
「好きです 好きです 先生」(明日菜)
第01話の、この二つの言葉&場面が、物語終盤の最クライマックスでリフレインに使われる部分じゃないかと思いました。
まだ第1巻では生徒キャラとネギの間に絆が無い状態なのが新鮮でした。これでよく現在連載中の、がっちり絆が出来上がった状態になるまでを違和感なく描いてきたなと赤松先生の手腕に感心。
主に日常パートで関係性のとっかかり作りと生徒キャラの掘り下げ、続く大きい話パート(主にバトル話パート)でその関係性のさらなる掘り下げ&キャラを掘り下げられてた生徒の活躍(による読者のカタルシス)、ネギの成長、生徒キャラとの絆の深化を描いています。第1巻でも序盤では数多くいるヒロインの中からのどかが掘り下げキャラの一人に選ばれて、前半の日常パートでネギとの関係性のとっかかり&のどかの性格描写が行われ、後半の大きい話(ドッジボール篇)でのどかがルールブック活用で活躍という流れで構成されてます。この計算されて作られてる感じが凄く好きです。
そう思うと現在連載中部分で始まった大きい話パートである格闘大会パート(これ、赤松先生サイトの日記で『バキ』が好きだって書いてたから『バキ』の最大トーナメントを意識してるんじゃないかなんて思うんですが)も、始まるまでに文化祭内日常パートで、新キャラの関係性とっかかりイベントや、規キャラのネギとの関係性変化イベントがじっくりタメとして描写されていました。途中に入った龍宮エピソードとかモロにこの大会イベントで何かしら龍宮を活用するためのタメだろうし、夕映がネギへの恋心を意識し始めるエピソード&小太郎と表面的に衝突するエピソードを入れたのも、この格闘大会パートにて夕映−ネギ間or夕映−小太郎間での関係性の変化or深化イベントを描くためのタメでしょう。本当よく作られてるなと感心しっぱなしっきりです。
でもってそんなよく考えて作ってる感を微塵も一般読者には感じさせないように赤松先生自身は作品の裏に隠れてるのがカッコいい。一般読者には普通に少年漫画ノリエンターテイメントやキャラ萌えエンターテイメントで楽しんで貰えるように熟慮されています。この前の「萌え萌えジャパン」に掲載されていたインタビューで語っておられた、赤松先生の、
「実際の社会ってつらいことが多いでしょう。特に現代はあまりいいニュースも少ないじゃないですか。だから漫画の中ぐらいは絶対に嫌なことが起きなくてもいいんじゃないでしょうか。出てくる女の子はかわいくて、みんな主人公が好きで。読者には現実で苦労したぶん、そこで楽しんでもらう」
を思い出しました。こうやって『「楽しさ」を提供し続ける』というのも大げさに言えば信念です。やはり、僕的には赤松先生はカッコいい漫画家なのでありました。

魔法先生ネギま! 1 (1)

魔法先生ネギま! 1時間目 ~お子ちゃま先生は魔法使い!~優等生版

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あいば様のこのままの「ランゲージダイアリー」が好きな私です。これからも応援しております。
「ネギま!」ですが、そもそもラブコメ関係の作品が喰わず嫌い的苦手だった私が、試しに読んでみようとチャレンジして出逢ったのがキッカケです。その後、私がどうなったのかはご存知かと思いますが…。
実際にここまで正確な計算を用意して連載に挑み、何年もかけてその計算を終了させていくこの伏線力は異常だと思っています。「第1話でネギが一番最初にクラスを覗くシーンで見せたクラスメイトの姿が彼女らの性格を表している。」と赤松先生が仰っている通り、そのままのキャラが何十話にも渡って維持されていると言うのは本当に感服させられています。これでも最近、赤松先生は「いやぁ、キャラが変わってきちゃったな〜」など仰られています。ここまで正確でもまだ納得していない部分を残しているという不完全さを微妙に残しつつ展開させているのは、それこそ職人技ではないでしょうか…。
「楽しさの追求」としてこの作品が抱出来ているのなら、私は見事にこの作品の支持者ですし、助けてもらっている者でもあります。
その上、先生自身もアニメに声優として登場なさったり、声優さんたちとウハウハしているので、自身もかなり楽しんでいるようです。
「楽しさの提供=自身の楽しさ」をモットーに。
さすがですね、赤松先生。