「ならば私が変える 全てを 戻れぬというのなら初めから正しい道を」(デュランダル議長)

 タイトル「DESTINY(運命)」絡みのテーマ軸が十八番の対比構造を用いてついに描写された感じ。

 最初の対比は、

 「運命を受け入れる諦観者」−「運命に抗う者」

 で、前者がクルーゼです。
 クルーゼ、

 「私のではない、これが人の夢、人の望み、人の業」

 「私は結果だよ、だから知る、自ら育てた闇に喰われて人は滅ぶと!」

 と、最終戦では私個人が自立的に世界を滅ぼしたいワケじゃないんです、勝手に滅ぶようになってるんです、それが運命なんです的な発言を繰り返していました。人が滅ぶのも自業自得で、いわば運命なんです。諦めましょう。このように世界が滅ぶという結末を諦観して受け入れていたのがクルーゼ。

 で、当然それに対比されるのが諦められず、ラストに「それでも守りたい世界があるんだ!」と叫んだキラ。

 そして及び、一番上の引用の台詞や、

 「だがキミとて望んで生きたのだ、まるで何かに抗うかのように」(デュランダル議長)

 といった、実は諦観じゃなくてクルーゼも運命に抗ってたんじゃないの?とクルーゼの諦観に意を唱えるようなことを言っている議長自身。

 何とここに、あらかじめ決まってるからしょうがないとする諦観的運命観に関しては、議長もキラも反発してる点でクルーゼの対岸に位置づけられることに。

 クルーゼ−キラ・議長

 ですよ。

 ところが、当然のように諦観的な運命観に反発してる点では議長とキラは同じでも、議長とキラでは反発のアプローチが全く違うので、反諦観的運命観カテゴリーの中でも、さらに議長−キラで対立が。

 その対立は、

 個人的反発−超巨視的反発

 といった対立であるとこれまでの描写から考えられます。

 繰り返しになりますが、

 「ならば私が変える 全てを 戻れぬというのなら初めから正しい道を」(デュランダル議長)

 と言ってることから(特に「全てを」と言ってる点)、議長は超巨視的に世界全部を悲劇的な運命から「正しい道」に変革しようと考えてる点。運命とは誰が描いているのかと言ったら「神」とか「ゲームマスター」ということになりますが、現時点の情報からだと議長の目的は悲劇的な運命に抗う形での正しい運命を、自分自身が「神」か「ゲームマスター」になって創出することのように思われます。しつこくチェス盤とセットで描写されてたのはその辺りの象徴性のためではないかと。

 で、その議長にとって正しい「運命」を予定通りに構築するためには「運命」から「自由」な存在は邪魔なワケです。この場合の「自由」は勿論キラです。ここが、サブタイ「FATES(運命)」としながら、

・前作最重要シーン、「あなたが優しいのはあなただからでしょう?」(ラクス)

・キラの個人的な反乱、ラクス返還シーン。

・前作34話のキラの脱カテゴリ化、個人化、自由化のシーン。

 と、やつぎばやに前作のキラ(及びその先導者としてのラクス)の重要シーンを総集編として挿入した意図だと思われます。

 キラの「自由」度、「個人」度、を作り上げられた「運命」と対立するモノ(というか立ち向かうモノと捉えた方がカッコいいけど)として印象づけたかったのではないかと。

 前作34話のキラ個人化、自由化のシーンの際の台詞なんかはモロにですよね、

 「何もできないって言って何もしなかったらもっと何もできない。何も変わらない。何も終わらないから」(キラ)

 戦争だ世界の終わりだといっても、「何もできないって言って何もしない」でそれも「運命」だと流されるままに諦観してしまってる人間へのカウンターとしての、「自由意志」で行動する「個人」であるキラというキャラクター。

 クルーゼ的な諦観的「運命」とも議長的な構築された「運命」にも、反発する存在としての「自由」なキラ。この二重対比によって浮き彫りになるキラというキャラの立ち位置が、物語上重要になるのは間違いないでしょう。

◇今後の展開

 公式サイトのプレ情報で、議長が開発に関わってるデスティニーガンダムがシンの新機体になることが明らかになっています。ここには、明らかに上述したようなシンのデスティニー(運命)VSキラのフリーダム(自由)という対比が象徴的に名称にかかっているものと思われます。そう言われてみるとシンは8話では、

 「誤魔化せないのかも・・・、いくら綺麗に花が咲いても人はまた吹き飛ばす」(シン)

 と、人とはそういう救えない者だ的なクルーゼ的な諦観的運命観を受け入れているかのような台詞をもらしていますし(というかこの台詞を当のキラの前で言わせてるというのが、ここまで対比が明らかになった今から思うとかなりの鳥肌演出)、現時点では議長の作る「運命」に特に抗わずに行動してるようにも取れます。

 そういう状況なんで、最初のシンのデスティニー(運命)VSキラのフリーダム(自由)は、本当に様々な対比を背負った上でのバトルなので、燃え度高しは間違いないでしょう。

 ただ、シンがそのままクルーゼ的な「運命」、議長的な「運命」を背負ったままキラの「自由」と対立し続けて物語が終わるのかというと、そこは多いにまだまだ疑問の余地ありです。特に議長の言うままに闘い続けられるかは、リーダーが優秀なら組織も悪くない!的な思想をシンが受け入れきれるのかによってきます。どうせなら、最後はキラと対立するにしても、どこかで重なるにしても、シンのバックボーンに象徴される「運命」のコノテーションは何かしらシン的に一段高く昇華されたモノになってるのを希望。そこを、クライマックスとして期待したいじゃないですか。

◇他、ピコポイント

 議長の行動のバックボーンにはタリアとの過去イベントがある模様。ここは、「鳴動の宇宙」ではアズラエルの行動のバックボーンにもアズラエルの個人的な差別体験を追加描写として入れたりで、大きな思想にもその背景には小さな個人的なバックボーンがあるという描き方をするのが好みの模様。タリアが「子どもが欲しいからプラントのルールに従う」という言い方をしてるのが何気に超重要伏線です。少なくとも2点、

・議長とでは子どもが生まれない。
・議長は何かしらプラントのルールに従っていない。

 という情報が提示されます。議長の目的、行動、思想の謎のバックボーンがこの辺りにあるかもだ。

◇ラストの倒れたチェスピースのカットの象徴性

 コレはさすがにコレだ!という自信がある解釈はないです。倒れてるんでどちらかというとネガティブ象徴だと思うんだけど。何か思いついた人はコメント待ってます。

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