出すに至る。

一、僕も人の心を守る仕事がしたい。

 さいわい、人の心にとってクルーシャルな言語というものを専門に勉強していた。高齢化社会の到来と共に増えるであろう言語の破損。そういったものから人を守るための研究が、自分にならできるかもしれない。研究者になろう。

二、自分も重なっていく時間の中の一時を担いたい。

 連綿と続いてきて、これからも続いていくであろう人の心を守るための時間の流れの中に、自分自身をも位置づけたい。その証しとして、本を書いて残そう。

 この辺りの動機が、僕という人間の行動原理になっていると思う。

 目的を見出した後はひたすら行動した。薬を片手に、本をもう片方の手に、ひたすら前へ。

 いずれ、人と人との繋がりが僕の目的を果たすにあたっても力になる。そう思って最初のホームページを開いたのも、この頃だ。

 <つづく>